カーフ③

「僕は、誰にも守られなくても、生きていけます。これからも、ずっと──」


 それは、言葉というより、自分自身への呪文だった。

呟くたびに、胸の内側で何かが軋む。

「イオス」

 名を呼ぶ声に、ぎゅっと閉ざしていた心の扉が、かすかに軋んだ音を立てた。


 カーフがこちらを見ている。

 灯りに揺れる瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいて、翠から深い森の色へと静かに移ろっていく。

 僕は目をそらしながら、無理に笑ってみせた。

 笑えば、誤魔化せる気がしたから。


「……母さんがいなくなるその時まで、僕が支えるんです。そのあとは、一人で……。弱音なんて、吐いてる暇はないから」

 

 彼女はすぐに答えず、静かに僕の言葉を受けとめた。

 沈黙は否定ではなかった。ただ、寄り添う様な気配だけがあった。


「ねえ、イオス。……どうして神様は、私たちに“心”なんてくれたのかしら?」


 唐突な問いだった。

 けれど、その言葉の柔らかさが、意外にも胸に触れる。僕は何も言えず、ただ首を少し横に振った。

 不意に彼女の手が、僕の右手にそっと重なったことに心がざわめく。

 逃げ様とする反射とは裏腹に、そのぬくもりが身体の奥のほうへ静かにしみ込んでいく。


「冷たい手。でも、強い手ね」

「……ただ汚れてるだけです。学校でも、よく言われるから」


 そう口にした途端、自分で自分を切り捨てるような気がして、胸の奥がきゅっと縮こまった。


 けれど、カーフの声がそれをそっと救い上げてくれた。

「それは、まだ本当の“強さ”を知らない子たちの言葉。あなたは、もうずっと前から、大人のように生きているのよ」

 その言葉に、張っていた何かがふっとほどける。

「……ねえ、人って皆、最後は一人で死んでいくんですって。でもね、誰かと過ごした優しい時間があれば……その一人きりの瞬間さえ、少しだけあたたかくなるかもしれない」


 彼女の瞳がふわりと揺れる。


「だから、今だけでも。誰かに寄りかかってもいいんじゃない?心があるなら、使っていいのよ」


 僕は返事を探した。でも、言葉が見つからなかった。


「アルゲディなら、きっと……あなたを支えたいって思ってる。少しくらい、頼ったっていい。あなたが思ってるより、あの人はずっと、あなたに強いんだから」


 そう言って、カーフが片目を閉じて微笑んだ。その優しさに、思わず心のどこかがふるえて、息が漏れるように笑ってしまった。


「……わかりまし……」「わかった」


 不意に重なった言葉に、驚きながらも、素直に呟く。

「ありがとう、カーフ」

「どういたしまして。今のあなたの声、すごく素敵よ」


 彼女は立ち上がり、僕の前に立った。

「さあ、実践。きっと彼、あなたがいなくて落ち着かないわよ。……でも、きっと平気なふりをしてる。しばらくは、知らないふりしてあげてね」

「ええ……できるかな」

 不安が、声に滲む。

「大丈夫。特別に、魔法をかけてあげる」


 そう言って、彼女は僕の両手を握り、そしてそっと額を寄せてきた。

 目を閉じた彼女の横顔を、僕はそっと見つめる。


 長いまつげ。

 雪のように白い肌。

 薄く色づいた唇。


 どの女の子より、ずっと綺麗だと思った。 

 思わず、目が離せなくなる。

 そして、まるで夢のように、目の前にきらめく緑の庭園が広がった。


「行きましょう。でも、レディの顔をそんなに見つめちゃ、だめよ」

「……ごめん」

「今回は許してあげる」


 互いに笑い合った瞬間。ようやく、誰にも見せなかった“本当の僕”が、カーフの前で顔を出した気がした。


 そして自然と僕らは手を取り合った。まるで、そのぬくもりが、これからの道を照らしてくれるように。


 アルゲディの待つ、あの列車へ。

 温かな光の方へと、歩き出した。

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