“ぬらうくに”

しろすけ

“ぬらうくに”

 ノックを4回。小声でおまじないを唱える。目を閉じて、扉を開ける。背後で扉を閉め、目を開けると——。


 アンティークな木造の部屋、ブラウンに塗られた棚には色とりどりのスノードームがいっぱいに並べられている。



「いらっしゃいませ」



 煌びやかな照明の下、おそらく5歳ほどであろう男の子がにこやかに出迎えてくれる。


 どんな扉もこの一連の流れで早変わり。ただし、誰にも見られてはいけない。



「本日はどうなされました?」



 私は少年に大股で歩き寄った。自身より20は上の大人が無言で近寄ってくるなど恐怖でしか無いだろうが、少年は笑顔を崩さない。



「ご相談ですね」



 少年が奥に進むよう手で示すと、いつの間にかそこには扉が存在していて、ひとりでに開いていた。


 促され、奥の部屋に入る。小ぶりなテーブルと、ほどよく年季の入った椅子が用意されている。


 私が座ったのを確認すると、彼も正面に腰を下ろした。



「記憶を全部返して欲しい」

「おや、それはまあ」



 私の申し出に、少年は特に驚きはしなかった。最初からこの瞬間を予想していたのだろうか。



「ご存知かと思いますが——」



 少年はゆっくりと手を組み、笑みは絶やさない。



「わたくしの『記憶屋』では、お客様がご自身の記憶を売ることで、それ相応のお金に換えることができます。一度お金に換えてしまった記憶は、同じ額を用意していただかないと、心苦しいですが、返すことはできません」



 にこやかに、冷ややかに告げる。



「お客様はこの19年間、それはそれは沢山の記憶をお売りになられました。楽しい記憶は高くつきます。額は……」

「お金は無いの」



 少年は表情を変えず、続きを促す。



「記憶と交換して欲しい」

「そうですか。では、どの記憶と交換しますか? 楽しい記憶だと50、悲しい記憶だと120ほど必要になります」

「『記憶屋』の記憶を出す」

「……よろしいので?」



 小首を傾げ、少年は組んだ手をといた。私は彼の目をまっすぐに捉える。



「……そうですか。寂しくなりますね」



 少年の本心は計り知れないが、今回ばかりは心の底から悲しんでいるように見えた。

 幼稚園に通っていた頃、とある本を読み、半信半疑で試したおまじないから早19年、私はこの『記憶屋』をもう一つの我が家のように感じていた。



「お客様は、とっても立派になられましたね」



 あの頃は少年よりも背が低かった。しかし、今となっては彼の2倍以上の身長になり、社会にも出て、様々な荒波に揉まれた。

 ……きっと、いや、絶対に少年はヒトではない。

 だが、それは重要ではない。それに忘れる記憶だ。



「……初めて、彼氏ができたんだ」

「そうでしたか。おめでとうございます」



 私は頬を掻きながら、机の模様へと目を逸らす。

 少年は私の話を真摯に聞いてくれる。一時期は彼が心の支えだった。



「とっても面白い人で、些細なことも彼が話すとたちまち笑い話になる。小学生時代の話なんて、何回聞いても爆笑できる」

「素敵な方なのですね」

「うん。でも……私は何も覚えていない」



 木目を指でなぞり、私の視線はただそれを追いかけた。



「私が小さい頃なんて、家庭が大変だったことしか覚えていない。自分で稼げる今と違って、とにかくお金が必要で、あなたに頼った」

「先ほど全部と言いましたが、辛い記憶も戻すとお考えなのですか?」

「うん。辛くて冷たい記憶なんて必要ないっていうのが今までの考えだったけど……変わったの」

「それはそれは」



 少年は優しく微笑む。



「辛い記憶だろうと、素敵な思い出ということには変わりがありません。わたくしとしても手放すのが惜しい」

「あなたは変わらないね」



 記憶を収集し、それを眺めることが彼の趣味だ。彼は会った時から、文字通り何一つ変わっていない。



「ところで……この記憶で足りるの?」

「ええ、大丈夫ですよ。では、こちらにサインを」

「サイン?」



 いつもは無かった流れに疑問の声を上げる。



「ええ。お客様の記憶の取り扱いについてです」



 少年は頷き、丁寧に答える。



「わたくしの店はご覧の通り、細々とやっておりまして。店への入り方も特殊な上、お客様も限りなく少ない。ですから、お客様の記憶を媒体として、現世に店への入り方を載せたモノを存在させます。そうすることで新しいお客様を呼ぶことができます。わたくしの店の繁栄のため、同意していただけると幸いです」

「へぇ。初めて聞いた」



 私はあることに気がつく。



「じゃあ、私が小さい時に見た、おまじないが書かれたあの本は……」

「ええ、ええ。ご想像の通りです」



 満足気に頷き、サインを確認した少年は席を立った。隣の部屋に戻り、やがて手袋を嵌めた手にスノードームを持ってやってくる。



「こちらがお客様の記憶です。大切に扱いました、欠けはありません」

「ありがとう」



 差し出されたスノードームを手に取る。キラキラと銀粉が降る小さな世界の中に、幼い私がいた。お腹を膨らませた母親と、今は亡き父親と手を繋ぎ、幸せそうに微笑んでいる。



「ごめんね……」



 目頭が熱くなり、私は大切な記憶を抱き抱えた。スノードームは淡く発光したかと思うと、次の瞬間には消えていた。同時に、失っていた記憶が蘇る。


 大の大人がわんわんと声をあげて泣く様を、少年は温かく見守ってくれた。


 時が経ち、落ち着いたところを見計らって少年が口を開く。



「では……名残惜しいですが、当店の記憶の方を」

「……うん。お願い」



 少年が手のひらを差し出す。何度も目にした光景だ。この手に自分の手を重ねたら最後、『記憶屋』の記憶は消えて無くなる。


 私が手を重ねる寸前、彼は思い出したかのように手を引っ込めた。



「そうでした、少しよろしいですか」

「え、と……いいよ?」



 身を乗り出し、ずいと顔を近寄らせたかと思うと、少年は私の目を至近距離で見つめた。甘い吐息が吹きかかる。


 普段は大人びた彼だが、こうしてみるとやはり年相応の子供の顔にしか見えない。


 少年は嬉しそうに目を細めた。



「ええ、ええ。貴方も不思議なタイトルおまじないに魅せられ、この記憶をお取りになった方だとお見受けします」



 口を開こうとした私に、少年はそっと人差し指を立てた。



「愉快な記憶、反吐が出るほどの辛い記憶……どんなものだろうと構いません。わたくしにお譲りいただけませんか? もちろん、お礼はたっぷり差し上げます」



 一度聞いたことがある、否、読んだことのある台詞を言ったのち、少年の顔が離れ、彼は座り直した。



「今のって……」

「これは失礼致しました。当店の、そしてわたくしのため故、お許しいただけませんか」

「うん、いいよ」



 私の記憶を辿って此処に来る人もいるのだろうか。

 まさに、あの頃の私のように。



「では、お手を」



 差し出された手のひらと私の手のひらを重ね合わせると、微かな温もりが感じられた。



「今までありがとう」

「とんでもない。わたくしの方こそ、沢山の素敵な記憶を見ることができて、感謝でいっぱいです」



 温もりは光となり、私の視界を埋め尽くす。



「——ご来店、心よりお待ちしております」



 薄れゆく意識の中、少年があなたに呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

“ぬらうくに” しろすけ @shirosuke0000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画