三十路疑惑

 郷愁の象徴である茜色に染まった空の下、僕らは駅を目指し歩いていた。

 時刻は17時30分を回っているが、まるで白昼夢のような出来事が続いた為、夕方になったという実感が湧かない。

 だが、そんな心情とは裏腹に街には退勤ラッシュで人混みが出来ていた。

 浮ついた空気を切り裂くように、人を掻き分け進んでいく。

「何だか今日はお姉さん疲れちゃったよ……」

 残暑続き且つあんな事があったからか、杏夏は萎れた表情で僕の左肩に寄り掛かってきた。

「お疲れさん。…それはそうと何で再会してから、一人称がお姉さんなんだ?」

 杏夏と僕は同い年なのに、何故姉面されるのかわからない。

 相も変わらず謎に満ちた女である。

「……累計で10年間くらいタイムスリップしてるから、もう同い年って感じしないんだよね」

「三十路かよ!?」

「あ〜!言っちゃいけないこと言った!秀くんが酷いこと言った!……こんなに君を一途に愛すぴちぴちチョベリグお姉さんなんて中々いないんだぞ〜?」

「ワードセンスがもうね…」

「そんな目で見ないでよ〜!!!」

 杏夏は頬をぷくぅと膨らませ、こちらをぺしぺしと叩いてきた。

 美人はこんな様ですら絵になるのだから恐ろしい。

「悪い悪い。だけど、タイムリープにも意外な弱点があったんだな」

 肉体は若者そのものなのに、心が老化するだなんて何だか皮肉である。

 記憶が残るということは、脳だけタイムリープの干渉を受けないのだろうか。

 謎は深まるばかりだ。

「…盲点だったよ。心なしか化粧ノリも悪くなってる気がするし、、」

「見た目は年相応だと思うけどな」

 杏夏は不服げに顔を顰め、前髪を掻き分けた。

 その刹那、銀髪が夕日に反射し、天の川のように神々しく、そして魅惑的に君臨する。

「杏夏の周りに同じような人はいないのか?もしかしたら遺伝の可能性もあるだろうし」

「…私の周りにはいないけど、哲学者のエルドウィンさんが同じくタイムリープ能力を持っていたんじゃないかな〜って思ってる」

「エルドウィン?」

「うん、19世紀に活躍したニヒリズム《虚無主義》の哲学者で、晩年は植物人間になってしまった人。彼にまだ自我が残っていた時、手記にはルサンチマン《奴隷道徳や劣等感》に打ち勝つ為にタイムリープ能力を使っているって書いていたの」

「ニヒリズム?ルサンチマン?……すまんが哲学に疎くてさっぱりわからん。つまりどういうことだ?」

僕の問いに対して杏夏は大きく深呼吸をした後、どこか達観したような、諦めと希望が交差したそんな笑みを浮かべ呟いた。

「つまり自分の信念のためにタイムリープ能力を使って、脳が壊れちゃった人かな?」



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