第2話 共に過ごす
あの夏の山中湖のコテージの、小さな手漕ぎボート。
慌てふためいて戻ってきた挙句、水際に無造作に放置したままであったのを、後に二人で引き上げに行って、きちんと岸辺の元の位置まで収めて帰って来た。
私と彼女の二人だけの秘密が出来た訳で、目に見えない絆の様な物を感じる度に少々くすぐったい気もしながら、まもなく秋になっても合唱団で顔を合わせる事が楽しみになり、次第にプライベートでも時間を共にする機会が増えていった。
お互いの自宅は距離的に遠く、電車を乗り継いで一時間以上かけて移動する必要があったが、よくお互いの家にも遊びに出かけていた。
家族にも顔なじみになって来れば、腰を据えてゆっくり一泊お世話になり、翌日は効率よく朝から遊びに興じるというペースになった。
エリちゃんが我が家に泊まりに来てくれたある夜、私はぐっすり眠っていてちっとも知らなかったのだが、襖を隔てた隣の部屋での、私の両親の会話が聞こえたそうだった。
「ブッ!」
「……やあねえパパ。大きいおならなんかしてえ。」
「んん?」
これを会話というのかどうかは別として、両親のやり取りの一連の流れを再現して伝えてくれる彼女の様子が可笑しくて、聞く度に私はお腹がよじれるのであった。
また別の日は、泊まった翌日を有効に使おうと、朝から海水浴に繰り出した。
使い手のいないビーチパラソルを抜け目なく小道具に仕立て上げた私たちによって、まだ夏が始まったばかりで人出の少なかったビーチは、一大水着撮影会場と化した。
ほとんどギャラリーもいないのに、昭和の乙女というのは実に奥ゆかしい物で、大胆なポージングとは無縁とばかりに、ワンピースの水着姿にうっすら恥じらいをまとって、お行儀よくフィルムに納まったのである。
さて、私の両親とは違って、エリちゃんのご両親は高尚な方々である。
お父様は中学校の美術の先生。
お母様は幼稚園の園長先生。
お二人の一粒だねのエリちゃんは、小さい頃から大切に大切に育てられたのだ。
遊びに行くと、お家に誰もいない、という状況が常なのであって、そうか、エリちゃんは小さい頃から一人でお留守番をしていたんだなあ、と実感したものだった。
お父様は教鞭を執るかたわら、ご自身で油絵を描いておられた。
定期的に個展も開いておられたので、エリちゃんに誘われるままに一度お伺いした事がある。
世界を旅して、印象に残った風景をたくさん描いておられていて、歩みを進めながら見ているうちに、細部にわたって細かく描き込まれた街のディテールの数々や、どこか物寂しい表情の道端や、深い水の底の様なブルーの色に浮かび上がる鮮やかなグラスのフォルムなどにすっかり心を奪われ、私は絵の前で立ちすくんでどこまでもその世界に吸い込まれてしまっていた。
すると、一作一作のどの絵にも、必ず、そこはかとなく温かく優しいメッセージが込められているのが感じられ、そうするとますます離れ難くなり、鑑賞を切り上げたくてやきもきするエリちゃんの、催促の声のボリュームがかなりの大きさになって初めて、我に返る様な有様だった。
実はその時既に、全ての作品に込められている優しさや希望の様なメッセージの源泉がどこなのかを、私は知っていた。
画伯は元々、本当に底抜けに優しい方なのだった。
お父様に初めてお会いした時から、面白くてお元気で話題が豊富で、人を飽きさせないどころか、グイグイ惹き付けてしまう様な素敵な魅力をお持ちの方だなあ、と、私は一遍でファンになってしまっていたのである。
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