海に沈むジグラート15

七海ポルカ

第1話


「このあたりでしょうか?」


 聖堂の壁に、二人の騎士が絵の両端を持って、丁度いい高さに掲げている。

「はい。そのあたりでいいと思います」

 金槌を使って、額に嵌まった絵を打ち込む。

 きちんと壁に固定されると、集まっていた騎士たちからも拍手が起きた。

「ネーリ様の絵は木炭で描いたスケッチも美しいですが、色が付くとまた格別ですね」

 トロイがそう言ってくれた。

「美しい夜空の絵ですね。

 空と、海と。鏡のように星が映り込んでいる。

 こちらの竜の眠る絵は逆に穏やかな昼下がりのような雰囲気です。

 どちらも聖堂に相応しい、美しい作品ですね」

 騎士たちが集まって、新しく額に入れられて飾られた絵を熱心に見上げている。

「ありがとうございます」

「特に夜空の絵はあんなに大きな絵なのに五日で瞬く間に出来上がってしまって……。

 驚きました。

 最初は、ネーリ様がお若いので、団長が宮廷画家に推薦したがっているというのも冗談ではないかとも思いましたが……今では竜騎兵団の全員がぜひ貴方を本国に招くべきだと思っておりますよ」

 ネーリは嬉しそうな顔をした。


「ああ、絵は飾れたみたいだな」


 フェルディナントが聖堂に入って来る。神父を連れてきた。

「神父様」

「ネーリ。礼拝をしに来ましたよ」

 一週間ほど会わなかったので、ここで再会し、ネーリは嬉しそうに神父の手を取った。

「はい。聞きました」

「私があまり信心深くない為に今までこういう機会を持たなかったのですが……我が隊には信心深い騎士たちもいるのです。本国から離れ、長い遠征に入っている彼らにとっては、この礼拝が心の支えになると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 フェルディナントが神父に一礼した。

「とんでもない。こういう形で皆様に礼拝を任せていただきますのは、光栄なことです」

 フェルディナントは相変わらずヴェネツィアの守備関連の仕事に追われて多忙だったが、その中で、週に一度、神父を招き、駐屯地で夜の礼拝を行うことにした。 

 ネーリの絵が飾られている聖堂に、休憩中や待機中の騎士たちが集うようになったのを見て、無意識にでも、彼らが心の拠り所を求めてるのではないかと考えたからだ。強制ではなく、望む者は礼拝を受けるように、という形になっているが、任務外の騎士たちは全員参列した。

 実は神聖ローマ帝国本国にいる時は、王宮では同じように週に二度、王族も参列する礼拝が行われ、これは騎士団の全員が参列を義務付けられていた。王城の大礼拝堂に入ることが許されるのは上級騎士ばかりだったが、城下などでも全ての礼拝堂が解放されて、騎士たちが礼拝をするのだ。

 遠征中はこれが免除されるため、ついフェルディナントは重要性を取り上げず、戦時は軽視して来てしまったが、ヴェネトに来るに至って――そしてこの地でネーリという人間に出会うことになり、様々な要因が重なってのことだが、この遠征中は祈りの場を作りたいと考えたのである。

 神父は特別に神聖ローマ帝国で使用されている聖典があれば、それを使うことも出来るが、と言ったが、フェルディナントは神父が普段行っている、ヴェネツィア聖教会式の礼拝と聖典で構わないと答えた。祈りの本質というものは、言語や宗教性の違いに捕らわれるべきではないと彼は考えたからである。

 フェルディナントは【エルスタル】にも小さいながら国教が存在したが、神聖ローマ帝国の礼拝には参列し、神聖ローマ帝国では神聖ローマ帝国の聖典を読んだし、【エルスタル】に戻れば【エルスタル】の聖書で礼拝を行った。士官学校時代はスペイン式の礼拝を受けて来たので、そういうことは別に不誠実ではないのだと、自らが体現していた。

 強制ではないというのも、そういう意味がある。

 フェルディナントの部隊には礼拝が行われることを喜ぶ者はいても、本国と違う礼拝をしたくない、と拒むような者はいなかった。

 説法を聞き、聖書を読み、最後に聖歌を歌い、終える。

 神父だけしかいなかったので、きちんと調律したオルガンはネーリが弾いた。

 彼がオルガンを弾けるとは知らなかったのだが、ミラーコリ教会の礼拝でも奏者が来れない時はネーリが弾くことがあるらしい。

 彼の芸術の才は絵ばかりではなかった。

 軽く弾いてみるよーと目を閉じて弾き始めた時には驚いた。

 彼の祖父は信心深い人だったらしく、船の上でも夜は毎日礼拝をし、ネーリは幼少期にその礼拝で弾かれていた讃美歌や聖歌は、楽譜などなくても覚えて弾けるらしい。

 聖堂でネーリが不意に弾き始めると、一体この美しいオルガンの音色は誰が弾いているのかと興味を持って騎士たちが覗きに来たが、彼らもフェルディナント同様、画家だと思っていたネーリの音楽家の一面を見て非常に驚いたようだ。

 聖歌を歌う声は美しくて、こんなに溢れんばかりの芸術の才に恵まれた人間がこの世にいるのかと、フェルディナントは益々ネーリ・バルネチアという人間の持つ才の鮮やかさに夢中になっていく自分を自覚していた。

 聖書を閉じて、ネーリがオルガンを奏で始める。

 神聖ローマ帝国でも歌われる聖歌だ。

 選曲はネーリが聖堂に集まった騎士たちから話を聞き、それを参考にして決めた。

 聖堂の壁には、ネーリが描いた駐屯地のスケッチが丁寧に貼られている。すでに随分な数になっているが、そこに今日初めて彩色され額に入れられた絵が二枚加わった。

 夜の空と海、そして星の絵。

 もう一枚は輝く新緑、森の木陰で眠る竜の絵。

 正反対の印象の二枚だが、どちらも美しい。

 ネーリの絵に囲まれた聖堂で、彼の奏でる優しく美しい旋律の中で、共に同じ聖歌を歌う。

 フェルディナントは無性の幸せを感じた。


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