第10話 ちょっとした悩み
食堂の給仕をしている少女ニーナが、注文をとりにくる。
マユラは自分の分だけ注文をした。本当は師匠と一緒に食べたかったが、師匠は言葉を話すもののぬいぐるみなので食事ができないようだ。
ぬいぐるみの体に精神だけ閉じ込めて、食事もできないなんて。
おまけに、長い間屋敷の中から出られなかったなんて。
「師匠の人生の楽しみって、なんなんでしょうね」
マユラは現在、驚くほどに楽しい。
人生いろいろあったものの、ようやくマユラを取り巻くしがらみから解放されたばかりだ。
師匠はそれとは逆で、昔は立派な大魔導士様だったのだろうが、今は不自由なぬいぐるみ生活である。
『即物的な人間め。食欲と睡眠欲と愛欲などは獣の欲だ。私はそんな獣じみた嗜好のお前よりももっと高次元の存在故な』
「師匠、私が人妻だったと知った時、若干色めきだっていませんでしたか」
『お前のような、なんの取り柄もなさそうな女が人妻だったことに驚いただけだ』
「さては師匠、友達いないでしょう」
『お前もな』
マユラは胸をおさえた。それを言われると、心が痛む。
まさしくその通りだからである。
「ゆ、友人のいないもの同士、仲良くしましょうね、師匠」
『私はお前を憐れんで、錬金術を教えようとしているだけだ。仲良くなどと、脆弱な人間の考えそうなことだな。人などは、生まれてから死ぬまで所詮は一人だ』
「師匠の人生には一体何があったんでしょうね……」
アルゼイラとはどんな魔導士だったのか。どの時代に生きていたのか。
気になるところだが、猫師匠には己についてを語る気がまるでなさそうだった。
偉そうな態度の割に自分語りをしたがらないというのは、何か人には言いたくない過去でもあるのかもしれない。
ややあって、ニーナが皿を運んでくる。
「お姉さん、マグロとタコとアスパラのグリルに、チリソースシュリンプよ。それから、柚蜜ソーダ」
「ありがとうございます、ニーナちゃん」
「私の名前、知っているの?」
「皆がニーナちゃんと呼んでいたので。私はマユラです。引っ越してきたばかりなのですよ」
「それは、おめでとう! ここは、怖い人もちょっぴりいるけれど、いいところよ。よろしく、マユラさん」
ニーナは、他の客に呼ばれてパタパタと駆けていった。
マユラは皿の上の料理を眺める。タコはぷりぷりしていて、マグロは美味しそうな焼き目がついている。ハーブと白葡萄酒のほのかな香り。味付けはシンプルに岩塩と胡椒のみだ。
大ぶりのゆでたエビには、辛いソースがついている。
どちらもとても美味しそうで、マユラは「いただきます」と元気よく食前の挨拶をした。
マユラがぱくぱくと食事をしている間、猫師匠はカウンターの上に小さな足と腕を組んで座っていた。
「西の平野にウルフガルグの群れが出たらしい」
「商団が襲われたんだろう?」
「魔物が多いよな、最近。そういえば一ヶ月前にセイレーンに船が沈められただろう。次は自分たちかと、皆びくびくしているぞ」
「海の男がセイレーンなんぞに怯えてどうする」
食事をしながら、ふむふむとマユラは皆の会話を聞いた。
商売の基本は情報である。知らない場所に来た時に、情報を得やすい場所といえばやはり酒場だ。
皆の不満や、何に困っているのか、何を必要としているのかを聞いておく。
すると、どんな商売をしていくのかの考えがまとまりやすい。
『ウルフガルグに、セイレーンか。その程度の魔物に、困っているとは。騎士団は何をしているのか』
「何をしているのでしょうね」
レイクフィアの家族たちも日々魔物討伐に明け暮れていたが、王国は広く、戦えるものには限りがある。
なかなかどうして、手が回らないのだ。
マユラにとっては恐ろしい家族たちだったが、魔物討伐に関しては真摯だった。
これは、レイクフィア家のプライドにかけて手を抜けない事柄であった。
それでも全ての魔物を倒せるというわけでもない。
「最近では、貴族たちが錬金魔法具を買いあさっているしな。護身用の魔法さえ、使えない。ポーションひとつ買えやしない」
「錬金術師たちは、貴族に抱えられているだろう? そうじゃなければ、王都の、なんだったか。中心街にあるあの有名な」
「フォルカ・グラッセの店だろう。行列ができていて、買い物なんてできやしない。半年先まで注文でいっぱいだそうだ」
聞き耳を立てていたマユラは、声をあげそうになるのを我慢した。
なんて。
なんていいことを聞いたのだろう。
以前は錬金魔法具は高価ではあるものの、金さえ出せば手に入れることができた。
しかし今は、それは困難な状況にあるらしい。
「本当にね。困ったものだよ。……あたしの亭主も、ずっと熱を出して寝込んでいるんだ。解熱のポーションさえあれば、一発で治るのに」
「お父さん、もう五日も熱がさがらないの。薬草も、効かなくて。心配」
注文が落ち着いたのか、カウンターの中で料理をしていた女性がため息混じりに、カウンター越しに男性たちと話し始める。
ニーナも、眉を寄せてぎゅっとお盆を胸に抱いて、そう呟いた。
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