第10話 王女殿下
いつものようにエリザベスの元へ向かっていたウィリアムは、苦い顔をして立ち止まった。
最近はエリザベスからその日の正確な予定を教えてもらえるようになり、その予定通り王宮内の王女別宮にやって来たのだが……別宮の庭に、ギデオンがいたのだ。
入り口へと繋がる道の脇に突っ立っているので、無視するわけにもいかない。
「……なんだ? ギデオンも呼ばれたのか?」
「ふん、俺も一応は王女殿下の護衛という大役を仰せつかっているからな。家庭教師役のお前よりは自然だろう」
「口の減らない男だ。……お前が殿下の護衛役というのは初耳だな」
「誰かさんのように役職を言いふらしたりはしないからな」
「……私だって、別に自分から言いふらしているわけではない」
だが事実として『王女殿下の家庭教師・ウィリアム』という噂は王宮に鳴り響いていた。とうとうウィリアムの婚約者が見つかったとか、今度の家庭教師は何日で逃げ出すかとか、なんとウィリアムは幼女趣味者だったのか、等々。
「……幼女趣味者という噂、お前が流したものではないだろうな?」
「否定はしない」
「しろよ」
「……俺はただ、噂好きのご婦人が情報を求めていたから、王女殿下の家庭教師になれて喜んでいましたよと答えただけだ」
ちょっと申し訳なさそうに視線を逸らしたギデオンの態度からして、本当に悪気はなかったのかもしれない。まぁ彼の場合は陰口を広めるよりも真正面からやり合うことを選びそうであるし、下手に誤魔化さずに自分の責任を口にするあたり馬鹿正直というか何というか……。
「そうか。疑って悪かったな」
ウィリアムが謝ると、ギデオンは昼間に
「なんだ、お前って素直に謝れるんだな?」
「自分が間違っていたのなら当然だ。……私のことを何だと思っていたのだ?」
「プライドが高く、尊大で、たとえ自分が間違っていても口の巧みさで相手を丸め込むような屑人間」
「殴るぞ?」
「お、いいな。やはり男というものはテイムズ川の川縁で殴り合いをしなければな! なんだお前もよく分かっているじゃないか!」
「お? おぉ?」
なにやらよく分からないままウィリアムの肩を組んでくるギデオン。どうやら『殴る』という言葉に反応した? らしい? なんだそれ単純すぎるだろうとウィリアムは呆れてしまう。
ここは早急に誤解を解かなければ。
いやしかし、同じくエリザベスの『臣下』なのだから、いつまでも対立している訳にもいかないし……。
どうしたものかと悩むウィリアムであったが……思考を途中で止めた。遠くから使用人が「早く入ってくれないかなー」という眼でウィリアムたちを見つめていたからだ。
ウィリアムたちの方が地位が上とはいえ、それは他人の仕事を滞らせていい理由にはならないのだ。
「ギデオン。使用人が困っている。まずは中に入るとしよう」
「お、それもそうだな。殴り合いはまた後日にするか」
意気揚々と別宮の玄関へ向かうギデオン。どうやら彼の中では「テイムズ川の川縁で殴り合い」というのは決定事項らしい。
(……殿下から身体強化の魔法を教えていただくか)
そんなことを考えつつ、ウィリアムも案内されるまま別宮の中に入った。
◇
さすがは世界に誇る連合王国の王城。王女に与えられた別宮とはいえ、その豪華絢爛さは本宮に勝るとも劣らないようだ。むしろ可愛い娘のために改装工事をさせたという国王陛下の親馬鹿っぷりが存分に発揮されているかのような。
床や柱は大理石であり、とくに柱には神話に登場する神々や英雄の彫像が彫られている。
窓はすべてステンドグラスで、日の光を受けて輝く様はもうこれだけで芸術と呼ぶに相応しいのだが、注目するべきは室内の明かりだろう。
窓がステンドグラスでは部屋の中が暗くなってしまうはずなのに、それを感じさせない。どうやらステンドグラスからの光を打ち消さない程度の明かりが室内に灯されているらしい。
ステンドグラスを設置するだけで満足するのではなく、室内の光量その他を含めて芸術性と居住性を両立させる。きっとこの別宮を設計した建築家は天才であるに違いない。
「あいっかわらず無駄に金が掛かった屋敷だなぁ」
そんな天才による建築を、何ともバッサリと評価するギデオンであった。せめて『屋敷』と『宮』の区別くらい付けて欲しいのだが……。
ちなみにこの国においては王や王族が住まう場所こそが『宮』であり、もしも貴族が自分の屋敷を『宮』と呼ぼうものなら常識もないのかと笑われるか、反逆して自身が王となるつもりなのでは? と疑われることだろう。
使用人の案内に任せるまま別宮の廊下を進み、しばらくして。ひときわ大きな扉の前に連れてこられた。
扉に刻まれたレリーフは……おそらく建国神話。勇者が魔王を倒し、神々から
右扉には初代国王となった勇者。
左扉には最高神。
神から人への物語。
神話から歴史へ繋がる物語。
そんな
――人と神の別離。
神からの卒業。
人が、人だけで歩き出すとき。
なぜだかそんなことを考えてしまうウィリアムだった。
「――やぁギルにウィル。丁度いいところに来てくれた」
振り返ったのはいつもの白衣とビン底眼鏡スタイルではなく、眼鏡を外し、とても『王女らしい』ドレス姿となったエリザベスであった。
何とも可愛らしい。
ハイネックの、いわゆるウォーキングドレスというものだろう。上着とスカートが一体化したようなシルエットが特徴的。……いや、一番の特徴はこれでもかと装飾されたフリルであろうか。
人によっては過剰になってしまうところだが、まさしく『お人形さん』のようなエリザベスにはよく似合っている。
普段はボサボサの状態で放置された髪もきちんと櫛で梳かれて艶やかであるし、久しぶりに見た青い瞳は真夏の日のどこまでの突き抜けるかのような青空を思わせる。
滅多に外出しない王侯貴族の中で、さらに引きこもっているおかげで一切の日焼けのない柔肌はまるで真冬の静かな夜に降り積もった汚れなき新雪のよう。
10歳の少女だというのに、思わず見惚れてしまう。
あと5年も経てば、その美しさを前に平常心を保てるだろうか?
と、見惚れるウィリアムの脇腹をギデオンが突いてくる。
「……やっぱり幼女趣味なんじゃないのか?」
「……なんだ? お前は何も感じないのか?」
「……いやまぁ、お美しいとは思うが」
「……なるほど幼女趣味だな」
「……幼女が好きなんじゃない、殿下を敬愛しているんだ」
「……私も同じだよ」
コソコソと言い合いをするウィリアムとギデオン。そんな二人を見てエリザベスが少し視線を落とす。
「やはり私にドレスは似合わないかな?」
どこか悲しげな発言に、ウィリアムとギデオンは思わず一歩前に出た。
「いえ! 良くお似合いで!」
「まさしく我らが
「いやはや素晴らしいドレス! 最近の流行は着こなすのが難しいのですが、まさかここまでお似合いとは!」
「やはり元がいいと何を着ても絵になりますね! いよっ!
早口でまくし立てる二人を見て、
「なんだ、べた惚れではないか。幼女趣味者共が」
同席していたマーガレットは呆れたように肩をすくめたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます