第2話 王女殿下
婚約者候補かも。
そんな結論に達したウィリアムは少し浮かれていた。
いや、彼の名誉のために断言するが、10歳の少女を娶れることを喜んでいるわけではない。
ただし将来美人になることは確実であるし、エルフの先祖返りならばずっと若さを保つはず。なにより何の期待も抱けなかった政略結婚で『当たり』を引けたのだ。17の青年が浮かれてしまうのも仕方がないことだろう。
そんな『若い』彼の数歩先を進むのは宰相リチャードだ。
いくらウィリアムが侯爵家の嫡男だからといって、そう簡単に王女殿下との謁見が叶うはずがない。教育係として正式に任命されたあとならともかく……。そういう理由から、何かと忙しいはずのリチャードがウィリアムを案内するのは自然なことと言えた。
そう。それは自然なことなのだが。
不自然なのは、リチャードが目指しているのが王宮の中心にある王族居住区ではないことだ。
王女を含めた女性の王族というのは基本的に王族の居住区から出ることなく、勉強から仕事までほとんどの用事を王宮の中で済ませてしまう。
だというのにリチャードが目指しているのは……王城の片隅、王立研究所などがある区画だった。
機密保持の観点から一応王城の中に設置されているが、王族の住まう王宮からはかなり離れているし、高位貴族であればまず縁がないような場所だ。
――王女殿下との謁見ではないのですか?
そう問いかけようとしたウィリアムであるが、止めた。それで父リチャードが不機嫌になってしまったら目も当てられないからだ。意味のある質問なら答えてくれるが、無意味な質問をすれば不機嫌になる。それがリチャードという人間なのだ。
一番の問題は、その『意味のある・なし』を実の息子ですら読み切れないことであるが。
よくそんな態度で宰相が務まるものだとウィリアムが呆れていると、リチャードがとある建物の前で止まった。
レンガ造りの、何の変哲もない二階建て。レンガの様子からしてかなり古そうだ。
この区画にほとんど来たことがないウィリアムは、それが何の建物かも分からない。
リチャードはそんな建物のドアの前まで移動して――ドアの横の壁に備え付けられた、四角い箱についたボタンを押した。
(……なんだ、あれは?)
思わず首をひねるウィリアム。
本来であれば呼び鈴が付いているべきところに設置された、四角い箱。大きさは人の手のひらくらいだろうか?
『――誰かな?』
と、その箱から
魔導具、か?
「リチャードでございます。お約束通り、愚息を連れてまいりました」
魔導具らしき箱に一礼しながら丁寧な言葉遣いをするリチャード。あれではまるで王族に対するような態度ではないか。
『あぁ、そういえば今日だったか。では入ってくれ』
「失礼いたします」
自らドアを開け、建物に入るリチャード。まさか現役侯爵で宰相である彼が使用人に扉を開けさせないとは……。
いや、そもそもこの建物に使用人などいるのか?
疑問を抱きつつ、遅れるわけにもいかないのでウィリアムも中に入った。
◇
カビ臭い、とでもいうのだろうか?
メイドによって完璧に掃除された屋敷で暮らしてきたウィリアムは『カビ臭い』というものがよく分からない。大学も付属のメイドによって綺麗に清掃されていたし……。
ともかく、書物の中でしか知らないカビ臭さに辟易としながら廊下を進む。
「父上。ドアの横に付いていたあの箱は魔導具でしょうか?」
このくらいなら不機嫌にならないだろうと見当を付けたウィリアムが質問する。
「うむ。王女殿下が開発された呼び鈴だ」
「あれが呼び鈴……? いえ、王女殿下が開発された、とは?」
「そのままの意味だ」
「は、はぁ……?」
王族が趣味で変わったことをする、というのは珍しくもない。常に執務に追われる国王や王妃ならとにかく、他の王族は一日中暇をしていることも多いからだ。
たしか王妹殿下は薔薇の品種改良が趣味であるし、他国には錠前の自作までしてしまう王族もいるという。だからこそ魔導具を作る趣味を持っていてもそこまで可笑しなことではないかもしれないが……。疑問はあの完成度だ。
まるで目の前にいるかのような自然なやり取り。あれほどの出来であればもはや王城で採用されてもおかしくはない。
本来魔導具とは優秀な研究者が何人も集まり、何ヶ月――下手をすれば何年も掛けて開発するもの。それを、10歳の王女殿下が作ってしまったと?
ウィリアムの胸中の疑問を読み取ったかのようにリチャードが鼻を鳴らす。
「だから言っただろう? 並みの人間では相手にならん」
「…………」
リチャードはとある部屋の前で立ち止まり、ノックすらせず扉を開け放った。
高位貴族が自分でドアを開けることも、ノックをしないことも非常識に過ぎる。しかもやっているのが良く言えば厳格で、悪く言えば頭の固いリチャードなのだから尚更だ。もはや夢でも見ているのではないかと思いたくなるウィリアム。
そんな彼の戸惑いは、室内にいた
「――やぁ、リッキー。久しぶりだね」
リッキー?
それが父であるリチャードのあだ名であると、理解するのに数秒の時を要したウィリアムである。宰相であるリチャードをあだ名で呼ぶこと自体が異常であるのに、よりにもよってリッキー……。ディックやリックという呼び方もあるだろうに……。
そんな、リッキー呼びをしたのは一人の少女。
櫛も通していないようなボサボサの髪。
目元を完全に覆い隠すビン底眼鏡。
袖口が薄汚れ、全体にシワができた白衣。
いかにもな研究者。研究者らしい研究者。ウィリアムの知り合いには存在しないが、こういう人種がいることは理解している。
ただ、問題は。
その研究者が『銀髪』であったことか。
銀髪とは神話に語られる髪色であり、人を超えた膨大な魔力を有する証とされている。エルフ族に現れやすい特徴とされ、人間には滅多に発現しない。
銀髪であり、少女である人間など我が国には一人しかいないはずだ。
――エリザベス・オブ・グローリアス。
王家の至宝。
神の奇蹟。
美しき少女だった。
誰もが心奪われる美少女だった。
パレードでは貴族から貧民に至るまで全員が彼女に魅入っていた。
だというのに。
今の彼女は。
至宝と唄われた銀髪は手入れもされずところどころが跳ね、見る者を魅了する青い瞳はビン底眼鏡によって隠され、研究に没頭しているせいか肌は少し荒れ、唇もかさついている。
――これが、あの美しき
あまりにも衝撃的な姿に、少し意識が遠のいてしまうウィリアムであった。
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