海に沈むジグラート14

七海ポルカ

第1話


 一筋の線を真っ直ぐに描く。

 頭の中に、描き出したいイメージはすでに浮かんでいたが、細い木炭を握ったその手は、そこで止まった。

 ……多分、ずっと一人でいるのなら、この世でどの国のどこにいたって許される。

 でも誰かと生きるなら、生きている限り、縁を繋いで生きていくことになる。

 だから悪しきことは、出来ないのだ。

 自分が悪い人間にならない為もあるけれど、自分と縁を繋ぐ、大切な人まで、悪しき運命の中に閉じ込めてしまうことがあるから。

 誰かと生きるなら、悪しきことはしてはいけないのだ。

 ネーリは描くのをやめ、立ち上がった。

 アトリエを出て、聖堂の方に入る。

 聖堂の、一番前列の椅子に腰かけ、祭壇の上部に位置する聖母子像を見上げた。

 服の中から、指輪を取り出した。

 母親の指輪だと言っていたから、こういう繊細な、花を象った装飾がついてるのだろう。

 フェルディナントが【エルスタル】の王子なら、母親は王妃だ。王妃は、無事だったということになる。でもその人も、王と、フェルディナント以外の子供たちをみんな失ったということなのだ。……たった一人の家族であるフェルディナントと離れて暮らしていて、平気なのだろうか。

 そう考えたけど、すぐに、僕が彼女を心配する立場にない、と思索をそこで打ち切った。

 あれから、神聖ローマ帝国の駐屯地に足が向いていない。

 フェルディナントには、イアンが、教会で絵を仕上げてるという話をしてくれたらしいが、フェルディナントはこの教会を気にかけてくれているから、いずれやって来るだろう。

顔を見たら泣いてしまいそうだ。でも泣いたらフェルディナントはきっと気にする。理由を追及されたら、隠し通せる自信がない。

 シビュラの塔の扉を開いたのは自分だと言っても、理解されない。

 全てを話せないし、説明も出来ない。

 扉を開きたいと思ったわけでもない。でも開いてしまったのだ。あれが開かずの扉だということを知ったのは、開いた後だった。中がどうなっているのかも知らない。あれが開いたことで、誰が、何をしたのかも。

 ……何をしたかのもかも。

 目を強く閉じる。

 どうして、フェルディナントに出会ってしまったのだろう。

 好きになってしまったのだろう。

 一度は強い心で、ヴェネツィアを出て行こうともしたのに、あの時もフェルディナントに出会ってしまった。ああいうことがあるから、ここにいるべきなのかもしれない、などと都合よく思ってしまうのだ。運命かもしれない、そんな風に、縁を感じたくなる。

(運命のようだと思った時こそ、強い心で、それを拒否しなければならない)

 そうじゃないと、運命めいたものに本当に引きずり込まれてしまう。

 何も言わずに消えるのが多分一番いい。今までのように、誰にも何も告げず、消えるのが。フェルディナントはどう思うだろうか……。そう考えると、胸の奥が痛む。この痛みを乗り越えないと、きっと孤独にはなれないのだ。

(それとも、話せることは、話して……)

 詳しく話せない所は話せないけど、【エルスタル】の消滅に、自分が関わっているから、貴方の側にはいられないと、ちゃんと話せば、同じ孤独でも、フェルディナントを裏切って去ったと思わないでこれからの人生を生きていけるかもしれない。

 ……だがその場合、フェルディナントは母国を奪った自分を、きっと憎むだろう。

 嫌われはしないかもしれないが、何も言わず彼のもとを去るか、話せる限りのことを話して、憎まれても、ちゃんと別れを言って去るか。

 ネーリは聖母子像を見上げた。

【エルスタル】にいたはずの、たくさんの母親たち。

 この聖母子のように、愛しい乳飲み子を胸に抱えて、守っていたはずだ。

 愛しい名を付け、豊かな未来が来るよう、祈っていた。

 彼女達の無念や、痛み。

(それについては、答えはもう出てる)

 自分が憎まれるのが嫌だとか、そんなことを考える余地などはない。

 せめて、何が起きたのか、話せる真実は全部話すことが、誰かの子供としてこの世に生み出された、自分の使命だ。

 どうせフェルディナントの側にいることが知れれば、王妃は自分を側から排除したがる。

 これを機会に、離れるべきだ。

 どこからどこまでを、話すかだ。

 話すことは、もう決めた。

 ネーリは深く考えこめるように、瞼の上に手を置いて、目を閉じた。


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