世界を彩る透明幻想錯綜少女基底
かみひとえ
第 章:
話:少女はその埃だらけの本を手に取った。それは、題名も、文字すらもない白紙の物語。
ゆっくりと目を開けると、見たことのない景色がそこにあった。あ、そういえば、見知った景色、なんてどうやったって思い出せなかったけど。
「……ここはどこ? ワタシは誰?」
なんてありきたりで使い古されたつまらない言葉かしら。うんざりするのと同時に、ワタシの喉から発せられたとは思えない、小さくて囁くような音に少し違和感を覚える。
目の前の光景にただ思考停止しているだけのワタシには、こんなつまらないことしか言えなかった。もちろん、こんな問いに答えてくれる人はいないし、言葉にしたところで答えが頭の中に浮かび上がってくることもなかったけれども。
そう、ワタシは今。
真っ白な世界、ただ何もない白いだけの場所にいる。へたりこんでその場から動けずにいる。どこかの一室じゃない、この白い空間は確かに、ワタシが存在しているこの世界の全て、だ。なんとなくそう確信している。
浮遊しているようにも沈み込んでいるようにも拡がっているようにも囚われているようにも思えるような。
ただの真っ白。
雪の白さでも骨の白さでも砂の白さでも月の白さでもない。
例えようもないほどの純白、あるいは、白濁、虚無。
たったの一文字目はおろか、インクの染みひとつすらない。遠近感さえ消えてなくなっている。この白に自分ごと溶けてしまいそうな無感覚に陥る。影ひとつすらない白さに何も思いつかなくて、何も考えられなくなっているのかもしれない。
どうしてワタシはこんなところにいるのかしら。
何もわからなかった。何も思い出せなかった。
まるで、ワタシ、という存在の始まりが、ついさっき目を開けたあの瞬間からだったかのように、それ以前のワタシ、というものを全く感じることができなかった。想像すらつかない。
でも、そんなことよりも。
ただ茫然とこんなところでへたり込んでいるよりも。
自分のこともこの世界のことも、何も知らなくても。
こんな真っ白なだけの世界を、世界、だと認識するよりも。
今は、とにかく歩き出さなきゃ。何にも持っていないワタシにできるのはそれだけだもの。
ゆっくりと立ち上がると、さらりと髪が頬に掛かった。足元まである白い髪、色はない。まるでこの真っ白で何もない世界みたいだ。
ワタシの細くて頼りない小さな足が、確かに世界の上に在るのか、それすらも疑わしかった。だって、影も形も、それに、足の裏には何かの感触すらないんだもの。もしかしたら、ワタシはずっとこの何もない世界をふわふわと漂っていただけなのかもしれない。
ワタシがはたして、進んでいるのか退いているのか広がっているのか狭まっているのか上っているのか下がっているのか、そんなことすらあやふやなままだった。
そういえば、ワタシは一体どんな姿なんだろう。
唯一わかることは、この長い髪が、この無機質にも思える手の色は、白い。そして、同じように白いワンピースだけを着たちっぽけな少女だということだけだった。ぺたぺたと顔を触ってみても、それしかわからなかった。あ、角なんかは生えてないから、悪魔じゃないとは思う。
きっと綺麗な泉を覗き込んでみても、自分が何者なのかわからない。人なのか、他の種族なのか、はたまた機械なのか。この世界が白しかないことと、ワタシが無色透明なことと、ワタシが何もわからないのは、はたして関係あるのかしら。
物語のはじまりが、こんなにも夢も希望もなくて、そもそも、この世界には色彩も影も何にもないなんて、そんなこと信じられるかしら。
ワタシはどこに歩き出して、どこに向かうんだろう。
何もわからないのは、何も思い出せないのは、もしかしたらワタシがはじめから何ひとつとして持っていなかったからなのかもしれない。この白紙の1ページ目こそが、ワタシにとってのはじまりはじまりなのかもしれない。そんな思いを振り払う。
ワタシはこんな無色透明なものが世界だと思っていない。
ワタシはもっと世界が色彩あふれるものだと知っている。
ワタシは白い紙の上にだってどんな物語も綴れるのだと信じている。
だから、ワタシは歩き出せる。
何の感慨もなく一歩、足元に草花が咲く。裸の足の裏に土の柔らかさを感じる。
「え……?」驚きながら一歩、木々がざわめく音がした。
もつれるように一歩、一筋の風がワタシの白い髪を揺らした。その感触に思わず目を細める。
もう一歩、今度は赤レンガの石畳。鼻孔をくすぐる街の匂い。
さらに一歩、踏み出してから思わず振り返ると、そこには、森の奥にそびえ立つ真っ白なお城が遠くに見えた。見覚えのない景色に、どこか安心感を覚えた。
そして今ーー
ワタシの足は、確かにこの大きな世界に立ち尽くしていた。
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