雪の生贄、約束の虹

萌伏喜スイ

第1話

 人けの無い森の、奥深く。一面の白銀に一筋の朝日が射し込んで、宝石のように輝いている。


 その輝きを瞳に写した年端もいかない少年が、短い一生を密やかに閉じようとしていた。


『雪龍さまはこの地を見捨てなさったのか』

『生贄を捧げるのだ。なんとしてもこの雪害を――』


 経緯はわからずとも、彼らの言う生贄が自分のことであるのは、一晩の間に理解していた。そして、助けが来ないことも。


「森の、まものに……食べられちゃうの、かな……」


 雪の中を歩き回った足も、真っ赤にかじかんだ指先にも既に感覚はない。柔らかな黒髪も、大きな青い目を縁取るまつ毛も凍りつき霜が降りている。助けを呼び続けた声は枯れ、疲れ果てて木の根元に座り込んだ少年を襲うのは、ただひたすらな眠気だった。


 耳を澄ませると、降り積もる雪の音さえ聞こえる静寂の中で、少年はゆっくりと瞬いた。


「に……じ、が……」


 薄青い空にかかった七色の虹を見止めて、ほんの僅かに微笑み、目を閉じた。




 背を支える柔らかな感触は、少年が経験したことの無いものだった。ふかふかと暖かく自分を包み込むそれらは、少年を微睡みの泉に縛り付ける。


 ぼんやりする頭で現状を把握しようとしていると、すぐ隣で衣擦れの音がした。


「目が覚めた?」

「…………?」

「あなたは森の奥で倒れてたの。あんなところで寝たら死んでしまうから連れてきたんだけど……起きてる?」

「あなたは……森の魔物ですか? 僕を食べる?」

「……食べないわ」


 森には人を喰い、その姿を奪う魔物がいると言われて育ってきたけれど、どうやらこの女性は違うらしい。


 女性のふわふわの銀髪が空に浮かぶ雲のようで、とても美しかったから少年はつい嬉しくなって手を伸ばした。

 髪に触れようとする手を避けることなく、それどころか嬉しそうに目を細めて、女性は少年の頭を撫でる。


「ここは……虹の向こうですか?」

「虹の向こう?」

「そこに行けば暖かくて幸せになれるって、おじさん達が言ってたのです」

「残念ながら、ここは違うわね」

「そうですか……」


 目を閉じる前、確かに空に虹が見えたと思ったのに。自分は行けなかったのか、と嘆息した。雪の舞う中輝く虹だなんて、生まれて初めて見たのに。


「行きたかったなぁ……」

「……あなたが大きくなったら、連れて行ってあげる」

「約束、ですか?」

「えぇ、約束よ」

「うれしいです……」


 これでいつかは虹の向こうに行ける。満足感に満たされると、少年の瞼がとろりと落ちてきた。

 あとは何が知りたいだろうか。


「あとは……おねえちゃんが……」


 一緒に遊んでいたはずなのだけれど、いつの間にか自分だけが森に連れて行かれたから。姉はどうしているだろう。


 しかしそれ以上の質問を口にすることは出来なかった。

 ゆらゆらと優しいのに抗いがたい微睡みが、少年を掴んで離さなかったから。


 そして暖かな布団に包まれて、少年は考えることを放棄した。

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