極楽と地獄

@JULIA_JULIA

第1話

 夏の盛りは過ぎ、残忍なまでに照りつけてたの煌めきも下火となり、やっと涼やかな日和ひよりとなってきた昨今さっこん。そんな、ふとした日のこと。私は寺の敷地から出て、街へと向かった。


 仏の道に身を宿して、三年と少し。つまり、この寺に来てから、三年と少し。そのかん、私が街や村をたずねたことは一度ひとたびとしてなかった。寺の決まりにより、勝手に街や村を訪ねることは禁止されてるので、これまではできなかったのだ。要するに、私がこの寺に来てから街を訪ねるのは此度こたびが初めてのこと。そのため、私の心は軽やかだった。


 私が暮らした寺はかなり辺鄙へんぴな場所に建てられ、その周りはなんとも山深く、すぐ近くに街や村などは一つとして、なし。それどころか、人がマトモに踏み進める道すらも、なし。寺は世間から殆ど隔絶してる感じで、ここの門徒たちはみなが『世捨て人』の如し。仏に身を捧げ、感謝を示し、様々な欲を捨て、鍛練に励む。そんな日々を過ごすのだ。


 寺の近辺には、電車もバスも立ち寄らぬ。よって徒歩にて、人の暮らす場所まで進まねばならん。それは中々に苦となることだ。しかし寺での鍛練によって気力や筋力などは備わったので、なんとか辿り着くことができる筈だ。






 どれほど進んだのか。既には天高くに昇り、真昼になる頃だ。東雲しののめの頃に寺を出たので、七時間ほどが過ぎたことになる。それでも変わらず徒歩を続けるが、まだ街へは着かぬ。しかし進むべき進路は間違ってなどなく、私の健脚はまだ鈍ったりはせぬ。もちろん心もだ。よって私の体は、木々が立ち並ぶ山の中をどんどんと突き進む。






 更には進み、べにをさしたかのように空が染まる。しかし、やはり街へは着かん。辿り着くのは街でなくても構わぬ、別に村でも構わんのだ。しかし、村にも辿り着かん。このままでは、夜になる。流石に野宿をするのは気が進まぬ。この辺の山の中には、鹿や熊などの獣が出没する。鹿に見つかるなら、まだマシだ。しかし熊はダメだ。もしもそんなことになれば、かなりの確率で私の死が定められる。よって、なんとしてでも夜までには人の暮らす場所へと辿り着かねばならん。さもなくば、極楽か地獄へと旅立つことになるやもしれん。






 空が暗くなり始めた。木々が立ち並ぶ山の中は空よりも更に暗く、景色を視認することが難しくなってきた。しかし、まだ街や村には着かぬ。流石にこのまま夜道を進むことなどはできん。そろそろ野宿をする覚悟を決めるべきか。薪を拾って、火を焚くべきか。しかし火を焚くにも、役に立つモノなど所持しとらんのだが・・・。


 そんなことを真剣に熟慮し始めたとき、少し離れた場所の深き藪がざわめく。獣でも出たのかと感じ、瞬時に首を左側へと向ける。そして暗がりの藪に向け、必死に目を凝らす。


 すると視線の先の籔が少し揺らめき、時が経つと共に、その揺らめきは増すことに。それに伴って、ガサガサと煩わしげな響きが耳に届く。風による揺らめきではなく、なにかが出没したのは確かだ。それがなんなのかはとんと分からぬが、藪の揺らめきはどんどんと近寄ってくる。よって私は、腹の底から叫ぶ。


「誰だ!! 獣か!! それとも人か!!」


 この叫びを聞けば、獣ならば立ち去るやもしれぬ。また、人ならば返事をするやもしれぬ。そんな賭けに出て、私は再び叫ぶ。


「誰だ!! 返事をせんか!! 返事をせねば、その身を滅ぼすことになるぞ!!」


 もしも私の叫びを耳にしたのが獣だったならば、返事などはせん筈だ。人間の言葉が獣に分かる筈などなく、従って返事などできん筈だ。よって私は、無茶な言葉を発したことになる。しかしながら、そんなことに気を回してるときではなく、私としても必死なのだ。もしも向かってきてるのが熊ならば、私は死ぬかもしれんのだから。勿論のことだが、私は特殊なチカラなどは持っとらん。よって、何者かを滅ぼすことなど、できはせん。そんなチカラを持ってれば、熊を怖がったりはせんのだ。


「ひ、人です! ワタシは人です!」


 なんとも間の抜けた返事。言葉を発した時点で人間なのは分かったのだから、そこまで語らなくても構わんのに。しかしながら、その返事によって他のことも伝わってきた。なんとも細く、か弱き響き。よって、言葉のぬしは婦女子なのだと判断することができた。


 程なくして藪の中から飛び出してきたのは、やはり婦女子だった。ほぼ全ての肌を隠すが如き服を着込み、なんとも小洒落こじゃれたキャップをかぶって、背中には立派な───片手では持つことが叶わん程のリュックサック。山登りをしてるのか、それともキャンプでもするつもりなのか。ともかく私は婦女子に尋ねる。


「こんなところで、なにをしとるのだ?」


「んと、その・・・。キャンプをするつもり、なんですけど・・・」


 詰まり気味で言葉を発した婦女子。なんだか怖がってる感じだ。先程の私の叫びにより、彼女の心は縮こまってるのかもしれん。なんとかなだめなければならん。彼女は、手放し難き知見の持ち主なのだから。よって私は身に纏ってる衣を彼女に見せた。正しくは、衣に縫われてる寺の名を見せた。


「私は、この寺の者なのだ」


「・・・なるほど」


 私が身元を示したことにより、婦女子の心はそこそこに静まった。そこで私は訊く。


「人の暮らす場所へと向かってるのだが、街や村に辿り着くための道を知らんか?」


「それなら、分かりますけど・・・。でも、この時間からだと、着くまでに暗くなりますよ?」


 やはり、詰まり気味で言葉を発した婦女子。まだ私のことを少し怖がってる感じだ。こちらとしては怖がらせるつもりなど全くなく、ほがらかに接してるつもりなのだが・・・。


「むむ、それは困ったな・・・」


 この瞬間、私が野宿をすることは定まった。よって、婦女子に頼み込む。


「キャンプをするとのことだが・・・。私も共にしてはダメか?」


「っ!? ふ、二人で・・・ですか?」


 婦女子は目を見開き、ほほを引きつらせた。たぶん彼女はソロキャンプをするつもりなのだ。よって私の頼みを聞き、たまげたのだ。


 流石にこんな深き山の中で見知らぬ男女が二人きりで夜を過ごすとなれば───、そんな頼みごとをされたとなれば、婦女子が簡単に首を縦に振らぬことはよく分かる。しかし私が一人で野宿をすることは、それなりに危険なのだ。なんの準備もなく、火を焚くすべもなく、たった一人で暗闇に身を任せるなど、そんなことをできる筈が・・・。


「もしかして、迷ったんですか?」


「ん? んん~・・・、たしかに、迷ってるな」


 私は道に迷った。だから、こんなことになってしまったのだ。俗世ぞくせでの自身の進路に迷った。仏の道に身を宿し続けることにも迷った。そして、街や村へ辿り着くための道にも迷った。更には、この瞬間にも他の様々なことに迷ってるのだ。


「・・・分かりました。では、ワタシとキャンプをしま───」


「なんと!? それはまことか!?」


 婦女子の言葉が耳に届くや、私の口は開かれた。そして彼女の文言もんごんが締めくくられる直前に、言葉を発することとなってしまった。すると婦女子は再び目を見開き、たまげた素振りを見せた。しかし程なくすると心を静め、またもや言葉を紡ぐ。


「でも・・・、一晩ひとばんだけですよ」


「勿論だ、それで構わぬ」


 その一晩ひとばんが肝心なので、私は即座に返事をした。こんな深き山の中で二日も三日も過ごしたくなど───、そんな真似などするつもりはなく、とにかく早く街か村をたずねることが、私の目的なのだから。


 念のための確認を済ませた婦女子はその後、私の無茶な頼みごとを完全に呑み込んでくれた。よって私は謝辞を述べ、感謝の心を示した。これで、なんとかなる筈だ。







 やがて婦女子の導きにより、私は少しひらけた場所へと辿り着く。そこで彼女はリュックサックを体から離し、その中から、なんともこじんまりと畳まれてるテントを取り出した。私は婦女子の助言により、テントの組み立てを手伝った。その後、食事を少し分けてもらって、僅かながらも腹を膨らませることができた。


 そして夜は深まり、眠りに就くときがやってきた。二人で泊まるには中々に手狭なテントの中、私と婦女子はすぐ隣に体を並べる感じで寝転がる。すると程なくして、彼女が口を開く。


「・・・へ、変なことは、なにもしな───」


「待て待て! そんなことをするワケが・・・」


 やはり見ず知らずの私と共に眠ることに、かなりの怖さを感じてる婦女子。そんな、やたらと怖がる婦女子の言葉を途中で止め、私は即座に返事をした。なんとか心を静めてもらわなければならん。流石にテントの外でなど寝たくはなく、また、眠れる気もせん。よって、彼女に安らぎをもたらさねばならん。だから私は必死でさとす。


「限られた食物しょくもつを分けてもらって、寝床まで授かったのだ。これより先を望むことなどはせん、決してだ。ましてや変なことなど、もってのほか。そんなことをすれば私は極楽に辿り着けん。地獄の番人に捕まり、長きにわたる苦難をもたらされ、永遠とわに輪廻の流れから外される。となれば、再び人間として、この世に戻ってくることができなくなる。だから決して、そんなことはせん」


「・・・ですよね。仏様に、誓ってくれますよね?」


「勿論だ」


 私の言葉を聞き、やがて婦女子は目を閉じた。なんとか彼女の心を静めることができた。その後、程なくして私も目を閉じる。






 さてと、少し待つとするか。暫くしてからでも構わんだろ。完全に眠ってから、ヤることにするか。僅かな食事では腹は満たされんかったが、これで欲は満たされる。久しぶりにけるのだから、心は満たされる。






 極楽と地獄。その二つは、なにが異なるのか。死んでしまったら、その先のことなど構わん筈だ。死ねば体は働かず、なにかを知覚したり認識したりすることなども出来はせん。よって辿り着く先が極楽でも地獄でも、別段変わらぬ筈だ。しかも輪廻などはなく、私が死んだところで再び人間として現世げんせに戻ってくることはなく、勿論のこと、虫としてすらも戻ってくることはなく、全てが無になるだけだ。つまり死んでしまったら、そこまでなのだ。間違っても現世げんせに戻ってくることはなく、どんな姿にもなることはなく、完全に無になるのだ。罪や罰を含む全てのことが、完全に無になるのだ。


 そんな真理により、私は善なる道から外れることにした。それは、仏の道に身を宿してから四年目のことだった。真理に気付くまでに三年二ヶ月も掛かってしまった。なんとも無駄な時間を過ごし、無駄な鍛練を積んだものだ。そのことを歯痒くも感じる。しかし、別の見方もできる。寺に来たからこそ、真理に気付けたのかもしれんのだ。仏の如くに悟りを開くことはできなかったが、真理には辿り着けたのだから、ここはヨシとするか。




 今朝、私は夢から目覚めるや、寺の衣を纏ったままの姿で、それなりに世話となった場所から去った。仏の道に身を宿し続けることに見切りをつけ、寺から去った。そして、山をくだった。その道すがら、何人かの門徒から引きめられた。しかし私の覚悟は鋼の如くに強く、彼らの説得は無駄となった。


 門徒たちはなんの欲も持たず、『世捨て人』にして、まるで死人の如し。しかしながら私は、彼らとは違った。なんとも強き欲が死ぬことはなく、眠りすらもしなかった。よって、寺から去ったワケだ。


 極楽と地獄に、異なる点など見つけられん。即ち、どちらに向かっても構わんのだ。死ねば、それまでだ。輪廻など信じるワケがなく、今世こんせが全てなのだ。よって、たぎる欲を発散せねばならん。






 さてと、完全に寝静まったか・・・。では、そろそろくとするか。久々にヤるとするか・・・。




 これから、私にとっては極楽の時間がやってくる。しかし、この婦女子にとっては地獄の時間となる。彼女は私に良くしてくれたので、今度は私が彼女を気持ちよくしてやらんとな。できる限りは努力してみるか。少しでも感じさせて、地獄のときが極楽の如き気持ち良さへと変わることを願わんばかりだ。


 それが、せめてもの情けだ。



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