三人の頭の中

 アルバートの言葉は、冗談のようでいてどこかあたたかい、と思うのもつかの間。まさかそれがひっくり返されようとはさすがの当人も思いもしない。


「さて、セリウス。そろそろ本題に入ろうか」


 アルバートは椅子に腰掛け、足を組みながら冷たい笑みを浮かべた。その声に、部屋にいたエヴァンスは「え」と短く目を剥いた。


「今のは本題じゃなかったんですか」


 セリウスは眉間に皺を寄せたが、アルバートは一瞬も間を置かずに口を開く。


「君が招待された、明後日の元婚約者殿の婚約披露の為の夜会。パートナーはどうするのか決めたのか?」


 その一言に、セリウスは顔色を青くし、思わず無言でエヴァンスの方に視線を向ける。だが、エヴァンスはまるで興味がないかのように壁に寄りかかり、素知らぬ顔をしている。


 セリウスは慌てた様子で再びアルバートに向き直った。


「そ、それは…その…」


「やれやれ、全く考えていなかったとは恐れ入った。女性の知り合いの一人や二人、君くらいならどこにでもいるだろうに」


 アルバートの冷たい言葉に、セリウスは思わず肩をすくめた。アルバートの言葉はいつだって鋭い。しかも、彼はすでにすべてを把握しているかのような態度だ。


「まぁ、君の事情なんてどうでもいいが、ひとつアドバイスしてやろう」


 アルバートはわざとらしく身を乗り出し、言葉を続けた。


「夜会にパートナーは必須だ。しかも君の昨日の醜態を考えるに、退屈だらけの社交会にとって格好の餌。目に見えるアクセサリーとして君を覆い隠すような話題を提供しないと大変な目に遭うぞ」


「アルバート!!」


 話の内容がよく掴めないと困惑顔のセリウスに、耳で聞き流しながらも先に真意をくみ取ったエヴァンスが珍しく怒りを顕にしてアルバートに声を上げる。


 それ以上言うと殺す、と殺気を纏わせるエヴァンスに肩を竦め紅い眼の男は構わず続ける。


「もう一度言うが、ああいう場には女性のパートナーは必須だ。君以上に目立つ外見もしくは面白みの欠片を提供してくれる誰か―――。万年派手な頭のフェリュイーヌ男爵令嬢でもいいが、君とは直接の接点はなかったから今から誘うのは難しいだろう」


「アルバート」


 噛みつくような視線を平然と受け流し、アルバートは自分の考えは間違っていないことを確認するように顎に手を当てて何度か頷いた。


「アルヴィス・クロフトを連れて行け。彼女と行けば、少なくとも君が注目を浴びることは避けられるだろう」


 セリウスはまたしてもその名前を耳にし、心の中でアルヴィスを思い浮かべる。


 しかし彼女との接点がほとんどないことを思い出し、急に言葉が喉元で詰まった。


 それに、何故「アルヴィス・クロフト」を連れて行くことがアルバートの失態を覆い隠す装飾具としての役割を果たすのか全く分からないでいた。


「アルバート。却下だ。その考えは俺としては全く無視できん。殺すぞ」


 エヴァンスの言葉に、アルバートは肩をすくめ、まるで退屈しのぎのように目を細めた。彼の冷徹な笑みが、部屋の空気をますます重くしていく。


「ほう。やってみるか? 随分久々だから腕が訛っているかもしれんが、また私に叩き潰されたいのか、エヴァンス」


 エヴァンスの瞳はまさに怒りの火花を散らしアルバートと視線を交わしたままじり、と一歩前に踏み出す。


「なぜだ、エヴァンス?彼女を連れて行けば、セリウスがしでかした紳士としての失態も完全には薄まりはしないだろうがある程度は効力が見込めるだろうし、身分的にも問題はないだろう。彼女は貴族の端くれだ」


「よくまぁ調べたものだな」


 皮肉を込めて睨みつけるがアルバートは愉悦を瞳に滲ませて微笑んだだけだった。


「元婚約者の彼女…何という名前だったか」

「イヴリン・ラスフォード」


 うわ言のように弾かれて答えたセリウスの声に、アルバートは一つ頷く。


「そう・・・・ラスフォード嬢の晴れの舞台に、彼女に振られた男の醜聞が持ち上がるようなことがあってはならない。紳士として、君たちの友人としてそれは見過ごせない。それにラスフォード家は確かエヴァンス。君が趣味でやっているこの診療所のささやかな支援者の一人であったと記憶しているが違うか?大切な愛娘のめでたい婚約の場に、元婚約者の男がしでかした失敗をぬぐう気もない友人の君の存在をラスフォード氏が知ったらここはどうなるだろうな」


 軽い脅しのような文言ではあるが事実ではある。


「……」


 アルバートの冷徹な眼差しがエヴァンスを見据える。


「お前がいくら避けようと状況は変わらない。セリウスの失態をうまく処理しなければ、今度こそ診療所の存続すら危うくなる」


 アルバートの言葉は痛いほど現実的だ。


 診療所をこの先も長く維持し、当たり前のものにするためにはただの金や権力の行使だけではだめなのだ。根回しを支えてくれる理解ある支援者を得る必要がある。


 だが、そのために彼女を「使う」のは間違っている。


「アルヴィスは――俺の大切な友人だ。彼女を使いたくない」


「だが君も、私と同じように選択肢が一つしかないことはわかっているだろう。あの唐変木が今から上半身を脱ぎ捨てて、歌いながら街中を走り回るのなら別だがね」


 赤い本でアルバートが示す先に頭を抱えて妄想の世界にふけっている男がいた。


 そもそも、コイツがしでかしたことが原因で自分までとばっちりを受けているという事実を思い出し、エヴァンスは沸騰する感情をそのままにセリウスの横腹に大きく蹴りを入れようとした。が、さすがの反射神経で魔の手から逃れた彼は、「何するんですか!」とまるでこちらに非があるように声を荒げる。


 ますますはらわたが煮えくり返って、エヴァンスは『逃げるなよ』と低く呟いたのち、間髪入れず回し蹴りをお見舞いするが、それもさらに躱されてしまい、行き場のない怒りだけが煮えたぎっていく。


「逃げるなといっただろうが!」


「何するんですか、急に! 危ないですよ!!」


 上手く避けながら応戦するも、原因がわかっていない様子でセリウスの動きはやや鈍い。


 エヴァンスとセリウスがじゃれ合う様子を眺めながら、アルバートは椅子に座り直して本の隙間から深いため息をついた。



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