ヘイウッドと名乗る男

 メモから視線を外して、青年はやや強い眼差しで問いかけてきた。


 不躾ではあったが、彼の中ではまだ自分への不信感が拭えていないのだろう。アルヴィスでさえそうなのだから当然のことだ。


 問いかけに一つ頷いてから答える。


「私はエヴァンスの友人で、ごくたまに診療所の手伝いをしています。と言っても、数か月に一度くらいの頻度なので、ご存じないかとは思うのですが。主には、薬の在庫のチェックと、必要に応じて発注や補充などを手伝っています。こちらを」


 言いながら左手に持ったままになっていた在庫チェック済みの書類を彼に手渡した。


 青年は受け取りながらページをめくり、何度か頷くと、それをアルヴィスに返す。


「そうでしたか。ご挨拶が遅れました。私はセリウス・リヴェンティール・ヘイウッドと言います。エヴァンスとは長い付き合いで、彼の数少ない友人の一人です」


 長い付き合いの、友人のセリウス。


 はて、聞いたことがある名前だと、記憶を呼び覚ませば思い当たる単語にぶつかり、ぽん、と両手を打つ。


「…あ!エヴァンスがよく話している、ヘイウッド伯爵ですね。――、と失礼いたしました」


 記憶の名前と目の前の人物の姿が合致して、思わず素の表情で返してしまったが、すぐさま非礼を詫びる。


「そうです。たぶん……、その、ヘイウッドです」


 セリウスは気にした様子もなく、別のことに気がとられていたようで、「あの人はなんと吹き込んだんだ」と呟きながら頬を搔いている。


 アルヴィスは彼の名前に聞き覚えがあった。


 エヴァンスがよく話していた「旧友というか悪友」の名前が頭に浮かぶ。ヘイウッド伯爵の正式な名前は確か、セリウス・クレイヴン・リヴェンティール・ヘイウッド。数年前、正式に爵位を継承した彼は、ヘイウッド家の長男であり、複数の領地を所有しているため、子爵号も保持している。ただし、最も高い爵位である伯爵位が彼の主たる爵位であり、そのため一般的には「ヘイウッド伯爵」と呼ばれている。


 彼女は記憶を手繰り寄せながら、できるだけ失礼がないように丁寧にお辞儀をする。


「お会いできて光栄です、ヘイウッド伯爵。ファロンヴェイルのアルヴィス・クロフトと申します」


「クロフト嬢。どうぞよろしく」


 セリウスはそう言って片手を差し出してきた。アルヴィスは慌てて書類の束を机に置くと、緊張でわずかに浮き出た汗をさっとスカートでぬぐってからそっと握り返す。


 ひんやりとした少し冷たい体温にやや驚きながら、にこやかに返す。


 短い握手が終わり、そっと手が離すと彼は思い出したようにこめかみに手を当てて、痛みをこらえるように目を瞑った。どこか具合でも悪いのだろうか。


「あの、大丈夫ですか?」


 仰ぎ見るように視線を送れば、セリウスはややあって苦笑しながら答える。


「こんなみっともない姿を婦人に晒して、いまさらという感じなのですが、恥のついでにお伝えすると、昨晩つい飲み過ぎてしまいましてね。エヴァンスの助けを借りようと思ったのですが、タイミングが悪かったようです」


 さて、どうしたものかと困ったように片頬を指先で引っ掻いている。


 見れば顔は青白く、目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。握り返した指先をふと思い返せば少し冷たかった体温も気にかかる。医師ではないので風邪薬の処方はできないが、「飲み過ぎで気分が悪い、もしくは二日酔い」なのだとしたら、軽い対処法くらいならアルヴィスにも可能だ。


「お薬をお持ちしましょうか?軽減する程度のものですが、ないよりはましだと思います。頭痛と胃のむかつきに効くものです」


 セリウスがパッと顔を上げて、こちらを見た。その瞳には驚きと気恥ずかしさが浮かんでいるのが見て取れる。


 医療従事者でもないただの娘が何を言い出すのかと思われたのかもしれない。通常の反応だと思い至り、アルヴィスは慌てて付け足した。


「断っていただいても構いません」


 けれど予想に反して、セリウスは小さく頭を横に振り、小首を傾げて嬉しそうに目を細めただけだった。


「申し訳ないけれど、とても助かります。クロフト嬢、ご迷惑でなければお願いしてもよろしいですか?」


「迷惑だなんてそんな。私にできることなら、喜んで」


 セリウスの一言に安堵と嬉しさがこみあげて、アルヴィスははにかんだ表情で答える。彼に背を向けると、軽い足取りで隣の備品室に足を向けた。


 



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