第19話 潜入(ゼノン視点)

そろそろ頃合いか。


お嬢とトラヴィスが会場に入るのを見届けてから馬車を移動させた後、俺は他の馬車の出入りと警備の動きを観察していた。


(あの馬車の影を通って、そっちの馬車の裏を通ればいいな)


俺は屋敷に忍び込むルートを目算する。そろそろ、お嬢と別れたトラヴィスが俺との合流地点へと向かっている頃だろう。


(よし、警備が動いた。今だな)


俺は馬車の影に紛れて屋敷の方へと移動した。日が落ちてから開かれる夜会のおかげで、辺りは既に闇に包まれている。


俺の得意とする時間だぜ。


サッと屋敷の影に入り、辺りを警戒する。


よし、誰もいねぇな。

んじゃ、よっと。


俺は近くにあった木に飛び上がると、ヒョイヒョイと隣の木、更に隣の木へと登り移っていく。とある木の3階の高さまで登ると、目の前の窓が開かれた。


「さすが元『黒鴉』。時間ぴったりだな」


打ち合わせ通り、トラヴィスが開けた窓から俺は屋敷に侵入する。


だから、それ止めろって。

金輪際『黒鴉』の名は口にするなよ。特に、お嬢の前ではな!


『黒鴉』……国王直属の諜報組織と言えば聞こえがいいが、実際は人の命を何とも思っちゃいねぇ暗殺集団だった。一応、諜報活動もしていたけどな。


何せ、あの腐った国王が作った組織なんだから当然だろう?


金を積まれりゃ人殺しだろうが何だろうが平気でやる連中ばっかりだったぜ。

んなこと、お嬢には知られたくねぇんだよ。


「止めろ。今の俺はアネットお嬢様に仕える只の執事だ」

「分かったよ」


ギロリと睨めば、トラヴィスは肩を竦めた。


さて無駄話は、このぐらいにして任務を遂行しようじゃねぇか。


俺とトラヴィスは人目を避けつつ、目星をつけていた部屋に向かう。とは言っても、夜会で人は出払っているようで誰とも遭遇することなく、すんなりと目的地に着いた。


「この部屋だね。むっ、鍵がかかっている」


トラヴィスがドアノブを捻ると、ガチャリと硬い音がする。


「こういう事もあろうかと持って来ておいて良かったな」


言いながら、トラヴィスは懐から何かを取り出す。

それはピッキング道具だった。


侯爵様が、んなもん持ってていいのかねぇ?

というか、ちゃんと使えんのか?


トラヴィスはピッキング道具を鍵穴に差し込む。

そしてガチャガチャ……ガチャガチャガチャ。


「おい、貸せ」


んな何度も長いことガチャガチャと音を立てたら、誰かに気付かれちまうだろうが!


それに鍵穴に傷が付く!

侵入したことがバレるだろうが!


素人か、アンタは!

いや、素人だったな。


俺はトラヴィスからピッキング道具を奪うと、鍵穴の前に屈んだ。


こんな部屋に鍵を掛けるなんざ、大事な物があると言ってるようなもんだよな。


そんな事を思いながら、この部屋で間違いないと確信して指を動かす。カチャリと施錠が解除される音がした。


「ほらよ」

「さすが、元『黒」

「それ以上言ったら、その口、二度と開けないようにするぞ」

「いや、失敬」


低い声で脅すと、トラヴィスは困ったように笑った。


コイツ、本当ムカつく奴だ。この件が終わったら、二度と会いたくねぇ。

でもきっと、そうはならねぇんだろうな。


長年磨かれた俺の勘は、そう言っている。


「さて、どこを探すかな。暗くて、よく見えないが」


開けた扉から音を立てずに部屋に入ると、トラヴィスは辺りを見回して呟いた。夜の薄暗い部屋の中、明かりを点けるわけにもいかず、トラヴィスは近くの棚を手探りで物色している。


あの見取り図じゃ内装までは把握できなかったからな。

どこに何があるかは部屋に入ってみるまで分からねぇ。


けど、俺は入って直ぐに分かった。

あそこが怪しい。


「おい、適当に触って音を立てるなよ」

「あぁ、分かっている。って、もしかして君は、この暗がりの中でも見えているのか?」

「当たり前だろう」


俺が迷いもなくスタスタと歩くので、トラヴィスは不思議に思ったようだ。


何言ってんだ、コイツ。

諜報員が暗闇の中で動けなくて、どうするよ。


アンタが言ったんだぜ、さすが『黒鴉』って。

特に俺は夜目が利く方だからな。バッチリ見えてるぜ。


それより、もうアンタは動くなよ。

下手に物を落としたり、躓いたりして音を立てられたら厄介だ。


という俺の懸念を余所に、トラヴィスは棚から本を取り出そうとして、手前にある置物に手をぶつけた。


「おっと」

「おい!」


俺が咄嗟に手を出して受け止めたから、置物は床に落下せずに済んだ。


言ったそばからかよ!

どう考えてもコイツ、足手纏いだ。


そもそも俺は単独行動派なんだよ。

誰か一緒だと足を引っ張られるからな。


ん?


もしかしなくても、コイツいらなかったんじゃね?

お嬢の同伴者として、俺がついて来れば良かっただけじゃねぇか?


使用人の同行が許されていない会場への出入りは、いつもお嬢に禁止されていたけど、今回は侯爵家の依頼で動いているんだから問題なかっただろう。


トラヴィスは俺にも、ある程度の権利を与えるって言ってたしな。


かぁ~!

今頃気づくとか、俺も鈍ったねぇ。


お嬢の仕事は緩いから、焼きが回ったか?

命のやり取りとかねぇもんなぁ。


ハァ……まったく、とんだお荷物をかかえちまった。


まぁ今更、嘆いても遅い。さっさと用を済ませて、お嬢を迎えに行って帰ろう。このメイクも早く落としたいしな。


「もう余計なもん触るなよ」

「あぁ、分かった」


思わず圧のある口調になると、トラヴィスは大人しく両手を上げた。


さっさと終わらせるべく、俺は怪しいと当たりを付けていた所まで音も立てずに歩く。そこには振り子時計が置かれていた。近くの床に触ると、微かに削れたような凹みを感じる。


これだな。


振り子時計の外側や、扉を開けて中を手探りで触れていると、小さな突起を見つけた。それを押すと―――


ズズズッ


小さな音を立てて、振り子時計が横へ動いた。床の凹みは何度も振り子時計を動かしている内に削れて出来たものだ。


やっぱりな。

図面を見た時、やけに壁が厚いと思ったんだよ。


振り子時計があった壁には簡素な取っ手が付いている。これまたご丁寧に鍵がかかっているので、先程のピッキング道具を使って―――


カチャリ


「ほらよ、これが証拠だろう」


開錠の音と共に、あっさりと開いた壁の扉。その中には思っていた通りの物が入っていた。厳重に仕舞われていた数枚の書類を取り出すとトラヴィスに渡す。


「凄いな、一瞬で見つかるとは。さすが」


ジロリ。


「さすがアネット嬢の執事だな」

「そりゃ、どうも」


暗くて見えないだろうが、睨む気配は察知したみたいだな。

そう、室内は暗いんだよ。


「ところで、その書類の内容、見えてんのか?」

「…………」


トラヴィスは答えない。


やっぱり見えてねぇのか。

まぁ、そんな気はしてたわ。


「重要そうなのを1、2枚持ち帰って、残りは書き写しておくか?」

「頼めるかな?」

「安心しな。それも報酬の内だと思ってるぜ」


俺はササッと書類に目を通して、特に重要だと思われるものを2枚ほど選んだ。

そして懐から紙とペンを取り出すと、残りの書類を記号で書き写す。


あぁ、これは速記みたいなもんだ。記号を使った方が短く、早く書けるからな。

あとで書き直してトラヴィスに渡せばいいだろう?


写し終わると、書類を元通り仕舞っていく。


何故、書類を残すのかって?

そりゃ全部持ち帰ったら、書類が盗まれた事に気付かれちまうからだよ。


今回は、こちらが証拠を掴んでいることを悟られないようにするのがポイントだからな。こうしておけば、パッと見ただけじゃ書類がなくなっていることにコワルスキーも気が付かないだろう。


さぁ、ずらかるぞ!


壁の扉を施錠して、振り子時計も元に戻し、部屋の鍵も掛け直す。


「素晴らしい手際だね。やはり我が侯爵家に欲しい人材だ」

「言っただろう? 俺を使えるのは、お嬢だけだって」

「そうだったな、残念だよ。せめて祝杯の一杯ぐらい付き合ってくれるかい?」

「悪いが、お嬢の前で酒は飲まないようにしてるんだ」

「あぁ、そうか。そうだな、アネット嬢の前で飲酒は控えるべきだろう」


お嬢の父親は酒に溺れて身を崩している。

酒の所為で、お嬢の人生はめちゃくちゃだ。


お嬢は言わないが、飲酒はタブーな気がしている。

その事をトラヴィスも察したようだ。


ウィンター家の事情が、どこまでコイツに知られているんだろうな?

きっと俺が隠蔽したこと以外は全部知られてんだろうよ。


話している間に、侵入した時と同じ窓に近づいた。


「んじゃ、お嬢を迎えに行ってくれ。俺は馬車を回しておく」

「あぁ、任せてくれ」


俺が窓から飛び降りると、トラヴィスは窓の鍵を掛けた。


これで直ぐに侵入がバレることはないだろう。

あとは、お嬢だが……笛が鳴らなかったんだから無事ってことだ。


でもまぁ、お嬢の顔を見るまでは油断は出来ないけどな。

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