偽物聖女と血みどろメイドスカート

糸電話

第1話 プロローグ

 私には、たった一人の従者がいる。見栄っ張りで弱虫な私を、それでも支えてくれる大切な友人が。従者兼、友人兼、奴隷兼、恋人。それが私とソリアの、端的な関係であった。

 ガタンガタンと馬車が揺れる。どうも気まずいことがあったばかりなので、いつもなら肩寄せるのに私たちの間には距離があった。

「何遠慮してるんですか。私は元気なリアンシェーヌ様が見たくてここに連れてきたのに」

 ソリアがポンポンと、自分のスカートを叩く。私が首を傾げると、彼女はため息をついた。

「膝枕ですよ。好きなんですよね、これ」

 そういえば出会ったばかりの頃、そんなことを口走った記憶がある。気安い関係というのが憧れで、妙に私はスキンシップを求めていた。

「では、お言葉に甘えて」

 私はぱたんと横に倒れて、ソリアを見上げる。差し込む光は、太陽の香りがした。

「ソリアさんは優しいですよね。私はもうずっと、それに何も返せていないような気がします」

 私の寝心地が良くなるようにか、ソリアは膝を適度に傾ける。柔らかい。

「私はまだまだ、リアンシェーヌ様に借りを返せていませんけどね。何せ、命の恩ですから」

 一年前、当時奴隷だったソリアを、私は強引に買い取った。しかし裏を返せば、私が彼女にしてあげられたことはこれだけだ。

「恩ならもう返されていますよ。お釣りの方が多くなるくらいです」

「命の恩は、一生返せないものだと私は思いますけどね」

 それは、現在を前提とした話だ。私がいなくてもソリアは助かったかもしれないし、そもそも命を助けられたからといって、それ以降の人生を全て恩人に捧げるのは過剰だ。だって、助けられたからと恩返しだけが人生になるのなら、それは死んでいるのと変わりがない。

「命の恩なら相殺です。ソリアさんがいなかったら、私はきっと、私を殺していましたから」

 嘘ではない。私は本当に、贖罪を気取って死ぬつもりであった。私がこうして呑気に膝の上に寝そべっているのは、ソリアが必死に、私を慰めてくれたからである。

「恩なんて、着せておいた方が得ですよ。そんなことを言っては、損をするだけです」

 暖かい手のひらが、私の頬を撫でる。幸せなのに不安になるのは、きっとこの契約関係がひどく歪であるからだろう。友達だなんだと言っても、私たちは客観的には、奴隷と主人の関係でしかない。

「このままだと私は、ソリアさんに頼り切りになってしまいます。だから、それが当たり前になる前に、ご褒美をあげたいんです」

 ソリアはいつだって、私に献身的だ。このままでは私は、不誠実であることを自覚できなくなる。そんな確信があった。

「では我儘を言っても良いと、そういうことですか」

「いくらでも聞きますよ。私にできることなら、なんだってやります」

 ソリアは何か言おうとして、私の顔を見て躊躇った。意外だ。彼女は断るにしろ受け入れるにしろ、すぐに決断する方なのに。

「前に、約束をしたはずです。我儘を言うのは、恩返しをしてからだと」

 私の頬を撫でる手が止まる。雲で夕陽が隠れる。

「今がその時だと、思って良いのですね」

「そんなに念押ししなくても、私は断ったりしませんよ」

 ソリアの眼光が、黒く輝く。

 長い沈黙で、隠れた夕陽が本当に落ちる。御者が明かりをつけるまでの間、表情が見えなくなる。

「殺したい人がいるんです」

 ソリアは、淡々と呟いた。思ってもみない言葉だった。

「え?」

 はっきり聞き取れたのに、私は聞き返す。胸が冷たくなるような感覚の中、ソリアがほんの少し、私に顔を近づける。

「奴隷だった頃の日々を、どうしても忘れられないんです。あの場所で唯一の友人が殺された時、私は何もできませんでした」

 聞き間違いではないと、やっと自覚する。致命的な寝坊をした時みたいな、絶望感が刺さる。

 私は彼女が、そんな苦しみを抱えているなんて思ってもいなかった。

「リアンシェーヌ様に報いるべきなのか、友人に報いるべきなのか、ずっと悩んでいたんです。それできっと、もう機会は巡ってこないだろうと思っていたのですが」

 石でも踏んだのか、馬車が大きく揺れた。膝から頭が落ちそうになったので、ソリアが私を片腕で支える。

 道が悪いのか、どうも枕が安定しない。 

「手伝って欲しいとまでは言いません。私がその人を殺すことを、見ないふりして欲しいんです」

「それは……」

 殺人は、倫理的にも法的にも最も許され難い罪の一つだ。ソリアが友人の仇を取りたいという感情は理解できるが、奴隷の殺害が罪にならない以上、ソリアの行いに正当性はない。おそらく、ソリアは一方的に裁かれることになるだろう。

 いいや、第一に、友人に殺人なんてさせられるものか。

「ダメです。そんな辛いこと、ソリアさんにさせられません」

 ソリアが曖昧に笑う。文句を言うでもなく、受け入れる。

 それでソリアが、旧友と私とで私を優先したのだと、なんとなく察した。

「手伝わせてくださいよ。できることならなんでもするって、今言ったばかりじゃないですか」

 私の心は、ソリアに確かに救われた。それなら今度は、私が救ってあげないといけない。

 ソリアに殺人なんて、絶対にして欲しくない。もしもソリアがその命を復讐に使いたいというのなら、私が代わりに差し出さないと。

 そうしないといけないって、心から思った。



 


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