第7話 決別の時

昼下がりの冒険者ギルド。窓から差し込む陽光が、会議室の床に長い影を落としていた。


「はぁ」


レオンは、目の前に置かれた除籍届を眺めながら、小さく息を吐いた。紙面には几帳面な文字で、彼のパーティーからの除籍が記されている。


「で?これに署名すれば終わり?」


「ああ、そうだ」


ガイウスの声は、いつになく低く沈んでいた。朝の激しい言い合いから数時間。パーティーリーダーは正式な手続きのために、再びレオンを呼び出したのだ。


「随分と几帳面だね」


レオンは薄く笑みを浮かべる。


「こういう時だけ、妙に事務的になるんだ」


「黙って署名しろ」


ダグが苛立たしげに言い放つ。朝の一件以来、彼の目つきは一層険しさを増していた。


「まあまあ」


レオンは懐から万年筆を取り出した。その光景に、ミレイアの表情が一瞬こわばる。


* * *


三年前、パーティー「無限の旅人」として初めての依頼を完遂した日。全員で報酬を分配する際、レオンは街一番の文具店に立ち寄った。


「記念に、これを買おうと思うんだ」


当時の彼は、まだもう少し柔らかな表情をしていた。


「これからパーティーの会計は俺に任せてくれるんだろう?だったら、ちゃんとした道具が必要だからね」


「高級品ね」


セリアが覗き込んで言った。


「でも、あなたらしいわ」


「きれいな万年筆ですね」


ミレイアも目を輝かせていた。


「レオンさんの字って、とても綺麗だから似合うと思います」


「へへ、そうかな」


照れくさそうに頬を掻いた彼の姿は、もう誰の記憶にも残っていないのかもしれない。


* * *


「ちゃんと確認くらいはさせてもらうよ」


現在のレオンは、冷静な声でそう告げた。


「何を…」


セリアが噛みつくように言いかけたが、レオンは構わず除籍届の内容を読み上げ始めた。


「『パーティー『無限の旅人』は、以下の理由により、レオン・クラウゼンの除籍を決定する』…ほう」


彼は興味深そうに目を細める。


「理由が丁寧に書いてあるじゃないか」


「当然だ」


ガイウスが腕を組む。


「全て事実だからな」


「『一、パーティーの方針に反する独断的行動』…なるほど」


レオンは続けて読む。


「『二、戦闘における消極的態度』『三、他メンバーとの協調性の欠如』…」


彼は小さく笑う。


「興味深い指摘だね」


「お前が認めるなら」


ダグが冷たく言う。


「さっさと署名して、出ていけ」


「でもね」


レオンは万年筆の蓋を開けながら、穏やかに言った。


「この除籍理由には、少し考えさせられる点がある」


「何?」


「例えばさ」


彼は除籍届に目を落としたまま続ける。


「『パーティーの方針に反する』というのは、単に意見の相違を指摘しているに過ぎない。でも、その意見のどちらが正しかったかは、まだ証明されていない」


レオンは一呼吸置いて続けた。


「むしろ、昨夜の失敗は、俺の提案を無視した結果として起きた。これは客観的な事実であって、感情的な解釈じゃない」


「へりくつを…!」


セリアが身を乗り出すが、レオンは平然と話を続ける。


「『戦闘における消極的態度』。これも面白いよ。戦闘に参加しなかったのは事実だけど、その結果として何が起きたか。君たちは完全な失敗を経験することになった」


「つまり、私たちを試したってこと?」


ミレイアが悲しげな声で問いかける。


「そう考えることもできるね」


レオンは軽く肩をすくめる。


「でも、もっと正確に言えば…」


万年筆を除籍届に走らせながら、彼は続けた。


「最も効率的な教訓を与えようとしたってことかな」


署名を終えると、レオンはすっと立ち上がった。


「さて、これで正式に決別だね」


「ああ」


ガイウスも立ち上がる。


「これでお前との関係は完全に終わりだ」


「そうだね。でも」


レオンは除籍届を丁寧に折り、相手に手渡す。


「最後に一つ、計算結果を教えておこうか」


「また計算か」


ダグが嘲るように言う。


「お前の大好きな数字の話か?」


「うん。この3年間、俺が『価値転換』で高めた素材の総額。それに、俺の提案で選んだ効率的なクエストでの純利益」


レオンは懐から帳簿を取り出す。


「合計すると、なんと150万ゴールドになる」


「なっ…」


セリアが息を呑む。


「そんな額が…」


「全て帳簿に記録があるよ。必要なら、ギルドの記録とも照合できる」


レオンは穏やかな表情で続ける。


「この金額が、君たちの『方針』で得られたはずの利益とどれくらい違うのか。それを計算するのは、もう君たちの仕事だ」


「レオン…」


ミレイアが震える声で呼びかける。


「最後まで、そうやって…」


「数字で語るしかないさ」


彼は帳簿をしまいながら答えた。


「だって、感情じゃ何も証明できないからね」


「出ていけ!」


ダグが怒鳴る。


「もう二度と、顔を見せるな!」


「ああ、その心配は無用だよ」


レオンは軽やかに部屋の出口に向かう。


「これからは、もっと効率的な道を歩むつもりだからね」


ドアに手をかけた瞬間、彼は最後に振り返った。


「そうだ。これ、君たちへの最後の贈り物」


レオンは机の上に一枚の紙を置いた。


「次の一ヶ月の収支予測。このままじゃ、資金はあと三週間で底をつく。その時のために、いくつか対策を書いておいた」


「何のつもりだ?」


ガイウスが警戒するように言う。


「最後の親切心とでも言っておこうか」


レオンは薄く笑う。


「感情で動く君たちには、きっとこの予測も無視するだろうけどね」


「うるさい!」


ダグが書類を手に取り、びりびりと破り捨てる。


「お前の余計な世話は必要ない!」


「まあ、予想通りの反応」


レオンは肩をすくめ、悠然とドアを開けた。


「じゃあ、これで本当にさよならだ」


廊下に出ると、後ろでドアが激しく閉まる音が響いた。一瞬、万年筆を購入した日の笑顔が脳裏をよぎる。だが今は、それすら効率的ではない思い出に過ぎなかった。


「さて」


レオンは窓から差し込む陽光に目を細める。


「これで、やっと自由な投資活動ができる」


彼は新品の手帳を取り出し、ページを開く。そこには、既に几帳面な文字でびっしりと計画が書き込まれていた。


『FIRE達成計画 ver.1.0』


「本来なら、あと二年は準備期間が必要なはずだった」


レオンは階段を降りながら、独り言を続ける。


「でも、これなら…そうだな。一年以内に達成できるかもしれない」


ギルドの入り口に差し掛かったとき、彼は足を止めた。振り返ると、二階の窓からパーティーメンバーたちが彼を見下ろしているのが見えた。


「ふん」


レオンは小さく笑い、背を向ける。


「きっと近いうちに、この決断が正しかったって分かるはずさ」


彼の足取りは軽かった。これまでで最も軽やかだったかもしれない。


街の喧騒が、新たな冒険者の誕生を祝福するかのように、レオンを包み込んでいった。


それは、誰にも縛られない、真の冒険の始まりだった。



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連続投稿7話目です。

よろしくお願いいたします。

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