15:五指に入る力を持つ聖女

 三人で歩き回った結果、『魔穴』に通じているのは村の古井戸だとわかった。

 朽ちた古井戸からは赤黒い瘴気が絶えず噴き出している。

 尋常ではない高濃度の瘴気を噴水の如く噴き出す古井戸――まるで悪夢のような光景だった。


(これは聖女以外の人間が近づくのは厳しいわ。下手をすると死んでしまう)

 瘴気に侵されたルーファスの左腕を思い出し、身震いする。


「危険だから、ラスベルたちはここで待っていて」

 エレンティーナは浄化を済ませた安全圏にラスベルたちを残して歩き出した。

 一歩一歩、近づくたびに寒気が強くなり、ぞわぞわと鳥肌が立つ。

 本能の警告に従って逃げ出そうとする足を意思の力で抑え込み、エレンティーナは古井戸の前に立った。


「大丈夫か? 無理するなよ?」

「少しでも具合が悪くなったら戻ってきてくださいね」

 背後から二人の心配そうな声が飛んでくる。


「ええ。ありがとう」

 振り返って微笑む余裕はなかった。

 辺りに充満する濃い瘴気のせいで息が苦しい。

 見えない手で内臓を引っ掻き回されているような不快感。


(負けて堪るものですか)

 目を閉じて精神統一し、エレンティーナは杖を握って唱えた。


「天の御座にあらせられる慈愛の女神ディナリスよ。

 聖なる光をもって、この地を覆う穢れを祓い給え。

 深き闇より生まれし 『魔穴』を封じる力を我に与え給え――」


 エレンティーナの周囲が柔らかな光に包まれた。

 光は徐々にその輝きを増し、やがて爆発するように弾けた。

 眩いばかりの神聖な光は古井戸を包み込み、勢いよく噴き出していた瘴気は風に吹き散らされるかのように搔き消えた。


 光が収まった後、しばらくしてエレンティーナは目を開けた。

 恐ろしい瘴気の噴出口と化していた古井戸は、ただの無害な古井戸としてそこに在った。

 辺り一帯の瘴気は完全に浄化されたらしく、もう息苦しくない。

 瘴気の影響で赤く霞んでいた空は青く晴れ、綺麗に澄み渡っている。


 不意にエレンティーナの足を背の高い雑草がくすぐった。

 見回せば、見渡す限りの大地に草花が生えている。

 右手に見える畑にも、雑草に混じって作物が豊かに実っていた。


 これが自分の起こした奇跡だと思うと誇らしい。

 ロベリア大神殿でも絶賛されたのだ。

 エレンティーナの力は救国の大聖女に匹敵すると。

 エレンティーナがラスベルの同行を強引に押し通せたのも、強大な力を持っていたからこそだった。


「お疲れ様。エリーの力は本当に凄いな。まるで豊穣の女神みたいだ。荒廃しきっていた村の風景を一変させたぞ」

「ええ、全く。歴代の聖女の中でも五指に入る力の持ち主ではないのでしょうか。長い歴史を振り返ってみても、たった一度の祈りでここまで広範囲を浄化できる聖女はそういませんよ。私の目に狂いはありませんでした」

 下草を踏んで歩み寄ってきた二人が笑う。

 照れ笑いで応じた、そのときだった。


「なんじゃこりゃーーーーー!!!」


 悲鳴とも歓声ともつかない叫び声が響き渡った。

 三人で揃ってそちらを見れば、倒壊した家屋の前で杖をついた老人が震えている。


「突然の雷に驚いて来てみれば! 瘴気と魔物にやられて全滅したはずの畑が! 澱んで腐った川の水が!! いつの間にやら浄化された挙句、村中が緑に覆われておる!! あれほどいた魔物はどこに行ったんじゃ!? なんじゃ、あの畑の野菜の大きさは!? もはや大きいを越して化け物サイズになっておるではないか! 天変地異じゃ! 天変地異が起きたぞー!!」

「この村の方ですか?」

 愕然とした様子で叫び続ける老人にルーファスが近づき、声をかけた。


 老人はビクッと肩を震わせ、杖を捨てて拳を握り締め、ファイティングポーズらしきものを取った。

(あら、なかなか様になってるわね。元は武闘家かしら)

 呑気なことを考えられるのは、ルーファスの強さを知っているからだ。

 ラスベルが魔法の達人なら、ルーファスは剣の達人。

 ルーファスはエレンティーナに近づこうとする魔物を例外なく瞬殺してくれた。


「誰じゃ!? おぬしか、この天変地異を引き起こしたのは!」

「うーん、確かに、エリーが浄化する前と後の風景を比較すれば、天変地異を起こしたと思われても仕方ないかもしれませんね。ですが、この村を浄化したのはおれではありません。こちらにおられる聖女エレンティーナ様です」

「初めまして。エレンティーナと申します。国王陛下とディナリス聖教の命を受け、浄化のために参りました」

 聖女の仮面を被ったエレンティーナは優雅な足取りで老人に歩み寄り、胸に手を当てて微笑んだ。

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