10:旅についてきてください

「エレンティーナ、こちらへ。ルーファスはシュトラ教皇に左腕を見せよ。瘴気が本当に浄化されたのか確認せねばならぬ」


「はい」

 名前を呼ばれたことで我に返り、エレンティーナは慌てて立ち上がった。

 ラスベルの横に戻って跪く。


 ラスベルは相変わらず顔を伏せたままだったが、一部始終を魔法で『視て』いたらしく、口元に会心の笑みを浮かべていた。


 ほら、私の言った通りだったでしょう?――そんな声が聞こえてくるようだ。


「シュトラ教皇。どうだ?」

 ルーファスの腕を取り、しげしげと眺めているシュトラ教皇に国王が尋ねた。


「はい、陛下。瘴気は完全に消えております。女神ディナリスの名において、ディナリス聖教の教皇シュトラが認めましょう。エレンティーナこそ聖女です!」

 おおお、と大臣たちがどよめく。


 王妃とシャリオンは上機嫌で拍手した。

 隣に立つ兄を見て、コーネルもにこにこしながら無邪気に手を叩く。


(ああああ可愛い……)

 頬が緩んでしまいそうだったが、聖女の演技続行中のエレンティーナは必死で我慢した。


「聖女エレンティーナ様。心より感謝申し上げます」

 ルーファスがエレンティーナの前までやってきて、跪いた。


「全ては女神ディナリスの思し召しです、ルーファス様。二度と瘴気に苛まれることのないよう、心より祈っております」

 エレンティーナは上品に微笑んだ。


「見よ、あの慈悲深い微笑みを。あの銀髪といい、青みを帯びた美しい緑の目といい、まさに聖女エレンティーナそのものではないか」

「うむ。これまで聖女を自称する偽者は掃いて捨てるほどおったが、ようやく本物を見つけることができたな」

「モルケントも、バネッカの穀倉地帯も瘴気に呑まれてしまったと聞く。このまま聖女が見つからねば、飢えた民が大挙してメリンダールに押し寄せてくるところであった」

 国王が軽く片手を上げると、たちまち大臣たちはぴたりと口をつぐんだ。


「聖女エレンティーナよ。日に日に瘴気に覆われていく国を憂う王として、私はそなたに頼まねばならぬ。護衛の者たちと共に各地を浄化しながらレインハイムの森へ赴き、森の最深部に在るであろう『魔穴』を閉じてほしい。『魔穴』から無限に噴き出す瘴気のせいでイリスタリアの豊かな大地は腐り、草木は枯れ、川の水は毒と化している。もはや聖女に縋るほかないのだ。見事『魔穴』の完全封印を成し遂げた暁には、どのような望みも叶えよう」

 静かな部屋に、国王の声だけが響く。


「陛下。お話を受ける前に、二つお願いしたいことがございます」

 切り出すならばここしかないと判断し、エレンティーナは絨毯の模様を見つめながら言った。


「ラスベル様に顔を上げる許可を差し上げてください。さらにもう一つ、城内で――いいえ。どこであろうと眼帯を取り払う許可を。どうかお願い致します」

 ラスベルの肩がぴくりと動いた。


「なんと!?」

「黒髪赤目は悪魔の証ですぞ!? ラスベルの赤目は見るもの全てを呪います! 国にさらなる災厄を招きかねません!」

「なりません、断じてなりませんぞ陛下!」

「おのれ悪魔め、聖女をそそのかしおったな!? 陛下! いますぐ爵位を取り上げ、王宮から追放すべきです!」

 大臣たちが好き勝手に喚く中、エレンティーナは国王に視線を注いだ。


「ラスベル様は無害です。災厄を招くことなどありえません。聖女たるこの私が保障致します」


 言うことを聞かないのならば、自分もまた国王の願いを叶えない。

 その意思を視線に込めると、国王はついに折れた。


「……ラスベル、顔を上げよ。眼帯も取り払え。私が許す」

「! 陛下――」

「黙れ。私が良いと言った。逆らうのならば相応の覚悟があろうな、アザレ大臣」

 鋭い眼光で睨まれ、アザレというらしい茶髪茶目の大臣が口を噤む。


 その間にラスベルは眼帯を解き、赤い目を露にした。

 大臣たちは苦々しい顔をしているが、シャリオンやコーネルは嬉しそうだ。

 王子たちはラスベルと仲が良いのかもしれない。


「ラスベルに魔法伯爵の地位を与えたのは私だ。そなたら一部の大臣がやかましく騒ぎ立てる故、城内での眼帯着用を命じたが、聖女がラスベルに害はないと言っておるのだ。私はそなたよりも聖女の言葉を信じる」

 悔しげに唇を噛むアザレを黙殺し、国王がこちらに顔を向ける。


「他に望みはあるか」

「いいえ。ありがとうございます、陛下」

 エレンティーナは頭を下げた。


「では、聖女エレンティーナよ。イリスタリアのため、浄化の旅に出てくれるか」

「仰せのままに」

「感謝する。それではいまこのときを以て、そなたの身柄はディナリス聖教に預けよう」

「えっ」

 エレンティーナは驚き、つい素の自分に戻って顔を上げた。


「え?」

 国王の隣で王妃が首を傾げている。

 王妃だけではなく、誰も彼もが不思議そうな顔をしていた。


(あ――そうか。聖女に相応しいのは王宮ではなく神殿だわ。旅に出るならルーファス様のような聖騎士たちに護衛されるのが当然よ。それが当然……なのに……)


 ラスベルとはここでお別れ。

 旅が長引くようなら、下手をすれば数年は会えないかもしれない。


(何故それがこんなにも辛く苦しいの……?)

 離れたくない、と心が叫んでいる。


「エレンティーナ様。恐れることは何もありません。御身はディナリス聖教が責任を持ってお守り致します」

 シュトラ教皇の笑顔には一片の曇りもない。


「ありがとうございます」と答えるべきなのに、言葉が喉に詰まって何も言えない。


 エレンティーナは救いを求めるようにラスベルを見た。

 ラスベルがこちらを向き、ルビーのような赤い瞳にエレンティーナを映して言う。


「どうかされましたか? 何か言いたいことがあるのでしたら、どうぞ遠慮なく仰ってください」


「……、あの……」

「はい。何でしょう」

 優しく促され、エレンティーナは思い切って言った。


「――浄化の旅についてきてくださいませんかっ!?」

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