09:聖女の本領発揮
部屋の入り口から玉座まで続く絨毯。
頭上には水晶を削り出したらしい半透明のシャンデリアが燦然と輝く。
さらにその上、高い天井に描かれているのはディナリス聖教が崇める十二柱の神々だ。
主神ディナリスは両手を広げ、慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。
部屋の奥、三段高い場所にある豪奢な椅子に座るは国王オズワルドと王妃ロクサーヌ。
そして、彼らの前には恰幅の良い大臣や法衣を着た司教たちがいた。
聖都からわざわざ聖女の確認に来たらしく、ディナリス聖教の最高指導者、シュトラ教皇の姿まである。
さらに、柔和で中性的な顔立ちの王太子シャリオンに、女子と見紛う程愛らしい六歳の第二王子コーネルまでもがこちらを見ているではないか。
「…………」
錚々たる顔ぶれに、エレンティーナはごくりと唾を飲み込んだ。
入室する前から怖気づいたエレンティーナとは対照的に、ラスベルは緊張した様子もなく、赤と金の二色で構成された絨毯の上を歩いて行く。
――大丈夫。貴女はただ私の背中だけを見ていればいい。
そう言われているような気がして、エレンティーナはすうっと息を吸い、足を踏み出した。
腹の上に手を重ね、長いドレスの裾を美しく捌き、滑るような足運びでラスベルに付き従う。
ほう、これは、という感心の声がちらほらと聞こえた。
(何かしら。とても嫌な感じがする)
顔に浮かべた微笑を崩すことなくエレンティーナは訝った。
部屋に入ったときから、チリチリと肌が焼かれるような不快感がある。
(彼が不快の源かしら?)
通り過ぎた部屋の中央、その左手。
等間隔に並ぶ石柱の傍に赤髪金目の青年が立っていた。
法衣に大胆な変化を加えたような外套と、大司教たちも胸に下げているロベリアの花を模した銀の首飾りからして、ディナリス聖教の聖騎士らしい。
何故人の輪から外れ、そんなところにいるのか。
視線を動かして詳しく彼を見たいが、いまエレンティーナが見るべきは国王ただ一人。
いかにも聖女らしく、口元には穏やかな微笑みを湛えて。視線はまっすぐに。
大臣や王太子たちの眼差しは温かいが、国王やシュトラ教皇の目は値踏みするように冷たい。
「陛下。ご下命に従い、聖女エレンティーナを連れて参りました」
ラスベルは段の前まで行くと、左胸に手を当てて深く一礼し、跪いた。
エレンティーナも同じように一礼し、跪いて国王の言葉を待つ。
「エレンティーナ。顔を上げよ」
金髪に白髪を混じらせた、厳格そうな顔立ちの国王に言われて、エレンティーナは顔を上げた。
「偉大なるイリスタリア国王陛下。この度は拝謁を賜り、恐悦至極に存じます」
「挨拶は良い。私が知りたいのは、そなたが真の聖女であるか否かだ。――聖騎士ルーファス」
国王の視線を追い、振り返る。
「はい」
ルーファスという名に反応したのは円柱の陰にいた騎士だった。
彼は部屋の中央まで進み出て、絨毯の傍で止まった。
足取りは確かだが、顔色は青ざめ、左腕の肘から下に布を巻いている。
ただの布ではない。
解読不能な文字や摩訶不思議な模様がびっしりと描かれた布だ。
ディナリス聖教の司教たちが祈祷し、『守りと癒し』あるいは『不浄を鎮める』効力を授けた聖布だろう。
その布を直視した途端、これまでとは比較にならないほどの不快感に襲われ、ぞわりと鳥肌が立った。
やはり不快感の元は彼――正確には聖布の下の左腕らしい。
「あの通り、ルーファスの左腕は瘴気に侵されている。そなたが聖女ならば瘴気を除くことができるはず。百の言葉は不要。私が欲するは聖女の奇跡、ただ一つ」
「承知しました」
顔を伏せたきり彫像のように動かないラスベルを横目で見てから、エレンティーナは立ち上がった。
ルーファスに近づき、絨毯の上で止まる。
「本当に聖女じゃないならいまのうちに逃げたほうがいいよ?」
大臣たちの耳には入らないよう、ルーファスが小声で言った。
「布を解いたら瘴気が溢れ出して酷いことになるし、おれだって激痛に苛まれる羽目になる。偽者なら素直に白状してくれ。おれのためにも是非」
「いいえ。私は本物の聖女です。ご安心ください。必ずルーファス様を苦痛から解き放ってみせます」
エレンティーナは凪のように落ち着いた眼差しでルーファスを見つめた。
(大丈夫私は聖女私は聖女私は聖女……)
表面上は完璧な聖女を演じながらも、実はずっと心臓が飛び回っていることを、ルーファスは知るまい。
「……そうか」
ルーファスは諦めたようにため息をついた。
『嫌だなぁ』と顔に書いてある。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
ルーファスはしかめっ面で布の結び目に手を掛け、一気に解いた。
途端、黒い靄のような瘴気が勢いよく噴き上がり、辺りに広がった。
瘴気の中心にある彼の腕は酷いものだった。
赤黒い茨のような、禍々しい紋様が蛇のように皮膚を這いずり回っている。
生物が本能的に恐怖し、嫌悪し、忌避せずにはいられない。
これは、そういう類のモノだ。
「ひ……」
まだ幼いコーネルだろうか、怯えた声がする。
「……っ!!」
瘴気が迸ると同時に激痛が走ったらしく、ルーファスが大理石の床に片膝をついた。
苦痛の度合いを示すように、彼の額に大量の脂汗が滲んでいる。
それでも声一つ上げない。さすがは聖騎士だ。
エレンティーナは急いで跪いた。
ドレスの裾が乱れてしまっているが構わない。時は一刻を争う。
(私が本当に聖女であるかどうかなんて、もうどうでもいい。ディナリス様、どうかご加護を。私に目の前で苦しむ人を救う力をお与えください!)
立ち上る黒い瘴気にも臆することなく、エレンティーナはルーファスの左腕を両手で掴んだ。
瘴気に触れればルーファスと同じ症状に苛まれるはずなのに、エレンティーナの身体に何の異変も起きないのを見て、ルーファスが金色の目を大きくする。
(瘴気よ鎮まれ――消え去れ!!)
強く強く念じると、エレンティーナの両手がカッと金色の光を放った。
風が沸き起こり、エレンティーナの前髪がふわりと浮き、長い銀髪が背後で広がる。
「おお……!!」
誰かが驚嘆している。
光に闇が散らされるように、放たれた金色の光は黒い瘴気を消し去り、ルーファスの腕の醜い紋様にも変化を起こした。
紋様はルーファスの腕から剥離するように浮き上がり、エレンティーナが放つ光に触れて消えていく。
数十秒が経つ頃にはルーファスの腕から痣は消え失せていた。
部屋に広がったはずの瘴気も、影も形もない。
(気のせいかしら。瘴気が放たれる前よりも空気が澄み渡っているような……私がやったの? 本当に?)
エレンティーナは自分自身の両手を見下ろし、呆然とした。
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