07:王城で大変身を遂げました
二千年前、世界は未曽有の危機に襲われた。
人々はこの出来事を『大災厄』と呼び、恐怖と共に語り継いでいる。
ある日突然、天地を引き裂くような轟音が響いた。
大地は激しく震え、魔界に通じる巨大な裂け目が幾つも出来た。
その裂け目から立ち昇る赤黒い霧は植物を枯らし、人間を含めた動物を異形の魔物に変え、死に至らしめる瘴気だった。
そしてその裂け目――『魔穴』からは『魔素』と共に数え切れないほどの悪魔が溢れ出した。
闇色の髪に血のような赤い瞳を持つ『悪魔王』は悪魔たちを率いて全てを蹂躙した。
彼らが通る場所には荒廃と絶望のみが残され、怨嗟と慟哭が虚しく空に響いた。
世界中の軍隊が悪魔王を迎え撃とうとしたが、悪魔王が放つ膨大な瘴気に蝕まれ、近づくことすらできず返り討ちに遭った。
人類は滅亡の淵に追いやられ、もはや誰もがこの世界の終焉を悟ったかに思えた。
だが、その時――夜空が割れるような光が大地を照らした。
天から降り立ったのは女神ディナリスを始めとする、十二柱の神々だった。
女神は清らかな心を持つ乙女たちに三つの奇跡の力を授けた。
一つは瘴気を祓い、穢れを浄化する力。
一つは結界を張り、悪魔の侵攻を防ぐ力。
そしてもう一つは、傷ついた者を癒す力。
これらの力を授かった乙女たちは『聖女』と呼ばれ、絶望の闇に光をもたらす存在となった。
ある聖女は荒野に立ち、足元に広がる瘴気の渦を祓った。
彼女の祈りの歌は清浄な光となり、大地を覆う穢れを消し去った。
光を浴びた悪魔たちは苦悶の叫びを上げながら消滅し、瘴気が祓われた地には草花が再び芽吹いた。
また、ある聖女は城壁の上から結界を張り巡らせた。
彼女が張った結界は淡い光の膜となり、迫り来る異形の群れを弾き返した。
あるいは最前線で兵士を癒す聖女の姿もあった。
彼女の掌から零れる柔らかな光は、どんな深い傷もたちどころに癒し、尊い命を繋ぎ止めた。
聖女たちの活躍は人々の心を再び奮い立たせ、人々は幾千万にも及ぶ悪魔や魔物たちを次々に殲滅していった。
そしてとうとう、聖女エレンティーナと勇者一行は悪魔王を魔界に送り返すことに成功したのである。
――しかし、『魔穴』は未だに開き続けている。
一つを封じればまた別の場所に新たな裂け目が現れる。
それでも、聖女たちは祈りを止めず、人々は剣を握って立ち向かい続けている。
◆ ◆ ◆
牢獄で一夜を過ごした二日後。
エレンティーナはイリスタリアの王城で大変身を遂げていた。
「終わりました。どうぞご確認ください、エレンティーナ様」
エレンティーナの顔に化粧を施した侍女が下がると、二人の侍女が目の前に猫足つきの姿見を運んできた。
(……これが本当に私なの?)
姿見に映る自分自身の姿を見て、エレンティーナは何故この部屋にいる五人の侍女たちが一様に誇らしげな顔をしているのかを理解した。
化粧のおかげでますます輝きを増した白い肌。
ほんの少し赤みを添えられた頬に、艶やかな光沢を放つ唇。
長い睫毛に守られた青緑色の瞳は、いつもよりぱっちりと大きく見える。
コルセットを締めた身体を包むのは細かなダイヤモンドが雪のように散りばめられた水色のドレス。
スカート部分に重ねられたレースの模様の繊細さといったら、まさに職人芸。
白銀の髪は両側を編み込んで後ろに流し、後頭部には花を模した大きなサファイアの髪飾りがつけられていた。
エレンティーナの首や耳にも青いサファイアが飾られている。
首を動かしてみると、耳元で涙型のサファイアが動きに追随して揺れ、光を反射して煌めいた。
「ああ、なんと美しい……美しすぎますわエレンティーナ様。もはや聖女どころか女神です!」
姿見の右に立つ侍女――赤髪緑目のミア・ウルフェニーが両手を胸の前で組み合わせ、大げさにも目を潤ませている。
彼女は王城にやってきたその日からエレンティーナ付きの侍女となってくれた男爵令嬢だ。
人懐っこく、お喋り好きの彼女のおかげで、エレンティーナは退屈も不安もなく暮らせている。
「それは言いすぎよ。でも、ありがとう。貴女たちのおかげで、自信を持って陛下に拝謁することができそう」
「勿体ないお言葉です」
姿見の左に立つ侍女――黒髪を三つ編みにし、青い目に眼鏡をかけたロゼッタ・オベサが無表情で頷いた。
ロゼッタもエレンティーナ付きの侍女だが、感情豊かでうっかり者なミアとは違い、彼女は常に冷静で仕事も完璧。
例えるなら太陽と月、動と静の二人。
ミアとロゼッタのやり取りを見ているととても楽しい。
「さあ、行ってらっしゃいませエレンティーナ様。ラスベル様がお待ちです。謁見の間でお待ちの陛下や大臣にはもちろん、城内で出会った全ての人々にその美しいお姿を見せつけ、聖女であることを存分に示してきてください!」
ミアが扉を開け放ち、芝居がかった動作でもう一方の手を高く上げる。
「ええ。頑張るわ」
愛想笑いで応じ、エレンティーナはミアが開けた扉をくぐった。
上等な生地を贅沢に使ったドレスはずっしりと重く、踵の高い靴も歩きにくい。
いつもより遅い歩調で控えの間を通って廊下に出ると、壁際にラスベルが立っていた。
魔法伯爵にとってはローブが正装であるらしく、今日も彼はローブを着ている。
そして、大胆な金の意匠が入った黒い眼帯で目を覆い隠していた。
彼が城内で目を隠す理由は、その赤い目で人を見ることを禁じられているからだ。
魔物や悪魔が赤目なため、ただでさえ赤目の人間は嫌われるが、そこに悪魔王と同じ黒髪という条件まで加わるともはや嫌悪どころか憎悪の対象になる。
魔法伯爵となるまでの苦労は察するに余りあった。
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