First Contact 滝岡総合病院の愉快な仲間達
TSUKASA・T
Intermission 1
緑の美しい苔庭を前に、適当に茶杓を使い、気楽に茶席風に設えた和室に座して、院長が呼び付けた滝岡を前におっとりと云う。
「きみはどうして、そう詐欺に引っ掛かりやすいんでしょうねえ、…」
休日に着物を着て、茶碗の景色など眺めながらいう滝岡総合病院院長――つまり、滝岡の上司に一応当たる訳だが――にして、ついでに、一応は親戚というか、そんな立場の初老の紳士を前に。
気楽に籐の座椅子等に背を軽く凭れさせ、座卓に器を受けた手をおいていう院長に。
「院長、…ですからね?別に、だから、いいじゃないですか!サギという訳では、―――。別にマンションも騙されて買ったのではありませんから。…それに、だから、おれは何か被害にあったという訳ではなくて、…――彼女は俺を騙すつもりでは、」
病院にいるときとは違って、個人的な話題に強気に出られず滝岡がいうのを。
「つまりは、きみは相手が結婚してくれないのにマンションを買って、直後に振られただけですよね」
あっさりと冷たい視線で切り捨てて、茶も出さずに呼び付けた相手にさらりとくちにする橿原院長を前に滝岡が詰まる。
「…と、いうことになるかと思います」
「そうですねえ、…つまりは、貴方はまたお相手に逃げられただけ、ということになりますね」
上品に御茶をひとくち飲みながらいう内容に情けは欠片もない。
「適当に決めるからです。本当に、どうしてまた、…。きみが結婚するなどという珍しいことを言い出すかとおもったら、…。結婚詐欺師の方に騙されて、しかも、詐欺師の方にさえ、婚約の内に逃げられるとは」
マンションには一緒に住んでもらえなかったんですねえ、と傷口をえぐる内容が容赦ない。
「…院長、―――」
あきれた風におっとりと手に茶碗を持ちながらいう橿原を見返して、滝岡がまだ往生際悪くいおうとする。。
「…ですから、おれは別に騙されてた訳では、―――。彼女は詐欺師ではありません。単に」
「…――単にきみがまた振られただけだというの?」
さらに容赦のない院長ひとことに詰まって見返すが。
しばし、間を置いて滝岡がしずかに息を吐いていう。
「その通りです。おれが振られただけで、マンションはおれが勘違いして買っただけのことです」
それきり沈黙する滝岡を、御茶を手に橿原がしみじみとみる。
「まあ、頑固なことですこと。誰に似たのかしらねえ、…これでは、あの世で貴方のご両親も心配していますでしょう。はやく孫の顔でもみせてあげないと」
む、とその橿原の言い様に滝岡が眉を寄せて怒る。
「そういうことをいうなら、前からいってる通り、見合いをちゃんと持ってきてくれればいいんです!…―――別に俺にこだわりはないといっているでしょう、―――それをまた」
「それはねえ、きみに選ぶ気はなくても、相手には選ぶ権利というものがありますからねえ、…」
「…―――――っ、院長!」
のんびりと御茶を呑みながら、ゆったりと。
「きみが病院に尽力してくれるのはうれしいですけど、いまみたいに病院に入り浸りではねえ、…。僕も、大切な知り合いのお嬢さんを、結婚した途端に放り出すような相手に紹介してもいいものかと」
「…そ、それは、」
座った眼でいう橿原に、滝岡が詰まる。
何か往生際悪くいいかける滝岡に、御茶を飲みながら留めを刺す。
「まあ、きみの場合、結婚式が終わって処か、結婚式自体も平気で放棄しそうですけど」
「…――――そ、それは、ですね、…。病院で何かあったら仕方ないでしょう!」
「そういう難しい条件でも耐えてくれるお嫁さんをみつけるのでしたら、人に持って来いといっていないで、ご自分で探さなくてはね」
冷たく茶を飲みながらいう院長に滝岡が言葉を継げずに睨みつける。
それにまったく関心を示さずに。
「…そうそう、きみ、あのマンションには本当に住む気でいるの?その騙された婚約者さんには逃げられたんですから、もうマンションに住む必要はないでしょうに」
「…―――住みます!もう、代金は払いましたから、…病院にも近いですから、それに」
「いいですけど、久さんはもういいお年なんですからね?いまきみの住んでる御両親から受け継いだお家と、きみがその新しく住むとかいうマンションの部屋、両方面倒みさせるつもり、ではないでしょうね?」
茶碗を手に受けて、おっとりと釘を刺してくる院長に滝岡が詰まる。
以前から家政婦として家の面倒をみてくれている婦人のことを話題に出されて、滝岡がつまる。
「…そ、それは、ですね、…――」
「掃除は業者を入れるとしてもねえ、…。食事はどうするつもりです?まさか、久さんに作らせるつもりではないでしょうね?きみのいまいる病院に近いということは、通うと結構な距離になりますよ?その辺りはどう考えているのですか?」
「…――――病院で食べます!食堂でまかなえますから!」
つまりながらも、何とか解決策を見つけて強気になっていう滝岡に。
多少、あきれた風情で茶碗を廻し景色を眺めながら院長が。
「それなら、いいですけど。きみも久さんに頼り切りというのではなく、いい加減自立してもらわなくてはね?」
「…確かに、頼ってますが、…―――一応、自立は、」
してます、といおうとして横を向いて沈黙する滝岡に。
「まあ、久さんもきみたちのちいさなときからみてくれていますからねえ、…。甘えるのもいいですが、お年も考えて差し上げなさい」
「…―――はい、それは、…反省してます」
視線を伏せて、畳の縁を睨みながらいう滝岡に。
困ったものですねえ、という風に茶を呑んで。
苔の緑が柔らかく覆う庭を眺めて。
「そういえば、きみ、いります?御茶出すの、すっかり忘れてましたけど」
「…いえ、――――いえ、少し、点てさせてもらってもいいですか」
断りかけて、ふと思いなおしたように、真面目に座り直し、正面からみていう滝岡に。
ふう、と溜息のように微笑んで、院長がそっと茶器と隅に切られた炉を示す。
「僕もこうして、茶なんて、座卓なんてあるような部屋で真面目にいただいてる訳じゃありませんが、では、…。少し真面目に、僕のも点てていただけます?」
「…――――――はい」
視線を伏せて、拳を使い、正座から正式の作法で座を移して。
背を正し、視線を僅かに伏せ、器から炭を移し、灰を掻き、――――。清浄と灰を描き、眸を伏せ、ゆっくりと無に入るように、炭に起こす。
火箸を置き、香合から、伽羅木片を竹箸で摘み、置き炭の黒枝が交差する中に、はらりと埋めるように置き。
脇に掛けられた竹筒に掛る木の枝に、わずかに名残のように積み残された、枯れた花跡に、ふわりと炉から仄かに蒼い香の一筋が昇り纏わり、やわらかな香を枯れ枝に添える。
真摯に湯が沸き、踊る湯音を金輪に楽しんで。
棗を頂き、漆掛けの木目模様を眺め、包みに置かれた桐箱の器から、はらりと衣を解いて。箱書きを眺め、蓋を頂き裏書きをみて、脇に置いて器を取り出す。
器を眺め裏を頂いて。畳に置き、茶杓に濃茶を一匙、二匙。
器に入れて、とろりと沸いた湯を移す。
しばし、茶を点てる静かな音が響き、そっと橿原が眸を閉じる。
庭に、流れる湧水の音。
苔に吹く風のやわらかささえ、聴こえるような。
茶の緑が、こくりとした濃さを纏い器に映える美しさで点てられる。
苔の緑に尚濃い緑。
「どうぞ」
「…―――――」
滝岡の差し出す碗を、ありがとう、と無言で受けて、橿原がしばし濃緑を愛でるように。
滝岡もまた端座して、しずかに視線を伏せて。
言葉に何を語るのでなく。
苔に吹く風もやわらかく。
音にならぬ音、しずけさの音を耳に受けながら。
滝岡が、視線を外へ向けて、―――苔庭と、その上に広がる何処か蒼い淋しさを想わせる空を眺めるようにしているのを。
視野に入れて、しかし、みないふりをして。
橿原、―――院長が、そっと濃茶の緑を舌に含む。
甘い苦さは、ほろ苦い中に湧水のあまさと柔らかさ、そして、…―――。
橿原が、そっと滝岡の背を眺める。
背筋を伸ばし、空を仰ぐ、…――――。
その同じ姿を、同じように茶を点てさせた、まだ滝岡の背が細い少年であった頃のことを。
あれは、…―――――。
あの雨が、濃く細く。…―――
濃く細く、降り続く雨の夜に。
少年は、…濃く身を濡らす止まぬ雨を、唯、…受け止めて。
橿原は、そっとあれ以来運命の変わるのを受け入れて、唯無言で耐えていた少年を、そこにいまも見ながら。
滝岡の背を見守るように、無言で、…―――――。
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