鑑定士ハリエットとガーネットの指環~「呪い」なんて、この世に存在しません?~
雲井咲穂
プロローグ
薄く広がった曇天から、白々と花片のような雪が降り始めていた。
石畳の大通りをせわしなく人や車が行き交っている。
コートの前襟をしっかりと握りしめ、肩を丸めながら、迷いなく足早にそれぞれの方向へと目指す。
車のクラクションが甲高く響き渡り、回転数を落としたエンジンの音が唸るように震えている。長いポールに取り付けられた信号灯が赤い光を放つたび、立ち止まった車が人々の背中を追い立てるように短く鋭い音を立てる。周りの風景を写し取りながら黒光りする光のラインの間を、人々が縫うように抜けていった。
薄闇が澱のように人々の足の間を這い、僅かに揺らめきながら、迫りくる夕刻へとより暗みを帯びさせていく。
その大通りに、ひときわ目を引く店があった。
モスグリーンの外壁の店は、他のテラスハウスと隣り合いながらも、その色だけが別世界への扉のようにひときわ目を引いている。
外壁と同じ色で塗られた扉の上には、端々が錆びた鉄製の看板が取り付けられている。赤に塗り込められた旗のようなデザインに『マルグレーン骨董店』と金色の文字で記されていて、風に揺れるたびにかすかな音を立てていた。
真鍮製の優雅な曲線を描くドアノブには「閉店」の文字が掲げられており、鍵は固く締められている。
大きな張り出し窓のガラス越しに店内を覗けば、あたたかな明かりがあちこちに柔らかな光の模様を落としていた。
落ち着いた暖色の天井灯に照らされて、ライティングディスクやキャビネット、コンソールテーブルといった調度品が滑らかで深い飴色の艶を纏っている。
窓際の最も目を引く場所に設置された棚の中央に、繊細な曲線で支えられた一台のランプが置かれていた。柔らかな乳白色のガラスシェードに、秋の木々を思わせる琥珀色と深緑の模様が織り込まれている。その模様は光を受けてまるで水面のように揺らぎ、穏やかな黄昏時を切り取ったかのような温かさを空間に広げていた。
その店の最奥。
スッキリと片付いたカウンターテーブルの前で二人の男女が取っ組み合っていた。
「だから言ったでしょ!?安請け合いし過ぎだって!」
ギャーギャーと鴉のように喚きながら、小柄な女性が対峙する男の髪の毛を容赦なく引っ張っていた。
亜麻色の髪を肩の上で揺らし、琥珀色の瞳に怒りの閃光を宿し相手を鋭く睨み上げている。
彼女の名前はハリエット・マルグレーン。
家族やごく身近な親しい友人たちは、彼女のことを「リエット」と称する。
ハリエットはこの小さな骨董店の従業員の一人である。
「安請け合いとは失礼な!紳士たるもの、麗しい伯爵夫人の願いを無碍にできるわけがないだろう?」
金髪碧眼の完璧な美貌を持つ長身の男性、アルフレッド・ホーントーンは「女性」に対する方法としては手荒な方法でハリエットの頭を片手で鷲掴みにし、縮め、とばかりに上から圧を加えて不敵な笑みを浮かべている。
ハリエットは空いている方の片手でアルフレッドの右手を下から引き離すように押し上げているのだが、容赦なしとばかりにぎりぎりと力を込められて悲鳴を上げた。
「いただだだだだだだだ!!痛いって言ってるでしょ、このトンチキ!」
「トン!?なんだって?君の発音では上手く聞き取れないんだが!?」
「痛い痛い痛い痛い!!縮む!背が縮む!」
「縮め縮め!ほぉら、リエット。僕が手伝ってあげよう」
意地の悪い深淵の主のような笑顔をますます深めて、アルフレッドが宝石のような瞳を凶悪に細め顔を近づけてきた。
遠慮も容赦も欠片もない、「自称紳士」としてはあるまじき行動である。
ハリエットが必死で抵抗しているその足元を、とたとたと軽快な足取りでジンジャーブラウンの毛玉、こと彼女たち家族の愛猫であるエイトがゆったりと横断する。
ハリエットの革靴をお構いなしに踏みつけながら進むと、ややあって立ち止まり、身をかがめたと思ったらとーんとカウンターの上に飛び乗った。
ぺろぺろと腰回りの毛皮を丹念に舐めながら緑柱石色の瞳をうっとりと細め、そよそよと尻尾を振り子のように揺らした。
激しい言葉の応酬が続く中、エイトは一向に気にした様子もなく、ほわぁと大きく欠伸をすると耳を少しだけ倒し、折り曲げた前足に足を乗せると目を瞑った。
「ボケナス!エセ霊媒師!嘘つき!口からでまかせ男!!あと、女たらしッ」
「なんとでも好きに言いたまえ。君に何と言われようが、私の心はささくれ程も痛まないけれどね」
「なんですって!?ちょっとは反省しなさいっていってるのよ!」
怒髪衝天が如く声を荒げたハリエットがアルフレッドのさらさらとした金髪を握り締める力を込めた。
丁度、一番痛いように相手の左の耳の上、コメカミのあたりを右方向に傾けるようにしながらぎゅううううと、雑草を抜くが如くの力で握りしめる。
「思い知れッ!」
「痛い痛い痛い!!!禿げる!抜ける!なくなる!!リエット、頼むからその手を放してくれ!」
ハリエットの反撃にアルフレッドが悲鳴を上げた。
それに気を良くして、ハリエットは僅かばかりにようやく緩んだ彼の右手をフン、と横に押し流し、間合いを詰めながら返す刀でぐっとこぶしを握り込んだ。
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いつもありがとうございます。
雲井咲穂です。
新作をスタートさせていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。
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