鱗を撫でる
自至
第1話
酷く重い足を引き摺るように前に前にと動かす。がさがさとビニールで作られた袋を片手に食事を摂らなければ上手く機能しない人体に苛立ちを覚えた。食欲なんてとっくに捨てている。食事を摂るのは明日も仕事中にミスをしない様に、周りの人間に迷惑をかけない為にだ。こんな日常は一体何の意味が有るのだろうか、もういっそ辞めてしまった方が自分は幸せなのではと考えたがきっと疲労でまともに頭が働いていないせいだと自分を今日も騙した。古びたドアノブを回し安物の革靴が並ぶ玄関に靴を脱ぎ捨てた。床とストッキングを履いた自分の足が擦れ合う音がひんやりとした部屋に響く。沢山の物が置いてある低いローテーブルにコンビニで買った食料を並べる。今からこれを胃に押し込む、そう考えるとまた生きるために無駄な行為を自ら行っている事実に辛くなった。無力感すら感じた。この食事と目を合わせて何時間か経過した時、思う。私はここ最近食事を摂れ無くなっている。何日分もの弁当がローテーブルの上に並んでいる。その周りには白く丸い錠剤達が叱られた子供の様に散らばっていた。本当に何をしているんだろう。私は何時から間違ったのだろうか。嗚呼まただ。こんな無意味なことを考えたって答えは無い。酷く重い体を引き摺り寝室に敷かれたままの布団に身を任せる。ぼーっと腐るように天井を見つめているとその天井に映る外からの光が何だか魚のように見えた。その魚達は決まった方向に泳ぎ端の方に行くと消えてしまう。その魚達を撫でるかのように何も無い空中をゆっくりと撫でた。手を伸ばしても感じる訳などない魚の冷たい温度を想像し少し涙が出てきそうになった。私はもうとっくに自分を殺してしまったのだろう。枕元に転がる自らの血を拭き取った白い布。その横に転がる小さなカッター。何時からだろう自分を傷つけて、自分を罰して、それで全てが楽になると思い始めたのは。口を動かしなが私は音を発する。でもなんと言っているのか聴こえない。自分が何を言っているのかすら分からない。生きるという行為に私は何を求めているのだろうか。このままの生活を続けるのは死んでいることとは変わらないじゃないか。そう思うと一気に笑えてくる。掠れた声で笑いながら、全てどうでもよくなった。少し空いている窓から無造作に風が吹き込み優しくカーテンを揺らした。静かに体を起こして窓際に近ずきベランダに置かれたぼろぼろのサンダルに足を入れた。どんなに空を眺めても星は見えなかった。ただモザイクを貼り付けられたような真っ黒な空はこの世界が動き続けている事の証だった。どうせこんなことになるなら、こんな毎日が続くくらいならと私はゆっくりとサンダルを脱ぎ始め手すりに手をかけた。ベランダの手すりは氷のように冷たかった。だけどきっと今は私の方が冷たい。真冬の外気と混ざり合うかのように私は空中に飛び出した。こんなにも孤独なのに結局世界は何も意味をなさなかった。意味なんて求めたらいけないだろうけど。声が聞こえる。聞き覚えがある声だがその声を聞いても安心ができるような気がしない。よく目をつぶって重力に引っ張られる体に身を任せながら耳をすませた。もうそこに地面が近ずいた瞬間理解した。その声は泣きそうな声で助けてと、何かに縋っていた。私の声だ。もう遅い、何も助からない、さよなら。
鱗を撫でる 自至 @Marie0731
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます