不義の種、冷徹の種
@veryweak-stickman
第1話
私がワードローブに向けて、
「達也、出てこいよ。なんでそんなとこ入ってんだ?」
と言ったとき、妻の莉子の表情が強張ったのが気に掛かった。
達也は私の親友だ。そして彼と莉子は、俗っぽく言えば、デキている。
彼女は
「どうしたのよいきなり。クローゼットに人なんかいないわよ」
ととぼけてみたりしている。
なるほど、これは何らかの記念日か、あるいはそれに準ずる日・・・・・・少なくとも二人がサプライズを仕掛けるような日を私が忘れていたらしい、と推察した。そういう日ならば、逢瀬だってスムーズにできる。
だが、乗り掛かった船だ、とも思った。サプライズを壊しかけてからわざとらしく驚くよりも、徹底的にぶち壊してしまった方が彼らの気持ちもすっきりとするだろう。
それらしい推理を重ねてみる。
「トイレに行った時、便座が完全に上がってたんだ。つまり男がここにいる、少なくともいたと言うことだ。それに浴室はもう湯気が消えてるのに、君はまるで風呂上がりのような姿じゃないか。あらかた、さっきのさっきまでそう言うことをしてたんだろ?」
彼女の目が泳ぐ。隠し事のつもりだろうか?
「き、気のせいよ」
ふーん、と鼻を鳴らして、私はワードローブの扉に手をかけた。
「やめて!」
と彼女が小さく叫ぶのと、私がその扉を開くのはほぼ同時だった。
中にはやはり、達也がいた。しかし裸のままだとは思わなかったが。
なぜ青ざめた顔をしているのか、具合でも悪いのだろうか、と余計な心配をするのは私の悪い癖だ。彼がこんな中に、こんな奇抜で風体で入るからには、私を驚かせたいという強い意志があるからなのに。
「とりあえず服でも着ろよ」
と、興醒めなことを言ってしまったことを、私は後悔している。
相変わらず青い顔をしながら服を着てきた彼に、私はふと聞いてみる。
「今日って、何かの記念日だっけ?」
「い・・・いや」
「そう。ならよかった」
いや、厳密にはよくない。新たな謎が生まれてしまったからだ。
ではなぜ、ワードローブの中に隠れていたのか?しかも風邪をひきかねないような寒い格好で?
とりあえずそこを聞いてみようと思った。
「じゃ、何で隠れてたんだ?」
沈黙が流れる。何の理由もないのか、変なやつだな、と思っていると、彼は気まずそうに口をぱくぱくさせ、しかし言葉が出るより先に土下座した。
「ごめん!」
「な、何が!?」
「俺、お前の奥さんと不倫していたんだ!」
「はあ・・・?」
それだけしか言葉が出なかった。
「そ、それだけ?謝ることなの、それ?」
「え・・・?」
達也も間抜けな声を出す。二人して「?」が頭に浮かぶこの光景は、思い返すと笑みが溢れそうになる程滑稽だ。
「男と女がよろしくやってるなんて、珍しくもない。・・・そういえば、どうだった、彼女。いい具合だった?」
「・・・」
何か言いたげに莉子が顔を上げるが、声は出さない。変な人だ。
「よ・・・良かったよ」
「なら良かった」
そう言って、私は次に莉子へ顔を向けた。
「莉子、今日の晩御飯なーに?」
彼女は変な顔をした。まるで、拍子抜けと恐怖がない混ぜになったような。
「・・・責めないの?」
「責める?何を?」
「何をって、不倫したことよ・・・自分の妻が寝取られたのよ?」
だからどうしたというのか。
よくわからない、という顔をしていると、突然、
「無駄だったの・・・?」
と言って、膝から崩れ落ちて泣き始めた。
もう何が何だかわからない。
「無駄?無駄って、何が?」
妻は泣きながら話し出した。
どうやら彼女は、薄まっていると感じた私の愛を試そうとしたらしい。彼女のことを気にかけていれば、様子が変われば気づくだろうと。
気づいているのだから愛している証明にもなるか、と思ってそう慰めたら、さらに泣かれた。
「ごめんね、これからは君のこと、もっと気にかけるから」
どうしたらいいのかわからずに戸惑った私は、そのように言うほかなかった。
「でも、子作りはできないかな」
「え・・・?」
泣き腫らした目を私に向けてくる。
「だってそうじゃん。君と子供を作っても、その子が達也の遺伝子を引き継いでいないとは限らない。生物的に言えば托卵だね。自分の子孫を成すという生体的原則からすれば、そのリスクは避けなきゃいけないからさ。・・・だから、これからは精子売買一本で行こうと思うよ」
「そんな・・・」
「精子売買は確実だよ。俺の精子を買う母体は、それ以外の精子を同時に受け入れるなんてことはしない。だからその母体から生まれる胎児は、確実に『俺の子』だ」
私はあの時の彼女の表情が、何を意味していたのかわからない。結局私は子を成せたし、莉子には達也との不倫の続行を許可した。ウィンウィンのはずなのに、彼女は結局一度も不倫を再開することなく自死してしまったので、どのような意味をなすのか、聞きようもない。
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