第2話 私は……だれ……


「思ったよりも普通だな」


 つぶやくナギが進むのは、放られた光石が闇を切り出す冷たい通路だった。代わり映えしない金属に囲まれた四角形の通路は、暗さも相まってどれだけ進んだのか感覚を曖昧にさせる。


「また空っぽか……」


 苦労してきしむドアを開いたところにあるのは、なにかもわからない残骸の山。それも10回目となる。話が違うじゃないか、と苛立ちを扉にぶつけてみるが、何が起きるわけでもない。ただつま先が少し痛んだだけだ。


 ここに至るまでは何もなかったと言っても過言ではない。この手の遺跡には宝とそれを守る防衛者がいるものだと聞いていたが、あるのは小綺麗な通路と何もない部屋ばかりだ。


「つまらないな」


 唯一と言ってもいい発見は、彼女が杖代わりに使っている刀らしきものくらいだった。自分が提げているものとは違う細い黒塗りの鞘、鮮やかな糸を編み込んだ柄。見るからに貴重と思えるそれを発見したときは、彼女も思わず声を上げたが、すぐに落胆の声に変わった。


 いくら力を込めようと抜ける気配がないのだ。最初からそういう形であるかのように強固に食いついている。抜けぬ刀ほどつまらないものは、そうそうないだろう。


「はぁ……ババァに騙されたな」


 このドアを開いて何もなかったら帰ろう。ナギはやる気のない動きでドアの隙間に手を差し込んで、横にスライドさせる。大して力もいらないのが救いだな、と諦めムードを漂わせていたが、


「おっ」


 ドアの先にあったのは、真っ暗な闇。手にした光石では照らしきれないほどの奥行きがある部屋は初めてだった。これまでとは違うものに、自然と期待感も高まっていく。


 ナギは、手にした光石を放って全体を照らしていく。数個投げたところで、ようやく全貌が見えてきた。


「ここは散らかってるな」


 足元には、透明なガラスらしきものが散乱していた。何かの残骸としかわからないパイプ状のものを蹴飛ばし、ナギは周囲を見渡す。ガラクタの山の中で目立つものが二つあった。


「なんだ、これ?」


ナギは、腰ほどの高さがある正六面体へと近づいていく。継ぎ目が全く見えない滑らかな金属の表面に触れてみるが、何も起きない。叩いても軽く気持ち良い音が鳴るだけだ。


 何のために造られたのか。ナギは、数秒ほど考えて『わからない』という結論に至る。そういうことを考えるのは得意なやつに任せればいい。自分がすべきは何があったのか、人が立ち入れる程度に安全なのか確認するくらいなのだから。


「こっちのは……」


 部屋の中央、残骸から避けるように置かれたものを見やる。白を基調にした直方体で、縁は金で装飾されている。見るからに周囲の残骸とはものが違う。貴重な品が収められている、と主張するようなそれにナギは近づいていく。


「どうやって開けるんだ?」


 鍵穴を探すべく、ナギは箱に触れる。ビロードのような心地よい感触で覆われたそれを撫で回していくと、不意に指が沈み込んだ。小さな、しかしはっきりと錠が外れたような小気味良い音が鳴った。見ると、箱の半ばから横一直線に指を差し込めるほどの隙間が生まれていた。


 その隙間に指を差し込み、ナギは一気に持ち上げる。さしたる力もなく蓋は動き、手にした光石が中を照らし出した。


「これは……」


 そこにあったのは、目を閉じ身じろぎもしない銀髪の少女だった。白のワンピースと言うには簡素な布を纏い、胸の前で手を組んだ姿は、ある種の作品とも言える美しさをたたえていた。肌は陶器のように白く、しかし病とは無縁の生命力を感じさせるという矛盾。顔立ち、ボディライン、手足の滑らかさ、爪の形、あらゆる部位が計算されたかのように完成されている。万人に問えば10万の答えが返ってくる――そんなありえないものだった。


「人形か? 息、してないし」


 ナギは、少女の顔へと手を伸ばす。はっきりとした理由があったわけではなく、半ば無意識のものだった。敢えて言うのなら、自身が見てきた何よりも美しいものだったから、触れてみたかったという子どもじみたものだ。


 指先が、少女へと触れる。日陰の石のような冷たさを感じた時、


「……んっ」


 小さな声が漏れたのは、微動だにしなかった少女の口からだった。動くとは思いもしなかったナギは、慌てて触れていた指先を引っ込める。


 少女の目蓋がゆっくりと開いていく。宝石をそのまま埋め込んだような青い目は、覗き込むナギを映し出す。二度瞬きをしたところで、少女は口を開いた。


「■■■■■?」


 その言葉は、ナギには聞き取ることが出来なかった。そのままオウム返しすることも出来ない未知の音である。知らない単語というレベルではなく、生きる地点が違うと感じるほどの未知だ。


 そんなナギに対して少女が浮かべた表情は、まったく覚えのないものに対する怪訝なものであり、無遠慮に顔を覗き込まれたことへの拒否感が込められていた。


 とりあえず自己紹介をすべきか、とナギは思い至る。挨拶をしておけばなんとかなるというのは、ここ最近覚えた経験則である。


「おはよう、ナギはナギだ。あんたはどうしてここに? 迷い込んだのか?」

「ナ、ギ……こ、こは……」


 辿々しい口調でナギの名を口にした少女は、飛び起きるように体を起こすと、周囲を食い入るように確認していく。積み重なった残骸、包み込むような暗闇、首を傾げるナギ。見える限りの情報を手にした少女は、激しく動悸する胸を抑え込む。


「どうした? 腹が空いてるのか? 病気はナギではどうにもならないから諦めろ」

「ちが、う……」


 力なく呟いた少女は、疑念の目をナギへと向ける。


「お前が、私を攫ったのか」

「さらう? なんで?」

「じゃあ、ここはなんだ。こんな場所、私は知らない」


 疑念から警戒。ともすれば敵意へと移りかねない目をナギへと向ける少女。ナギは、頭を掻いて言う。


「そう言われても困るな。ナギだってここが何だったのか知らないし、お前が誰かも知らない」

「うるさい。私を……」


 言いかけた少女の口が固まり、震えだす。その震えは全身へと伝わっていき、身体を抱くように俯く少女の目は、見えないものを探し出そうとするように見開かれていた。呼吸が荒く、不規則になっていく少女に、


「寒いのか? 火を起こすなら外に出ないとだめだな」


 ズレた気遣いをするナギ。しかし、違う、と叫ぶ少女に驚く。半ば敵意を向けていた少女は、すがるような目をナギへ向けていた。


「私は……だれ……」

「誰って……自分の名前を思い出せないのか? お前も?」

「なんで、何も思い出せない!? おかしい、こんなの……絶対に……!」


 パニックに陥った少女は、ナギに縋りつき答えを求め続ける。だが、そんなことを聞かれても答えられるわけがない。とはいえ、そう言ったところで意味がない、というのは自分でも理解できた。


 どうすべきか考えあぐねるナギ。その時だった。少女の怒声に紛れて床が擦れる僅かな音が耳に届く。方向は背後――立方体が置かれていた場所からだった。


「あん?」


 間の抜けた声をもらすナギ。その視線の先には、立方体は無くなっていた。代わりに居たものは、蜘蛛だった。だが、大雑把な姿形こそ蜘蛛であるが、赤い光を放つ1つ目、金属の装甲に覆われた8本の脚を持つ人と同じくらいの大きさがあるそれを、蜘蛛扱いするものはいない。


 そのような存在を冒険者は魔物と呼称している――!


「くも……蜘蛛……!」

「蜘蛛は嫌いか? まあ、ナギも好きじゃないな。通り道に限って巣がある」


 後退り箱から落ちかけた少女の身体を支えながら、ナギは蜘蛛を見やる。飛びつけば容易に人も押しつぶせるだろうそいつは、警告するように赤い目を点滅させていた。その理由が、遺跡への不法侵入に対するものなのか、或いは少女の逃亡を防ごうとしているのか。


 その理由を考える必要はない。どうせ目の前の障害を斬らねば、地上に帰ることは出来ないのだから。


 ナギは、箱を乗り越え蜘蛛と対峙する。そのまま一歩進もうとしたところで、腕を引っ張られた。


「なにする気だ! 私をかばおうっていうなら必要ない! 早く逃げろ!」


 震える身体と声、強くナギの腕を握りしめた手は、不安の裏返しに過ぎない。そうしろと言いながらも、そうしないでくれと願っている。


 そういうのは困る、とナギは眉をひそめる。


「ばらばらなことを言わないでくれ。ナギは、そういう言葉の中を読むのは苦手だ」

「裏だ! いや、そんなことはいいから早く――」


 少女の叫びを遮るように、蜘蛛は口元に当たる部分から何かを吐き出す。放射状に広がりながら二人に向かっていくそれは、網だった。人ひとりを覆うには十分な大きさのそれに絡まれば、その先に待つものは言うまでもない。


 その結末を避けようと少女は必死に足に力を込めるが、目覚めたばかりの身体は言うことを聞かず、右手はナギを掴んで離そうとしない。いやだ、と言うように声にならない息を吐き出した――。


「助けてほしいのならそう言え。遠慮するやつから死んでいくぞ?」


 見開かれた少女の目が捉えたのは、瞬きのごとく奔った青白い光の軌跡。三本の軌跡に沿って網は斬り裂かれ、掠ることもなく二人の背後へと流れていく。


「なっ、ああ? お前、なにをして……」

「これか?」


 振り上げていた剣を下ろすナギ。その手に握られた剣の刃は、くすんだ錆色ではなく月光を思い起こさせる蒼白を纏っていた。


「 魔力を刃にしてる、らしいぞ。詳しい理屈はナギもよく知らん」


 こともなげに言って、ナギは右手で剣を握り、切っ先を床へと向ける下段の構えを取る。それは誰かに師事したわけでもなく、書物から知見を得たわけでもない。しかし、一見して構えているように見えない構えこそが、相手に攻撃を悟らせず反撃にも対処できるということを、彼女は経験で理解していた。


 そして、剣に纏わせた魔力は錆びついた刀身に覆いかぶさるように刃を形成している。具体的な仕組みは彼女も理解していない。ひたすらに剣を振り続けたことで身についた技術。彼女にとっては、それで十分だった。


「じゃあ、斬らせてもらう」


 前へと崩れ落ちたと錯覚するほどに低い体勢から、一歩の踏み込みで蜘蛛の懐へ飛び込む。少し手を伸ばせば触れる距離で無機質な単眼とナギの目が合い、彼女は歯をむいて笑う。


 真っ当な生物ならここまで近づいた時、何らかの感情を示す。例え虫でもあっても危険から逃れようとする。だが、この蜘蛛は恐怖も怒りも見えず退く素振りも見せない。そんなイカれたモノこそ斬り甲斐がある――!


 剣を握りしめ、狙いを定める。どこに内蔵があるのか、そもそもあるのかはわからないが体を半分にされれば死ぬだろう。故に振り抜くのは目を中心とした人間で言う人中。踏み込んだ二歩目は、三歩目へと至る溜め。回転させた体の捻れを腰から肩へ、そこから肘から手首へと伝達していく。


「裂かれろ!」


 そして、最後の三歩目。踏み込みと共に振り上げた刃は、単眼を縦に斬り裂く。その勢いで宙に舞い上がった蜘蛛は、背中から床へ叩きつけられ耳触りな音を響かせた。


「……やったのか?」


 動かない蜘蛛を見て、距離を取っていた少女は恐る恐るナギへと近づいていく。


「いや、駄目だな。失敗した」


 あっさりとナギが否定したのと同時に、蜘蛛は脚を反転させて体を跳ね上げる。単眼には一直線の傷こそついているが、致命傷とは言えまい。現に、蜘蛛は変わらず赤い単眼を二人へと向けていた。


「失敗って……」

「思った以上に硬かったな。剣のほうが持たなかった」


 そう言ってナギは手にした剣を放り投げる。刃は初めからそうであったように消え去り、残った柄も床に落ちると同時に砕けてしまった。


「おい、どうすんだ!? これじゃお互いデッドエンドだぞ!?」

「それは、仕方ないんじゃないか。死ぬときは死ぬものだ」


 風が吹けば木は揺れる。ごく当たり前の自然現象を語るような軽さで迫る末路を口にするナギの胸ぐらを掴み、少女は叫ぶ。


「ふざけるな! 私は死にたくないんだよ! 勝手に起こして、勝手に戦って! それで死ぬから仕方ないなんて受け入れられるか! こんなわけもわからない場所で……意味のわからないやつと!」

「いや、ナギも死にたいわけじゃない。ただ、死ぬときはいつか来るというだけで」

「じゃあ、今日はその日じゃない! だから教えろ! あいつを斬るには何が必要なんだ!?」


 怒り、恐怖、勇気。整った顔に様々な感情の色を滲ませながら少女は張り詰めた声を上げる。青い瞳に睨みつけられたナギは、


「わかった、じゃあ剣が必要だ」


 そう答え、自分でも意外に感じた。自分の命がそうであるように、他人の命もいつかは失われるもの。潰えてしまったというなら、それはそこまでの命だった。そう考えて生きてきたが、必死に生きたいと叫ぶ少女にそれを適用するのは、漠然とした嫌な感じがあった。


 それがどうしてなのかはわからない。しかし、今自分が考えるべきはそれじゃない。


「剣……武器が必要なんだな? いや……じゃあお前が提げてるのはなんだ?」

「これは刀だ、たぶん」

「はぁ!? そんなものがあるならそれを使えばいいだろ! 馬鹿かお前は!?」


 こんな奴に命を託さなきゃならんのか。半泣きの顔で刀を奪おうとする少女に、好きでそうしているわけじゃないとどのように説明すればいいのか。少し考え、実際に抜けなければ納得するだろうと結論を出したナギは、何も言わないことを選択する。


「こう、やって……!」


 鞘と柄に手をかけた少女は、引き剥がすように両腕を動かす。何度ナギが試したところで意味のなかった動作と変わるところはない。だというのに、


「あれ?」


 間の抜けた声を漏らすナギ。これくらいわかるだろ、という少女の怒声も耳に届いていない。彼女の目は、少女があっさりと引き抜いた刀の煌めきだけに向けられていた。


 一点の曇りもなく、冬の川のように冷たい色をした刀身。触れれば凍えると錯覚するほどの鋭さを感じさせるが、それは間違いなく幻だと確信させる。何故なら、その刀身に刃はないからだ。毀れたのではなく、最初から不要と丸められている。だが、それがなんだというのか。それ以外の全てが、斬るために創られているのだから。


「……! 来てるぞ!」


 白銀の輝きに目を奪われていたナギは、少女の声で我に返り大きく飛び退く。一瞬前に立っていた場所を覆い隠す網に、彼女は舌打ちをする。蜘蛛は、ナギと少女を分断するように位置取っていた。すり抜けて少女と合流することは可能だろうが、自分以外を守りながら網を躱す余裕はあまりない。


 小さく息を吐き、ナギは蜘蛛と相対する。本体が斬れない以上、狙い目は関節。接近しつつ、残骸からパイプを引き抜く。再び放たれた網を躱し、全力で足の関節めがけて振り下ろす。


「無理か、こりゃ」


 傷ひとつつかず、ただ手が痺れただけで終わったことにがっかりする暇はない。少なくとも、蜘蛛が優先すべき対象と認識しているのは自分だ。その間、少女を気にする必要はないはず。


 幸い相手の行動は単純だ。口に当たる部分から網を飛ばす。それ以外のことはしてこない。なら、十分に耐えられ――。


「ん?」


 前足二本を突き出すようにした蜘蛛に、ナギは訝しむ。その爪先が下に45度折れ曲がり、筒状の中空が露出した。


 何か来る。首筋を撫でる予感に、ナギはそれまでより二歩大きく横へ飛び退いた。遅れて聞こえた粘着質な音に舌打ちが溢れる。一瞬前に立っていた地点には、2つの網が張られていた。


「面倒だな……」


 ならば、仕方あるまい。他人を気にしつつよりはマシだろう。


「思い切り投げてくれ! たぶん掴める!」

「わ、わかった!」


 ナギは声を張り上げる。返事と同時に少女は手にしたものを蜘蛛の頭上を越すように放り投げた。


 回転しながらこちらに落ちてくるものをナギは捉える。黒塗りの細い鞘。やや反り返っている。全長80センチほど。これまで自分が使ってきた剣とはまるで違う。だが、それは別に良い。斬れるのなら、どんな剣だろうと。それを手にしたときを考え、知らず体が震える。


 だが、それに水を差すように蜘蛛は前足を宙を舞う武器へと向ける。無論のこと、指差し確認をしているわけではない。武器を奪うという単純ながら効果的な戦術を狙っている。


「虫のくせに生意気な!」


 その前に掴むしか無い。一気に跳び、手を伸ばす。視界の端で爪先がこちらに向けられたのが見えた。爪先が折れ曲がり、


「っ、ああああああ!」


 吠えたナギの左手が鞘を掴み、右手が柄を握りしめる。放たれた3発の網に向かって、右腕を滑らせる。


「――はっ」


 無意識の声が溢れていた。一振りで3つの網を斬り裂いた光景ではなく、着地に失敗し尻餅をついた自分に対してでもなく。


「は、ははははははっ! 刃がないのはそういうことか!」


 自らが手にした刀に対しての歓喜だった。見たことがないほどに深く冷たい輝きを放つ刀身。手に吸い付くどころか無くした右手と錯覚するほどに馴染む柄。そして、


「ああ、もういいぞ! 結果は見えた!」


 幾ら魔力を流し込もうと軋むことのない耐久性。これまで使っていたナマクラであれば破裂していただろう魔力を纏った一振りは、蜘蛛の前足をまとめて2本斬り捨て、返す刀で本体を紙のように斬り裂く。


「本当にやったのか……!?」


 信じられんと目を見開く少女。だが、ナギからすれば刀を手にした瞬間にはこうなるとわかっていた。わかっていることを再確認したところでつまらない。だから、普段であれば飛び退こうとする蜘蛛に興味は失っていただろう。


「そうだ、全力を試そうか!」


 しかし、今はどこまでの力が振るえるのかという好奇心。逃げるぞという少女の声に後押しされ、狼のように追いすがる。最初と同じように懐に飛び込んだナギは、同じく全身で刀を振り上げる。違うのは、刀身に纏った魔力は星雲のように渦巻き不定形の刃となっていたこと。


「――――!」


 声にならない歓喜と共に振るわれた一撃は、蒼白の奔流となって蜘蛛を飲み込む。天井まで叩きつけられ、体を構成したものが魔力の燐光と共に落ちていく。不均質な音が止んだところで、ナギは刀を鞘へ納めると、呆然とこちらを見やる少女に言う。


「名前、なんだっけ。聞いてなかったか?」

「……言ってない。わからないんだ。なにも、思い出せない」


 ぶっきらぼうに言って俯く少女を前にナギは、


「そうか。んー、そうだな」


 自分の時はどうだったかと何気なく仰ぎ、はらはらと舞い落ちる白い燐光が目に入る。次に少女の銀色の髪を見やると、ナギは両手を合わせて言う。


「よし、ユキだ。こういうのはわかりやすいのが良いと言っていたはずだ」

「ユキって……お前、色だけで決めただろ」


 安直が過ぎると呆れた目をする少女。ナギは、心外だと首を振る。


「それだけじゃない。雪みたいに綺麗だからだ」

「……そうかよ。まあ、それでいい。考えたところでロクな名前になりそうもない」

「なんだ、ユキも馬鹿なのか?」

「よし、アドバイスだ。馬鹿の自覚があるなら余計な口は聞くな。喧嘩売ってるんじゃなきゃな」


 わかったか、と眉を吊り上げて言うユキにナギは頷いて見せる。疑わしそうな目を向けるユキだったが、咳払いをするとナギから視線を逸しながらボソボソと言う。


「それと……お陰で助かった。私一人じゃどうにもならなかった。ありがとう」


 不器用ながらも感謝を告げるユキ。それに対して、ナギは能天気に笑って答える。


「別に気にしなくてもいい。ナギが起こさなかったら、そもそもこんなことにならなかったしな」


「……そこは『どういたしまして』でいいんだよ」


 そうなのか、と首をひねるナギ。ユキは、これからの不安を代弁するように大きな溜息をついた。

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