地に雪月、欠けるは狼月、空には砕月
@kitakata
1章
第1話 そんなの覚えていないぞ
肉。肉。肉。混じって巨大な角と骨。
カウンターに積み上げられたそれらを前に、長い黒髪の女は狼耳と尻尾を揺らして誇らしげな顔をする。
その周囲の者は、感嘆に混ざって呆れた視線を肉の山と彼女へと向けていた。鼻の鋭い者は僅かにもれる血の匂いに顔をしかめていたが、当の本人は気にした様子はない。
女は、大きな葉に包まれた肉塊を手にとって言う。
「どうだ? デカい鹿の魔物がいたんだ。ナギが一撃で首を刎ねたからきっとウマいぞ」
ナギと名乗った女は、女性としては高い身長で、その体格から見て年齢は20前後。細く鋭い目をした顔立ちは、整っていると言うには十分だったが、身にまとったボロボロのマントが台無しにしてしまっている。
「これは良い稼ぎになっただろ? ナギは褒められてもいいと思う」
そうドヤ顔をするナギは、仕事終わりの役員のようにどっかりと椅子に腰を下ろす。
何ら気後れする必要もないといわんばかりの彼女に、
「なるほど、たしかに大したもんだ」
肉の山の向こう側から老婆の声が返ってくる。だろう? と腕を組んで頷くナギ。
「それで他には何がある?」
「他? これで十分じゃないか。そこらの冒険者よりよっぽど稼いでるだろ、たぶん」
「なるほどね……じゃあ、あたしが何を言ったのか覚えているかい?」
「そんなの覚えていないぞ。つまらないことを」
聞くな、と言い切ることは出来なかった。代わりに響いたのは二度の殴打音。それぞれナギの頭に拳骨が落とされたもの、その勢いで額をカウンターに強打したものだった。
「こっちは薬草を取ってこいと言ったんだ! 誰が森で遊んでこいと言ったんだい!」
肉の山をかき分け顔を出した老婆は、うずくまるナギを睨みつけて言う。
「いっつ……遊んでなんかいない、ちゃんと魔物を狩ってきた」
「それが遊んでるって言うんだよ。どうせ薬草を探しもしないでふらふらしてたら、匂いを見つけて突撃したんだろ」
「……ちゃんと金は稼いでるだろう。それに、ナギは草よりも肉のほうが貰って嬉しい」
「ったく……草を取ってこいって言われたら草を取ってくりゃいいんだよ」
狼のような耳を伏せて『これ以上聞きたくない』という態度をとるナギに、老婆は溜息をついて続ける。
「はぁ……いいかいナギ。あんたは冒険者としてギルドに登録されて3ヶ月経った。そろそろ成果を上げてもいいころだろう。で、あんたがこれまでにこなした任務の数は?」
「4つくらいだろう」
「2つだよ。目的の場所まで行って帰る。薬草を採取する。これが出来なきゃ冒険者を名乗らせるわけにはいかないっていう最低ラインだ。」
「じゃあ、別にいいじゃないか。それが出来たからナギは冒険者なんだろう?」
ぐるりと首を回すナギ。二人が話し合うカウンターの左右では、受付と喧々諤々の声を上げる冒険者が端まで座っている。首を後ろにやれば、腕を組んで呆れた顔をする冒険者と目があった。
「見てて面白いものなんてないよ! 他に回ってな!」
老婆の一喝に、呆れ顔を引きつらせた冒険者たちは左右の列へと捌けていく。誰もいなくなった背後から正面に視線を戻すと、老婆は言う。
「行って帰ってくるだけなのに予定の5倍は時間を掛け、採ってきた薬草はただの雑草。子どもでも出来ることはやらず、代わりにやってるのは魔物狩り。戦うだけは一丁前に出来るなら、それを社会生活に活かそうとは思わんのかね」
「そう言われてもな。金を稼いでいるなら、社会生活?にも活かされているんじゃないのか」
「減らず口も一丁前か、ったく」」
苛ついた様子で机を指で叩く老婆だが、退屈そうに垂れるナギの尻尾に再び溜息をつくと、ファイルの中から1枚の紙を取り出す。
「なんだこの絵は?」
「ついさっき見つかったばかりの遺跡だ。わかりづらいが、岩山の下に金属が見えた」
へえ、とナギは手に取った風景画を眺める。どこにでもあるような巨大な岩の塊だが、老婆が言う通り下のところには光を照り返すものが描かれていた。その窓のように四角い部分は、黒く塗りつぶされている。
「これがどうしたんだ?」
「まだ何もわからんが、金属があるとなれば貴重なものもある。お前が持ってきたものよりも斬り応えのある存在もな」
「斬り応えのある……それはいいな。最近は退屈だったんだ。どうしてもっと早く言ってくれなかった?」
先程とはうって変わり、声を弾ませ立ち上がるナギ。マントからはみ出した尻尾は大きく左右に揺れていた。
「さっき見つかったばかりと言っただろう。それに、街から離れたところに行かせたら、いつ帰ってくるのか不安でしかない」
「なんだ? ナギを馬鹿だと言ってるみたいだ」
不満げに顔をしかめる彼女に、老婆は出来の悪い生徒を見るような目をして言う。
「馬鹿だって言ってんだよ。ほら、他の奴らが探索する前にとっとと行ってきな。そろそろまともな成果をよこしなよ」
「ああ、やってくる。偉くならないとババァは斬れないんだろ?」
「『偉く』じゃない。人の役に立ってみろと言ったんだ。それと」
老婆は不敵な笑みを浮かべ、薄い長袖に覆われたナギの腕を指して言う。
「確かにあんたは強い。そこらの冒険者も魔物も相手にならんだろうね。だがね、あたしに折られるような細腕じゃ、首は取れんよ」
「折られたんじゃない。あれは……すごく痛かっただけだ」
「それを『骨折』っていうんだよ、覚えておきなこの馬鹿犬」
ムキになって言い返すナギが突き出した頭に、老婆は拳骨を落とす。受付に響いた重たい音に、周囲の者は何事かと目を向けるが、その発生源が老婆とナギと見るやよくあることと言うように自分たちの予定に戻っていく。
「いったい……これは頭が折れた。脳ミソがこぼれているに違いない」
「それくらいで割れるような上品な頭をしてないだろうが……」
うずくまって頭を抑えるナギに、だから物知らずっていうんだよと老婆は肩をすくめた。
街から30キロほど東に進んだ森。赤い布印を辿れば目的の遺跡にたどり着く。
老婆から教えられた情報はそれだけだったが、ナギは苦もなく木の根で歩きづらい道なき道を進んでいく。
「こっちか」
ナギが見ているのは布印ではなく、足元の土だった。
人のものか、動物のものか。今できたばかりなのか、昨日できたものなのか。10年近くを山で生きてきた彼女には、それくらいの判別は容易い。
そして、狼の耳と尻尾の見た目に違わず鼻も優れている。流石に獣そのものには及ばないものの、数キロ先の匂いを感じ取る程度のことは出来る。
故に、彼女が主張した通り狩りに最適な素養であり、冒険者としても優位な点である。
「甘い匂い……舐めたいな」
だが、子どもさながらに興味が目移りするという重大な問題も抱えていた。それでいて、自分が興味を持たないものにはどうでもいいという精神性も合わさり、集団行動にはまったく向いていない。
今も、彼女の興味は逆方向から漂う蜂蜜の匂いに向いている。普段であれば、このまま目的を忘れて本能のままに足を進めるところだったが、
「で、こっからはまっすぐか」
斬り応えのある何かが存在するという遺跡。それへの興味は忘れていなかったナギは息を吸って軽く跳ねる。浮き上がった足が接地した瞬間、バネのように弾けた足は猛烈な勢いで体を前へと吹き飛ばしていく。
木の幹、突き出た岩の先端、張り出した枝。僅かでも足が触れたものを踏み台にし、木々の合間をすり抜ける。
目まぐるしく変わる景色の中、人の匂いが途切れた。ナギは、岩山を蹴って宙返りをし、数分ぶりに両足を大地につける。
「ここか」
記憶の風景と目の前の風景を照らし合わせ、たぶん同じだろうと結論づけた彼女は、岩から漏れる金属の輝きへと近づく。
「冷たくて硬い……」
こいつも歳を取る前はこうだったかな。腰に下げていた鞘から剣を抜き放ち、しげしげと眺めるナギ。
かつては眼前のそれと同じように輝いていたかもしれない刀身は、サビつき曇り刃もこぼれていた。
ナギは、そのまま金属に囲われた闇を覗き込む。異臭はせず、光石を中へ放ってみる。数秒もしないうちに軽い音と共に放たれた光に目を細めると、彼女は立ち上がって大きく伸びをする。
「これくらいなら縄はいいか」
そうつぶやき、ナギは右手に持った剣を突き上げる。一歩踏み出したところで、不意に日が落ちたように影が差した。刹那、突き上げた剣の切っ先が青白くゆらぎ、そして鞘に収められた。
ナギは、周囲を見やること無く穴へと飛び込んでいく。
その彼女が立っていた場所に赤い雨が降り注ぎ、遅れて落ちてきたものが地面を揺らす。木の幹よりも太い胴を持つ大蛇は、両断された自身の体を生気のない目で見つめていた。
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