海に沈むジグラート 第13話【想いの行方】

七海ポルカ

第1話 想いの行方

 朝陽が射し込んだ。

 薄い板の上に置いた紙に、黙々と描き込んでいたネーリは、紙に陽があたると手を止めた。

「出来た」

 紙を、描いていたスペインの大型艦の隣に合わせてみる。実際の船にも、正面から朝陽が射し込んで、ネーリが描いていた絵の船にも、同じように朝陽が当たる。

 この瞬間を待っていたのだ。ネーリは満足げな溜息をつく。

「綺麗だなあ……」


 スペインの大型艦。

 ネーリはフランス艦隊が停泊している西の港も見に行った。フランス艦隊の大型艦も、ずらりと並んだ姿は壮観だったが、確かに少し、スペインと雰囲気が違う。フランス艦隊の船は白くて豪奢な金が輝いていたが、スペイン艦隊は赤みを帯びた木の、品のある美しさがあった。

 どちらの船も美しいが、多分女性に例えると、全く雰囲気の違う女性という感じだ。

 フランス艦隊は美しい宝玉に身を飾り、瞳を輝かせた美女だが、

 スペイン艦隊は美しい黒髪に花色の頬や、唇を持つ、華やかな笑みを持つ麗人。


 神聖ローマ帝国軍は……。


 毅然と整列し、出撃していく景色を思い起こす。

 あの国は、女性に例える余地もないような、軍国だ。

 銀の武具に固めた身を、更に黒の軍服で包み込み、巨獣を従え、出撃し、飛来する。

 軍人の中でも選ばれた人間が竜騎兵になれるという。

 竜騎兵は神聖ローマ帝国では【騎士の中の騎士】、に贈られる称号なのだとか。

 あの国は、多分男の美しさなのだ、とネーリは思う。

 遠くにヴェネト王宮が見える。


 ではヴェネトは、どういう国だろうか?


 干潟の絵を描いていると、ヴェネツィアは美しくて魅力的な、女性的な雰囲気がある、と思う。いつも穏やかで眠たげだが、時折目覚めるとそれは美しい瞳をした女性、そんな感じだろうか。

 海の上に浮かぶ水上都市。

 スペインも、フランスも、彼らの軍艦を見ても、彼らの国としての雰囲気を感じるが、ヴェネトはそれとは少し、違う。

 海に浮かぶ、国。その姿そのものに、風土を感じるのだ。

 ヴェネトは海色のドレスを纏う、惰眠を貪る女神である。いつも悠然と寝そべっているが、時折目覚めると、ハッとするほど美しい一面を見せてくれる。


 しかし……この女神の性格は、本当のところは、まだあまり分からないのだ。


【シビュラの塔】の凄まじい閃光。

 温かな母親のような女性に思えることもあるけど……本当は恐ろしい性格をしているのかもしれない。

 ヴェネト王宮にいる、王妃の顔が過った。

 激しい気性をしていて、危険な女神なのかもしれない。……でもネーリはいつも晴れた日の干潟を描く時は、こんなに穏やかで優しそうで、心の全てを預けたくなるような女性はいない……、そんな風な気持ちでヴェネツィアの街を描いて来た。

 真実は、まだ、分からないけれど。


◇   ◇   ◇


 煙草を吸いながら書類に目を通していたイアンは、鳴った扉に「どーぞ」と声を掛けた。

「失礼します。隊長、お客様がお見えです」

「客? 鬱陶しい真っ青の軍服着たフランス人だったら俺はいないって言って追い返しといてや」

「いえ、フランス軍の者ではありません」

 副官が笑って、どうぞ、と招き入れる。

 ひょこ、と顔を出した姿に、イアンは明るい笑顔を見せてくれた。


「おわ~! ネーリやんか! スペインの船見に来てくれたんか? ホンマに訪ねて来てくれたんやな。嬉しいわ~~~」


「実はもう港の船、少し見て来ました」

 ネーリがさっき描いた船のスケッチを手に掲げている。

 イアンは煙草を陶器の灰皿に捨てると、歩いて来る。スケッチを見せてもらうと、彼の緑色の目は輝いた。

「これ……どのくらいで描いたんや?」

「えと……三十分くらいだと思います」

 感嘆の溜息をつく。

「見てみ、これこの子が描いたんやで」

 自分の副官に絵を見せる。イアンにしては随分可愛いお客さんだなあとでも思っていたのか、にこにこしていた副官が、見せられた絵を見て、本当に驚いた顔をした。

 イアンも最初は微笑んでいたのだが、もう一度絵を見て、じっ、と押し黙った。

「……イアンさん?」

「ん?」

「あ……どこか、気に入らない所がありましたか?」

「え? ああ、ちゃうねん! ちゃうちゃう! そんなとこどこもないよ。こんな凄い絵描いといて何言うとんのや……」

 イアンは安心させるように笑った。


「ネーリは、よく船を描くのかなと思ってな」


 ネーリは目を瞬かせた。

「軍艦はヴェネトでは珍しいので、初めて描きました。大型船も珍しいけど、港に大きな貿易船が時々停まる時は、見に行って描いたことはあるけど……ゴンドラはよく描きます」

「そうか……。じゃあ船の構造とかは詳しくないんやろ」

 構造?

 ネーリは首を振る。


「そっか。ほんならホンマに、君は目で見た記憶だけを頼りにこの絵を描いとるんやな。

帆装の描き方が本当に忠実で美しい。うちのスペイン艦隊は何種類か違うタイプの船を連れて来とるから、このマストと帆の描き方の違いで、ネーリがどの船を描いたのか、一発で分かるんやで」


「そうなんですか?」


「うん。すごいなぁ。君は。船のこと、何も知らんのに、そこに在ればこんなに正確に写して描けるんか。これは帆柱が二つやろ? これは三つ立っとる。うちの艦隊が連れて来てる中で三つ帆柱が立っとるのは旗艦の【アストゥリアス】だけや。せやから俺らがこの絵見たら一発で【アストゥリアス】や! って分かる」


「きかん?」

「その艦隊の司令官が乗る船や。今回のスペイン艦隊の総司令官は俺やから、要するに俺の乗る船、ってことや。ほら、ここに日干ししてる旗あるやろ。これを掲げてると、もっとゴチャゴチャした戦場でも一発であっ! イアンさんが乗ってる船だ! ってことが分かるわけや。この旗に描かれてるのはアラゴン家の紋章や。俺の紋章なんやで」

 えっへん! という感じで一度は胸を張ったイアンだが、すぐ半眼になる。

「ってかこれ、ネーリ忠実に描き写してくれたんよな? どこに干してんねん人の旗を! ちゃんと騎士館に持ち帰って庭に干せって言ったやろ! また洗濯物みたいに船の縁に干しやがって!」


「す、すぐに確認して来ます!」


 副官が慌てて駆け出していく。

 ネーリは目をぱちぱちさせている。

「ここに干しちゃ……駄目なんですか?」

「船っていうのはな、確かに海上に浮かぶものやけど、その操作や管理は、陸でも同じことが出来なきゃならんねん。想像してみや、船が大海原走っとる。気持ちいい大海や~ お日様降り注いで風も気持ちええ。よし、旗干そうってこんな船の縁に掛けてみ」

 あ、とネーリは分かったようだった。


「一発でポーン! 飛んでくで。あいつらは停泊中の船だからええやろって気持ちでこんなとこに干してんねん。別に俺も本国ならそこまできつくは言わんけど、ここは他国や。フランス艦隊や神聖ローマ帝国もおるんやで。几帳面な軍人がこんなもん見たら、スペイン艦隊はズボラでいい加減な仕事する奴が多いわ~って一発で分かる。ヴェネトでは何が命取りになるか分からん。俺らは王妃に気に入られなあかんのや。実力ならまだしも素行でだらしない雰囲気の艦隊だわなんて思われるわけにはいかん。国の代表で来とるんやからな。見られる部分は、ちゃんとせんと」


 ネーリは目を輝かせて自分の絵を見た。見る人が見ると、そんなことが一目で分かるのか。面白い。

「そうなんですか。ぼく、何にも考えずに描いてたから……そういうのが分かって見ると、楽しいなぁ。この旗も、朝陽が射し込んだあと、朝日にキラキラしてすごく黄色の下地が綺麗だなぁって思ってたから……干しちゃダメな場所だったんだ」

 そんな風に言ったネーリにイアンはくす、と笑う。

「まあ確かに……洗濯物みたいに干されて気持ち良さそうではあるわな」

「はい」

 屈託なく笑っているネーリに、イアンは頷く。

「よっしゃ。ネーリは大型艦はそんな見たこと無い言うてたな? 特別に俺が船案内してあげるわ」

「ほんとですか?」


 ネーリの目が輝く。

 可愛いなあ。

 イアンは笑った。

 ヴェネトに来てから上手く行かないことばかりで鬱々としていたが、少年のように純真なネーリを見ていると、心が和らぐ。


「ほんまや。今日は大きな仕事も無い日やったし、気にせんでええで。俺が見せてやりたいねん。そんで、うちの船、君にいっぱい描いて欲しいわ。ちゃんと依頼するから、一枚は色付きで描いて欲しいなあ。国に送りたい。母親にな。

 俺、滅茶苦茶筆不精やねん。

 今回も定期的に父王には報告書は送ってるんやけど、なんや照れるから母親やほかの兄弟にはなんも手紙書いてないんや。俺はいっつも遠征ではそうやから、「元気でやっとります」くらい書けって小さい頃から母親に怒られとる。母親に手紙なんか書きたくないって言うんやけど、そんなこと言ってる奴は嫁にも書かん奴やって叱られんねん。いつか大切な人に書けるように書けって俺たち兄弟は言われて育って来た。

 けど仕方ないから『元気でやっとります』って書いただけ手紙送ると、こんなつまらんことしか書いてない手紙いらん一発必ずこっちを笑わせるくらい出来んのかとか怒りよるしどないせいっちゅーねんな……」


 ネーリが声を出して笑った。

 イアンが、どんな家族たちと育って来たか、今の話を聞いただけでも伝わって来る。

 彼は明るい男だったが、多分、家族も明るい人たちなんだろう。

「まーでも……今回は遠征先がヴェネトやから……。えらい心配しとったからなあ……。

心配せんでええ、なんて書いたって言葉は陳腐やろ? けど、ネーリが、ヴェネトに威風堂々と停泊するスペイン艦隊の絵描いてくれたら、ああこんな立派にヴェネトの港にドーンとスペイン艦隊がおるなら、大丈夫や侮られる仕事はしてへんなって母親にもきっと一発で伝わるわ」

「やっぱり……すごく心配してらっしゃったんですか……?」


「……そうやなあ……。というか、普段うちの親、心配せぇへんねん。どこの戦場にどの子供送り込んでも、『わしらにはその辺で野垂れ死ぬような子供は一人もおらん!』みたいに何故か自信満々やねん。はよ行って来い! って感じでケツ蹴られて出撃して来る感じやから。それ考えるとなあ……今回はやっぱ、さすがにあの二人でも感情的になっとったな。いつも心配見せへん人間だからこそ、今回本気で心配しとるのが伝わって来た」


 スペインにとっては、ヴェネトはそれくらいの場所なのだ。

「危険な場所、だからですよね……」

「【シビュラの塔】があるからな……。それにそれを扱うヴェネト王宮にも色々謎が多い。

 未だに自分たちが砲撃したってことは公には認めとらんしな。奴らが何きっかけで撃ったのか分からんと、また同じ事が起こるかもしれんやろ。俺は王妃に会ったけど、想像した五十倍くらい、夜会三昧で緊張感のない奴やったわ。もっと寡黙で、心の読めへん難解な連中を想像しとったけど……」

「イアンさんは王妃様に会ったんですか?」

 歩きながら、ネーリは聞いてみた。


「会うたよ。けど、高飛車で嫌やったわ~~~。

 あっ! 俺がこんなん言ってたなんて言いつけんといてね? だって会うた途端遅刻のことネチネチ言われたんやもん。お付きの方々全員でスペインの方は随分のんびりしてらっしゃるのねえ、なんて笑われて。そら、確かに俺は遅れたけど、元はと言えば最初に約束すっぽかしたのあっちなんやで。そんであの日、いきなり来いとか呼びつけられて……」


「あ……、僕が送ってもらっちゃったから……」


「ああ! ええねんええねん! そんな顔しないでええんや。俺はあの時、たまたま通りかかって君に会うて、助けられてほんま良かった思ってんねん。あんなクソ警邏に、ネーリがなんかされとったらって思うとホンマに腸が煮えくり返りよる。だからそうならなかったんが一番や。おかげで今もこうやって綺麗な絵を描いてもらえるしな。

 神聖ローマ帝国の駐屯地の絵も、良かったなあ。

 あいつらがどうやって毎日を過ごしてるのか、あれ見れば一発で分かる。

 それに自分たちが描かれてるって、嬉しいもんやで。

 フェルディナントはぷんぷん怒るかもしれへんけど、スペイン艦隊の連中も絵描いたってよ。俺同様あいつらもヴェネトにやって来てからいきなり港の増設工事やらで寝不足寝不足や。【シビュラの塔】は毎日霧の中にだけど見えとるし、化け物にいつも見つめられて、なんか全体的にしゅんとしとる。陽気が取り得な連中が元気ないからな、君がいっぱい絵描いてくれたらあいつらも喜ぶし、元気づけられるよ」


「嬉しいです。今日、駐屯地の様子見せてもらいたいなあと思っていっぱい紙持って来たんです」

 肩に斜めに掛けた鞄を揺らして、ネーリが言った。

「もちろん、大歓迎や!」

 イアンは両腕を広げて嬉しそうに笑った。

「いっぱい見せたるから、たくさん描いてや」


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