第三話「プロとしての責任」


--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 7:23 丘口知夏 --



丘口知夏はゾンビに噛まれた人を探すため、屋上中を走り回った。

そしてエハルの指示通り、かつて森崎であったゾンビが倒れている場所へ連れ出した。


噛まれてしまった一人の男ともう一人の杖をついた初老の男とともに、そわそわしながらエハルの帰りを待っていた。

屋上にいる人々は皆、ここから遠い場所でそれぞれ作業をしている。


「あ! おかえりなさい! です!」


エハルは近くまできて立ち止まると、ゆっくりとこちらを見回した。そして初老の男を見て一言いった。


「あなたは噛まれてないように見えるんだが」


初老の男は杖を体の正面へ置くと、軽く会釈をしてから応えた。


「山根といいます。この場所に居る全員の代表として、感謝を伝えに来ました」


山根さんはこの屋上の人々をまとめているリーダーだ。元々この百貨店で長年勤務しており、

杖を使うようになってからは七階にあるホテルの一室に住み込んで働いていたという。

その経験のおかげで店にあるものは何でも把握しており、森崎さん達が調達をし続けられたのも山根さんの知識があってのことだった。


山根は杖を床から離して両手で抱えると、深々と礼をした。


「この度は、ありがとうございました」


杖無しに体重を支えるその足はわずかに震えている。


「当然のことをしたまでですので、どうか頭を上げてください。せめて、杖だけでも。

転んでしまっては――」


「それは私が許せません」


「この屋上にはもう、あの歩く死体共と戦える者はいなかったのです。

あなたが来てくれなければ、我々は皆、なすすべもなく死んでいたでしょう。

それに比べれば、たかが老いぼれ一人が転ぶなど些末なことです。

あなたに感謝を伝えられるなら、何度でも転びましょう」


戦える者とは森崎さん達のことだと、知夏はいやでも分かった。いつも五人でチームを組んで、

必要なものを調達していたからだ。しかし森崎さんはゾンビとなり、他のみんなも帰って来ない。

くやしいけど山根さんのいうとおりだと、知夏は思った。


「……その口振りだと、あなたがここの責任者だと思っていいですか」


山根は顔を上げてエハルを見ると、神妙な面持ちで答えた。


「はい、構いません。私には彼の今後について知る、義務があると思っています。同席させてはいただけませんか」


「そうですか……ぜひ、お願いします」


エハルは知夏へと視線を向けた。


「噛まれた人は彼一人だけか?」


知夏は歯切れが悪そうにして、口を開いた。


「ええと、そのですね……あと一人女性の人がいたんですけど、その……」


知夏はそのままいい淀んだ。


「知夏、それはすでに亡くなっていたと受け取っていいか? すまないが、それは重要な情報だ」


「そう、ですよね。すみません。私がついた時にはもう、亡くなっていました」


「わかった」


エハルは知夏に目線を合わせるようにしゃがみ込み、知夏の肩に手を置いた。


「ショックだったよな。ここは俺に任せて、しばらく遠くで休んでいてくれ」


「でも、わたし……」


「じゃあ、こうしよう。その女性を見ていてくれ。

もしかするとゾンビになるかもしれないからな。話が終わったら、そっちにいく」


知夏はうつむいて力なく頷くと、一人でキャンプ地へと走っていった。



――二十分後――



崩れたピンクのテントの近くで、知夏は一人でうずくまっていた。

誰かの、重そうな足音が聞こえてくる。


「ちょっとは気が楽になったか?」


自身に向けられた声を聞いて、知夏は顔を上げた。


「あ、エハルさん……」


エハルを見るなり立ち上がり、憂うつな気持ちを抱えたまま質問をした。


「どうでしたか。だいじょうぶそう、でしたか」


「ああ、問題ないよ」


そういってエハルは知夏を通り過ぎていき、テントの中を覗いた。


「……二次災害は、起きなさそうだな」


エハルはその場で知夏に向き直った。


「他に誰もいないのは、知夏が説得してくれたと思っていいか?」


「はい。ゾンビになるかもしれないから危ないって、伝えました」


「ほう、いい判断だ。万が一ということもある。そうなれば、一生引きずる傷を負いかねない」


"傷"とは心の傷のことだろうと、知夏は受け取った。

そして思い悩み続けていた、ゾンビに噛まれてなお生きている人について質問した。


「あの、さっきはどんな話をしたんですか」


「少しばかり、重い話をしただけだ」


「その、詳しく聞かせてください」


「山根さんだったか。彼から聞くといい」


「いま教えてください」


彼女は真剣な目をして言った。山根さんに聞いても同じように誤魔化されるに違いないと、感じたからだ。

そんな知夏の気持ちを察したのか、エハルは腕を組んで考えるような素振りをした。


「ダメだ」


短い拒絶の答えを聞いた知夏はうつむき、両手に握りこぶしをつくった。


「……なんでですか」


「君は知らなくていいからだ」


その言葉を聞いて、知夏はすぐさま反論した。


「そんなことないです!!」


エハルは自身の両膝に手を置き、知夏と目線を合わせてきた。さきほどと、二十分前と同じように、

やさしい口調でエハルは話しかけてきた。


「いいか知夏。今起こっている何もかもは、君のせいじゃない。無理に頑張る必要なんて

ない。君はもう傷つかなくていい――」


「そうじゃありません!!!!」


知夏は顔を上げ、黒くて何も見えないバイザーの奥に視線を向けた。


「わたしは!! ここにいる人達みんなが笑顔でいて欲しいんです!! 

今あの人はすごく落ち込んでます!! あの人だけじゃない!! 

ここにいる人みんなが不安なんです!! わたしはそれを、どうにかしてあげたいんです!!」


エハルは膝から手を離して元の姿勢に戻ると、ゆっくりと腕を組んだ。

少しうつむき、二度うなづいた。


「君の気持ちはわかった」


「じゃあ……!」


「だが、ダメだ」


エハルは顔をそむけた。


「いったろう、俺はゾンビのプロだと。ゾンビが引き起こしたあらゆる厄災の

責任は、すべてプロである俺にある。君は一般人だ。これ以上巻き込むわけにはいかない」


突き放すような物言いだった。

少したじろぐも、知夏は食い下がった。


「だったら!! だったらわたしも!! ゾンビのプロになります!!」


エハルは再び顔を知夏へと向けた。


「ほう……いや」


エハルは感心したような口ぶりを抑えるかのようにして、咳払いをした。


「その気持ちは立派だがな、実力があまりに伴っていない。それに君なら、他にできることがあるはずだ」


再び突き放す言葉を告げられると、エハルは背を向けた。


「俺はまだこの百貨店でやることがある。配信、陰ながら応援してるぞ」


エハルは知夏の元から離れていく。


知夏はその場にしゃがみ込み、うずくまった。


「……そんなこと、わかってますよ」


独り言ををつぶやきながら、いったい何をすればいいんだろうと、分からなくなっていた。

ゾンビと戦うことはできない。感染した人の助けにもなれない。配信だってもう、見てくれる人は三人しか残っていない。

こんなわたしは、いったい何ができるのだろう。頭がどんどん重くなっていく。


濁りぼやけていく頭の中、一つの疑問が浮かび上がった。


「エハルさんは、何をするんだろう」


膝の上で組んだ腕から少しだけ頭を上げて、上目づかいでエハルの後ろ姿を見た。

エハルはキャンプ地に向かうことなく、真っすぐ歩いている。


知夏はその行く先を目で追うため、徐々に顔を上げていった。

歩いているその先には、非常用の梯子があった。百貨店の中へ入る唯一の通り道だ。


エハルにいわれた言葉を心の中で繰り返した。

そして彼は"屋上"ではなく、"百貨店"でやることがあると言っていたことに知夏は気づいた。


「もしかして、中に入るの……? 一人で……?」


あまりにも無茶だと、まず思った。森崎さんですら五人で調達をしていて、それでもゾンビになってしまったのだ。

一人で行ったって、どうすることもできない。いや、そんなことはないのか。だってゾンビのプロだと言うのだから、


「あの人はプロで、私は一般人。だから、しかたないよね……?」


自身に言い聞かせるように、知夏は小さく言葉を吐いた。

それから知夏は強く手を握りしめ、屋上の床を叩いた。


配信を三年続け、登録者数三十万を超えた経験が、彼女を納得させなかった。

配信を始めた頃は、知夏も一般人だった。再生数がゼロなんて当たり前だった。

だが続けていく内に再生数が伸び、自分らしく生きれる場所を得られたのだ。

もしあの時配信をしていなかったら、何も変わらなかっただろう。


知夏の中で、当時の心境が呼び起され、今の状況と重なっていく。

ここで立ち上がらなければ絶対に後悔する。


「しかたなくなんかない」


心の奥底が膨大な熱を発し、その熱が全身へと伝わっていく感覚が彼女を包んでいく。

知夏はゆっくりとした深呼吸をした後、すくっと立ち上がった。目つきは真剣そのもので、唇は力んでる。


知夏は非常用の梯子がある方向を睨みつけた。

エハルが梯子を下りていく様子が見える。その姿が見えなくなると、彼女は視線を外した。


知夏は少し歩き視線が通るところに着くと、立ち止まった。そして腕を後ろに

組んで縛られ、力なくうなだれている原田さんを遠くから見据えた。


その様子を見ながら、彼女は小さく呟いた。


「わたしにだって、きっとできる……!!」


原田さんから視線を外した知夏は、自身のテントへと走った。中へ入りパジャマを脱ぎ、着替えていく。

ピンクのTシャツと白い短パン、大きな星マークが背中に付いた長袖の上着に袖を通す。指なし手袋をはめる。軽食と飲み物、使えそう

な小道具をポーチへと詰め込み肩にかけ、護身用に受け取っていた金属バットを手に取る。

最後に、最も馴染んだ靴を履いて紐をしっかりと結んで、一直線に梯子へと向かった。


知夏は梯子の前で立ち止まると、階下へ向けて声を発した。


「二十六歳彼氏無しの女だからってぇ、よくも甘く見やがりましたねぇ! こちとらチャンネル登

録者三十万人越えの配信者ですよぉ? 何も知らずに黙って震えられるほど良い子ちゃんじゃあないんですよねぇ!!」


元の調子を取り戻した知夏はそういい終えると、バットをわきに抱えて梯子を下りていった。


梯子の先は非常用の外階段だ。その床はすべて長方形の網目状をした金属となっていて、下が透けて見える。

手を開いた状態であれば、大人でも手を床の向こうに通せるだろう。

知夏は床に足をつけることをためらい、何度かつま先で床をつついていたものの、時間をかけて床に両足をつけた。


知夏から見てすぐ左には非常口のマークが上部についたドアがあり、正面は階下へ繋がる階段が続いている。

階下に繋がる階段は通り道を塞ぐためかバリケードが幾重にも張られている。網目の床越しに見下ろすとバリケード

はほとんどの通路を塞いでいるのが見える。


「なんでこんな、高所恐怖症にやさしくない造りにしたんですかねぇ。非常時でもこんな階段は二度とごめんです」


知夏が百貨店の屋上に行くために通った場所が、この外階段だった。森崎さん率いる人々にゾンビの群れを

遠くへ誘導してもらってから必死に柵をよじ昇り、下を見ないようバリケードを何度も乗り越えてようやく屋上へと辿り着いたのだ。


上りはまだしも下っていくことは、彼女にとって非常に難しいことである。


知夏は左手にあるドアノブを見た。ドアノブには鍵穴がある。


彼女は扉の前まで恐る恐る進み、ドアノブに手をかけた。

ホッとため息をすると、含み笑いをした。


「鍵がかかってない……フフフ、不用心ですねぇ~エハルさぁん」


知夏は森崎さんがこの場所を通る際に必ず鍵をかけていることを知っていた。

鍵が開いているということは、エハルはこの先へ進んだに違いなかった。


準備をしていたこともあり、ドアのすぐ向こうにあの黒い男がいることはまずないだろう。

つまりこれより先は間違いなく危険地帯だ。


この扉をくぐれば、知夏のソロサバイバルが再び始まることとなる。


「さぁてぇ。いきますかぁ」


彼女は非常口の扉を引き、開け放った。


扉の向こうには、黒いフルフェイスを被った全身黒づくめの男が腕を組んで立っていた。


「あわーーーー!?」


知夏は腕を振り回しながら後ろへ転んだ。驚いた拍子でバットは手から離れ、地上でうごめく

ゾンビの群れへと落下していく。


暖色の明りと昭和モダンな雰囲気が漂うレストランを背景に、エハルは腕を組んだまま知夏を見下ろしている。


「遅かったな」


知夏は飛び上がって立ち上がると、高いところは怖いので一旦中へ入り、扉を閉めた。

それからムスッとした顔でエハルを睨みつけると、ぷいっと顔をそむけた。無言でエハルの横を通りすぎていく。

視線の先には階下へ降りるエスカレーターがある。彼女はそこへ向けてずんずんと進んでいった。

知夏の歩調に合わせて、エハルは横をついてきた。そして話しかけてきた。


「一人で来たことには感心するが、まったく、そんな調子では先が思いやられるな」


知夏は応えずに歩き続けている。エハルは咳払いをした後、気持ち高めの声でまた話しかけてきた。


「感染した人は、原田さんというらしいな。ひょっとして、彼のためにここに来たのか?」


「本と映画と、あと美味しい食べ物を取りに来ました」


「なるほどな。せめて生きている間くらいは楽しく過ごしてほしい、そういう思いな訳だ」


レストランの真ん中で知夏は立ち止まり、エハルに向き直った。


「ダメですか」


「いいや。むしろ立派だよ」


「ここは見た通りレストランだ。ある程度の食料はまだ残っているだろう」


「だが見取り図を見たところ、本と映画は四階にある。今俺たちがいるのは七階、

目的地は三階層も下だ。今の君ではたどり着くことすらできない」


「そんなことないです!! 私だって――」


その言葉を、エハルは手の平を前に向けて止めた。



「だから俺も行く」



知夏の思考が止まった。


「……え?」


「君の思いも、その強さもわかった。足りないものは実力だけ。なら俺が手を貸しさえすれば、それで済むことだ」


「でも、わたし……きっと足手まといになっちゃいます」


「心配するな、俺はプロだぞ? この程度は造作もない。それに、闘い方も教えてやる。四階につく頃には

いっぱしのゾンビサバイバーになっているはずだ」


知夏は目を見開き、握りこぶしをつくった。


「ホントに、ホントにいいんですか?」


「いいも何もない。知夏は自身で考え、危険を承知の上でここに来た。そういう人間を助

けるのもまた、プロの務めだ」


知夏は目を輝かせた。

フルフェイスのヘルメットで顔は見えないがそれでも、この人は本当にいい人なのだと知夏には分かった。


「ご助力、よろしくおねがいします!!」


「決まりだな。ではさっそく指導といこう。ついてこい」


「ハイッ!」


二人は階下へ繋がる階段を通り過ぎて、レストランの中央まできた。


「ところでその、ここは七階でしたっけ? ゾンビがみんな倒れてるなんて、ラッキーですね!」


「ああ、動いていたのはもう片づけておいた。といっても指で数えられる程度だがな。屋上の誰かが

数を減らしてくれたんだろう」


知夏の脳裏に、森崎さんのことが思い浮かんだ。


「きっと、森崎さん達だと思います。昨日、五人で物資の調達に行ってましたから」


「たった五人で、か。君に似て、彼は勇敢な人だったのだろう……他の四人はどうなった?」


「それが、帰ってきたのは森崎さんだけでして……とても疲れていた様子だったので、聞けませんでした。

襲ってきたゾンビも知らない人たちでしたし、多分……」


知夏は顔をうつむかせた。

それは昨夜の出来事だった。朝早くに百貨店に入っていった彼らは夕方になっても帰っては来ず、

心配で梯子のそばで帰りを待っていると、夜遅くになってようやく森崎さん一人だけが梯子を昇って来たのだ。

森崎さんの顔色はとても悪く、他に誰もついてきていない。卵が欲しいことを伝える以外の深刻な話題は、知夏にはできなかった。


「そうか。ということは――まだ生きている可能性があるな」


「少人数でゾンビの群れに挑めるんだ、この建物の何処かで立て籠っていてもおかしく

ない。そうは思わないか?」


たしかにそういう可能性もあると、知夏は希望を感じた。他の皆は百貨店の何処かで閉じ込められていて、森崎さんは

どうにか一人で脱出して戻ってこれたのかもしれない。知夏もかつてデパートの排気口から一人で脱出したことがある。

どんなに絶望的な状況だとしても、生きていることを諦めてはいけない。


知夏は目の輝きを取り戻した。


「そうですねっ!」


「じゃあ早く指導を終わらせなきゃです! ようし! やる気、出てきましたよ~~!!」


知夏は威勢よくシャドーボクシングをしてみせた。


「いい気概だ。さて、ついたぞ」


彼等が足を止めたその場所は、レストランの端にある一人用ホテルのフロントだった。

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