本を焼く国は人を焼く

ぼっちマック競技勢

言いたいことを言える今に感謝

 あるところに、一人の作家がいた。


 最初、戦争が始まった頃。政府は戦争に反対する内容の本を推奨しなくなり、逆に戦争を肯定する内容の本に対しては、奨励金を出すようになった。


 世論操作にちょうどいいと言って作家を戦争に行かせなくなった。


 多くの作家はその流れに乗り、戦争を美化した。

 死にゆく人々を日本国の誇りだと言った。私もその例外ではない。


 戦争に己が行くことはないのだろうし、景気が悪く、不当明な今の世で金が確実にもらえるのである。


 むしろ、そうしない理由が見当たらなかった。


 戦争によって実際に死にゆくのは、赤の他人である。

 少なからず罪悪感は感じた。だけれど仕方のないことだと心で言い聞かせ、幾つもの本を出した。


 偽善を掲げ、自らを貶めるような真似はしない。この世を40年渡り歩いてきて、凝り固まったプライドなど、どこかに忘れてきてしまった。


 そのプライドと一緒に何か熱いものも、そこに置いてきた。


 私は今、ただひたすらに一本道を歩いている。

 坂も丘も、山も谷も何にもない。ただの一本道。


 だから私は、そのまま進む。道を逸れるなんてことをする意味はない。だって前にある道の方が歩きやすそうだから。


 ▲


 ある日のことだった。


 私の元に一つの手紙が届く。家族からだ。

 昔、親と喧嘩別れしてから距離を置くようになっていたので、20年ほど音信不通だったのだが、今更どうしたのだろうか。


 ろうで封がおされたやけにしっかりとした封筒の中にはわずか数文字しか書かれていない真っ白な紙が折りたたまれて入っていた。

 真ん中に数文字。



 訃報

 コバヤシ イチヤ 死ス


 コバヤシ タロウ ヘ



 弟の訃報であった。死因も何も書いていない。だけれど、戦争で死んだのだと思う。


 病で死んだのだとしても、多分運ばれた病院が負傷兵でいっぱいだったのだろう。

 餓死したのだとしても、多分食べるもの全部が兵士に取られてしまったのだろう。

 破産して、借金に追われて自殺したのだとしても、それはひとえに戦争の不景気のせいだろう。


 全部、戦争のせいである。


 戦争を助長させた、己がためである。


 いたたまれない気持ちになった。己の歩んだ道に。

 今まで振り返ってこなかったが、わたしはその時初めて後ろを振り返った。今まで歩んできた道を、見返した。


 そこには、数え切れぬほどの、屍が転がっている。その死屍累々たる有様は、まさに地の獄の風景のようで、己が彼らを殺した張本人であるようにしか思えない。


 私は、その時初めて道を戻る決意をした。道を逸れる決意を。


 そして、私は反戦の本を書いた。


 出版社からは断られたため、自費で出版した。

 多くの友人作家から心配されたため私は彼らを諌めた。

 自分の中の醜い思いが、己をの中を侵そうとしていたので、私は振り切るように酒盃をとった。


 出した本は書店に置いてもらえることはなかった。

 幾多もの場所を回ったが、私の本は置いてもらえなかった。


 その時、私は彼と出会う。名はミフネ トメキチと言ったであろうか。

 彼は私の作品を雑誌に掲載してくれるといった。

 その雑誌の名は「ハンセン」。


 特別高等警察に捕まらないだろうか、と私は問う。

 特別高等警察とは、この頃流行り始めた反戦運動に対して取り締まりを行う機関である。そうすると、その問いにその男はこう答えた。


「大丈夫です。共産党という政治家主導の雑誌で、特高も手を出しにくいはずです。あなたのように一人でやるかよりは党の傘下に入った方がむしろ安全だ」


 確かにそうだ、と私は思いその雑誌に名を連ねる。


 そして、私の掲載した本は翌月に世に出た。


 それと同時に私の家に何人もの特高隊員がなだれ込んでくる。

 出版される予定の時間と同刻である。5月24日十時一分。


 私は何人もの特高に連れられ、家を後にした。


 家を出たのち、警察署に連れていかれたが、そこで私はあの男の顔を見ることとなる。ミフネである。


 囚人として囚われているのならまだ理解できる。だが、彼は平然とした表情でそこに立っていた。警官たちの横で。手には錠もついていない。しかも特高の制服を着ているではないか。

 なぜ。私は彼に問うた。するとこういう。


「私は、元からこちら側です」


 のちに知ったことだが、彼は特高のスパイであったらしい。

 私が色々な書店に駆け込んだせいで、目立ちすぎたのだ。何人かの店員から通報があったようで、私は彼らに目をつけられていた。


 だからスパイである彼は私を甘い言葉で誘い、既成事実をでっち上げた。

 雑誌に掲載された多くの作家はこの日捕まったという。集団検挙である。全ては最初から仕組まれたことであった。


 無論、雑誌は刷られはしたが日の目を見ることなく、焼かれることとなる。焚書である。


 その後、詰問を受けた。友人の中にハンセン運動を行っているものがいないかと問われた。だがら私はいないと言った。


 そして、あらん限りの罵詈雑言で、戦争を、彼らを貶めた。

 自らの弟のことを語った。

 だが彼らは目を覚さない。


 情けないものである。

 小説家とは名ばかりで、結局自分の言いたいことを何一つ表現できなかった。

 最後まで、誰も私の想いを受け取ってくれなかった。


 その後、幾つもの拷問を私は受ける。

 寒中の中棒でなぶられた。爪を剥がれ、幾つもの切り傷をつけられる。あまりの痛みに意識が飛ぶと、彼らは傷口に醤油を垂らして私を起こした。


 傷口に異物を流し込まれると、目を覚させるほどの痛みが走るのである。


 だが、私は最後まで、彼らを貶め続けた。お前らは政府の犬であると。誰かに奪われる時が必ず来ると。

 意識も朦朧とし、口もまともに開けなくなっても心は彼らに首を垂れなかった。


 最後まで言い続けた。

「己の歩いた道を、今一度見返してみなさい。そうすれば己の誤った道を歩むのをやめられます」


 ▲


 その日、本が焼かれた。ハンセンという本である。


 その日、人が獄中で死んだ。名をコバヤシ タロウといった。


 その日、何人もの作家が検挙された。皆一様に、ハンセンを語るものであった。


 この日は、見せしめの日であった。ハンセンを語るものたちを黙らせるための。


 この日、日ノ本からハンセンという言葉が、失われた。


 そして、日の本は戦争に負けた。

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