パステルカラーの花畑
カーンがこの村に来て三週間が経った。
最近は彼なりに村を楽しんでいるようで、今日も朝早くから子供たちの遊びに付き合うために広場に行った。
村の人々の優しさと彼自身の人の良さもあって、カーンは村人達とうまく交流できたようだ。今ではすっかり遊んでくれる人として子供たちの間で人気だし、預けられる場所ができたと大人たちからも好評だ。
そして私も彼のお陰で、自身の生業である染物屋の仕事が楽になっていた。
染物をするには染料の原材料の採集が必要なのだが、岩場の多い山を歩き回って採集するのは大変なことだ。それが今はカーンが負担の半分を担ってくれているので、私はその分新たな染め方の模索や色作りをする時間が確保できるようになった。彼が来てから、間違いなく事が良い様に回り始めている。
現在、時刻は午後1時。森が一番暖かい時間なので採集に行くにはベストタイミングだ。特に今年の冬はいつもよりずっと寒いので、採集は日が出ているうちに終わらせてしまいたい。
カーンはまだ家に帰ってきていないが、多分子供たちにまだ遊びたいと駄々をこねられているだけだろう。
私は採集に必要な籠を持ち、彼が居る広場に向かった。
***
案の定、広場では数名の子供がカーンにまだ遊びたいとせがんでいた。彼も困っている様子だが、可愛い子供たちの手前強く突き放せないようだ。
「ふふ、すっかり村の人気者ね」
「あ、ウーリントア! みんな、僕にお迎えが来たみたいだ! みんなもそろそろお家に……」
彼は私を見つけ、口実を見つけたとばかりに子供たちの輪から抜け出す。しかし素早い子供が一人彼の足を掴み、キラキラとした瞳で彼を見上げた。
「それでね! 水の精霊様の祠は、今も川の上の方にあるんだって!」
『水の精霊様』。それはここの村人であれば誰しも知っている言葉であり、それを語る少年は純真無垢に輝いていた。
「あら、カーンに精霊様のおとぎ話を話してたの?」
「あ、ウーリントアちゃん! 駄目だよ、カーンくんはもうこの村に住んでるんだから、精霊様の話教えてあげなきゃ!」
森と川を作ってくれた神様なんだからね! とまくしたてると、少年は満足した様子で家へと帰って行った。
私はカーンにお疲れ様と声をかけ、採集のために森へと歩みを進めた。
***
「で、水の精霊様? ってやつ、そんなに凄いの? 皆知ってるみたいだけど」
ゴツゴツとした岩肌を下っていた時、カーンの言葉に歩みを止める。
「まあ、村で有名なおとぎ話だからね。精霊様がこの地に現れたおかげで、乾いた大地だったこの山に水が湧き出て、そこに集まった動植物によって豊かで独特な生態系ができたって。私はこの恵みの大地と自然によって生み出された珍しい色の植物たちのおかげで、染物屋として生計を立てられてるのよ。」
そう。水の精霊様というのは、この恵まれた自然を山に齎したとされるこの地の神様だ。
昔、渇いた大地だったこの山に住む孤独な老人が旅人を迎え入れたところ、その旅人の正体は水を司る精霊で、老人の厚意への礼として水を湧かせたのだという。
精霊様はその後もこの地に留まり、その力が籠った水と恵みの雨が大地を潤した。そのお陰で、この地には豊かで独特な生態系が生まれたそうだ。
「でも、結局姿を消しちゃったんでしょ? だったら、そんな語り継ぐほど感謝しなくたって良いんじゃない?」
そう。水の精霊は物語の中で、山の豊かさを聞きつけた人々が移り住み始めた始めた頃、姿を消してしまったのだ。
それを悲しんだ老人は晩年、精霊様が身に着けていたネックレスを村の人々に見せながら「この山に自然を、奇跡を齎した存在がいる。彼に感謝を、幸福を」と説いたという。
村の若者たちはその話を聞き川の湧き水近くに祠を建て、ネックレスと共に祀ったそうだ。
「うーん。感謝っていうよりは、伝統ある物語として語り継いでるだけだと思うわ。川の水が湧き出ている場所の近くに祠なんてないし、こんな辺鄙な所に精霊が来るとも思えないしね。その認識も含めて『おとぎ話』なのよ。本当に皆が信じてたら、村をあげて信仰してるはずでしょ?」
「まあ、それもそうだね」
カーンと話しながら進む山道は、彼が居なかった頃よりずっと喉が渇きやすかった。
***
「す、すごい! こんなに花が咲いてるだなんて!」
感嘆の声をあげるカーン。私もまた、目前に広がる景色に息を飲んでいた。
ここは、川の上流にある花畑。一面に色とりどりのパステルカラーの花が咲いている場所で、それらは冬だというのに太陽に向かって華やかに咲いていた。
「すごく綺麗で良い場所だね。良い香りもする」
「でしょ。私もこの場所が大好きなの。黄色い花を摘んで籠に入れておいてくれる?」
「分かったよ、任せておいて」
カーンは二コリと微笑み、花を摘み始める。
あの日よりも随分元気になった姿を見て、私は花でとある物を作り始めた。
カーンはこの村で本当に頑張っている。
あれほど痛ましい姿になってしまう苦しい経験をして、それでも腐らずにこの村で精一杯生きる彼を私は尊敬している。そんな彼にあげるご褒美の準備として、私は作る手を進めた。
「カーン、ちょっと良い?」
「ん、どうしたの?」
振り向く彼に、私は背中に隠していた手を差し出した。
「じゃーん、花冠です! 可愛いでしょ」
「花冠? まあ、可愛いけど」
要領を得ない様子のカーンに花冠を被せ、姿を眺める。空色の髪にパステルカラーの花々がよく映えていた。
「良いじゃない。この花の色、カーンに似合うと思ってたのよ。これなら貴方の新しい服の生地はこの色で決まりね」
「服? そんな、僕はウーリントアに居候させてもらってる立場なのに」
「あなたは新しい土地でよく頑張ってるの。これはそのねぎらいよ!」
カーンの手をギュッと握り、顔を近づけ決意を込めた眼差しを送る。
彼はしばらく驚いた様子で固まっていたが、やがて少し頬を染めて目を逸らした。
「わ、分かったよ。服、ありがたく受け取らせてもらうね」
「うんうん、それで良いのよ! 動きやすくてあったかい服を作ってもらうから楽しみにしてて!」
私はカーンの手を握ったまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「じゃ、服の仕立て代を稼ぐためにも採集を頑張るわよ!」
今日の採集はいつにも増して捗った。
帰り道にカーンから「手握ったりするの、他の人にもやるの? やめた方が良いよ」と注意されたが、私はずっと機嫌が良かった。
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