見果てぬ世界でもう一度

砂漠ありけり

プロローグ

 現実が現実なのか。


 理解しづらいことを言っている自覚はある。宗教的、哲学的思想の話をしたい訳ではない。


  【いま目の前にある事実として現れている事柄や状態】


 ネットで検索しなくたって、ある程度の言葉の意味は理解している。


 理解したうえで問う。


 現実が現実なのか。


 いま目の前にある事実として現れている事柄や状態が現実であり、いま目の前にある事実として現れている事柄や状態があれば現実と定義されるのか。


 この問いに正解や意味などない。


 私は、多分、自分が落ちている時にこういった思考へ陥る。


 自分の能力には見合わない世界の真理を考え、世の中の答えがない問いに答えを求め、哲学じみた物事に思いを巡らせる。


 人はなぜ生きるのか、やりたいことがないのに働く意義があるのか。なぜ私は周りと同じではない、なぜ私は“普通”じゃないんだ。


 宇宙起源の壮大なものから、日常でふと感じる些細な疑問まで。


 気持ちが限りなくマイナスになり自分の人生に、明日すらに希望が持てない時に陥るのだと実感している。


 宮本咲月。

 年齢二十三歳。職業、中小企業の会社員。


 私はただ“普通”に生きたかった。特別な存在になりたいとも、高望みもしていなかった。


 ただ、周りの“普通”の人と変わらない人生を歩みたかっただけなんだ。


 高くも安くもないお給料を貰って、嫌々愚痴りながらも仕事を頑張って、就職前に思い描いていた“普通”の生活を望んでいただけなんだ。

 なのに……どうして……。

 

 私、何度でも問う。

 現実が現実なのか。

 私は現実で生きていたくない。

 不幸に塗れ、些細な事でも理不尽が舞い降り、何ひとつ良いことがない世界に希望なんて微塵もない。


 花は散る瞬間が最も美しいのか――それとも散ったから花の美しさを最も感じたのか――。


 咲いている花が生きている時間のはずなのに。



 過去の思い出、風化させたくない記憶と想い。

 見果てぬ世界こそが、私が生きている時間だった。

 

 

 

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