二章① 水源


 しっかりと考えたつもりでもそれが足りないと気づくのは大抵行動した後だ。春人もトラップを起動させた瞬間にそれに気づいた…………落とし穴というのは高いところから落ちるものだ。これが想定したように転移系のものならいいが、単純に下の階層に落ちるだけの罠であれば結構な高さから落ちることになる。それは致命的な高さではないが足を挫いたり折ったりするには十分な高さだろう。

 そしてそれを回避するには事前の意識や宙での体勢が重要になる…………例えば今のように全員で手を繋いでいる状態は最悪だ。もちろんはぐれる可能性を考えればそれは仕方ないのだが、安全な着地という意識は全員がしておく必要がある。


「まっ…………」


 まずい、と口にする暇もなく浮遊感を覚える。足を追ったら最悪で、足を挫いても全滅の可能性は大きく高まる。どうすればそれを回避できるか短い時間で必死に考える春人の視界が瞬時に暗転した。


「え?」


 そして気が付けば彼は石畳の床の上に立っていた。落下の衝撃はなく、繋いだ手の感触だけが変わらずにあった。思わず左右を見回すと天音と彩香も何が起こったのかわからないという表情を浮かべている。


「これは、転移系か?」


 透がぼそりと呟く。落下の衝撃もなく移動したということは空間転移させられた可能性は十分ある。


「テ、テレポートしたってことですか?」

「その可能性があったから手を繋いんだんだろうが」

「…………そうなんですけど」


 戸惑うように口にする春人に透が呆れるように返す。確かにその通りではあるのだが、実際に起こってしまうと信じられない…………転移なんてさせられるのが初めてなのだから戸惑うなという方が無理だ。


 とはいえ、だ。


「みんな無事でよかった」


 普通の落下だったら怪我をした可能性は高かったのだから、着地の衝撃のない転移でよかったと春人は心底思う。


「おいおい、安心するのはまだ早いぞ?

「あ、そうですね…………まずは周囲を確認しましょう」


 指摘されると確かにその通りだ。ケルベロスからは逃げおおせたと思うが、この場所にそれ以上の化け物が徘徊している可能性だってある…………またすぐ他の怪物に襲われたのでは休む暇もない。


「ねえ、なにか水音しない?」


 すると天音が耳を澄ませるようにして口を開く。


「…………するか?」


 透が耳を澄ませながら春人を見る。それに彼も耳を澄ませながら周囲を確認する。やはりそこは変わり映えのない石造りの通路で、前方は右に曲がっていて後方にはT字路があるようだった。


「いえ、僕にも聞こえません」


 しかし水音は確認できなかった。ちらりと彩花を見るが彼女も首を振る。


「聞こえるわよ、こっちね」


 けれど天音は構わずずんずんと右に曲がる通路の方へと歩きだす。青鬼に最初に気付いたのも彼女だったし、耳がいいのかもしれない。


「あ、透さん!」

「お、おう」


 慌てて春人が声をかけると彼は足早に天音を追いかけた。天音はトラップの事を忘れているのか気にしてないのかどんどんと進んでしまっている。春人も彩香に声をかけて二人の後を追いかけた。


 そうして四人は天音が先導するままに通路を歩いていく。時折彼女の横を歩く透がトラップの位置を指摘し皆がそれを避ける。そんな風にいくつかの横道に入ったりしながら進んでいくとやがて春人達の耳にもその音は聞こえ始めた。


「本当に水音だ……」

「だからそう言ってるじゃない」


 咎めるように天音が春人を一瞥して再び音の方へと進んで行く。そしてまた横道へと入ると即座にその足が止まった。その横の透も足を止めて棒立ちになる。


「どうしたんですか?」


 また化け物に遭遇したというのとは雰囲気が違う。不思議に思って二人の横から春人もその先を覗き込み…………二人と同じように静止した。


「春人さん?」


 同じように彩花もその先を見て、やはり三人と同じように静止する。


「「「「…………」」」」


 呆然と四人は目の前の光景を見る。そこには緑が広がっていた。もちろんそこにいきなり森が広がっていたりしたわけではない。十畳ほどのそのスペースには奥に噴水のようなものがあり、その周囲を背の低い草が生い茂っていた。まるで自然公園にでも迷い込んだようなその光景はこれまでの雰囲気とあまりにも違いすぎた


「水だ」


 とはいえその光景は忌避するようなものではない。感嘆するように呟いた透の言葉にその通りだと春人も気づく。あれは水だ。それも見るからに綺麗な水だった。


「か、確認しよう」


 春人が提案すると他の三人ははっとしたように頷いた。それでも駆け込むようなことは出来ずに恐る恐るといったようにその空間へと足を踏み入れる。草を踏む柔らかい感触。それと同時に水気を含んだ涼しい空気と草の匂いが広がった。


「…………噴水だな」


 改めて透が呟く。そこにあったのは間違いなく噴水だ。中心の塔のようなものから水が四方へと飛び出し、下にある円状の溜池へと落ちて行く。水はそこからどこかへ流れ込んでいるのか溢れる様子もなかった。


「水、それも流水だ……」


 春人は安堵するようにその噴水を見る。流水であるという事は大切だ。ただ溜まっているだけの水は時間と共に飲用には危険になっていく。沸騰させればある程度は大丈夫だがそれにも限度がある…………しかし流水であればそれが新鮮なものである可能性は高い。


「これ、すっごく冷たいじゃない」


 恐れを知らないのか躊躇いなく天音は噴水に手を突っ込んでいた。


「という事は地下水なのかな」


 若干躊躇いはしたが今更だと春人も手を噴水に入れる。すぐに手へととてもひんやりとした感触が伝わって来る。これが地下水なのであれば飲用には問題ない可能性は高くなる。


「の、飲んでも大丈夫でしょうか?」


 期待するように彩花が春人を見る。先ほど水分補給はしたが満足いく量ではなく、さらにその後にケルベロスと遭遇してまた全力疾走している。目の前に溢れんばかりの水があれば思う存分に飲みたくなるのも無理はないだろう。


「念のために煮沸しゃふつしたいところだけど…………」


 困ったように春人は呟く。水道水であってもそのまま飲めるのは元の世界でも日本くらいなものだ。ましてや得体のしれないダンジョンの水なんてそのままで大丈夫だとは思えない。


「でも、その為の燃料も貴重なんだよね」


 火を起こす道具はあるが燃料は有限だ。できればそれは水の煮沸ではなく火を通さなくては食べられない物の調理の為に使いたい…………手に入るかどうかはわからないが。


「つまりは生で飲むしかないってことだな」

「…………流水ですから病源菌とか虫が湧いている可能性は低いとは思います」


 とはいえ結局はこの噴水の水源がどこであるかという話だ。大本の水が汚染されていれば流水だろうがあまり関係はない。しかし長期的な視点から見ればこの水が生で飲めるような水でないと四人の探索は厳しくなる。


「怖いんなら私が飲むけど」

「いや、飲むよ。飲む」


 天音の言葉に春人は即座に答える。


「飲むから念の為に僕が飲んでしばらくは待って欲しい」

「これも罠かもしれないからか?」

「…………まあ、そうです」


 この水場はいわば砂漠にオアシスで、人が見つけたら間違いなく飛びつく…………つまりは罠にするなら絶好の存在だという事だ。


「なら俺も飲むかな」


 しかし透はそんなことを言う。


「えと、透さん僕の言ったことの意味わかってますよね?」


 春人は毒味役をするつもりなのだ。それになぜ透まで付き合おうとしているのか…………それで彼まで毒に当たったら何の意味もない。


「…………私も飲むわ」


 さらには天音までそんなことを言う。


「わ、私も飲みます!」


 追従して彩花まで手を挙げた。


「ええと……」

「あの犬の時にも言ったがな」


 困ったように三人を見る春人に透が言う。


「ぶっちゃけこの中の誰が死んだって状況は絶望的になるんだ…………苦しい状況になって無残に死ぬよりは俺はさぱっとまとめて死にたいね」


 諦観しているというか何でもないことのように透は言う。


「天音もそうなの?」

「私は死にたくないわよ」


 いかれた人間でも見るように透を見ながら天音は答える。


「でも、リスクをあんたにばっか押し付けるのも違うと思うわ」


 筋が通らないとでも言うように天音はふんと鼻を鳴らす…………最初に会った時からそうだが随分と彼女は男らしい性格をしている。


「わ、私は春人さんを信じてますから!」


 不意に彩花が叫ぶ。それが自分の理由なのだと主張したいのだろうが…………意味は通っていない。この少しばかりの間に随分と依存されてしまったなと春人は留意する。無条件で信じられてもそれはそれで困る。


「まあ、じゃあみんなで飲むってことで」


 それが皆の相違ならば春人は無理に反対することも出来ない。紙コップはあるが無駄に使いたくもないので噴水の淵へと寄ってその水を手ですくう。


 確かに今はリスクを全員で背負うしかないのだから。

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