異世界ダンジョンの深層で生きあがく

火海坂猫

プロローグ① 開始地点

 異世界での冒険を夢見たことは子供の頃にあったと思う。しかしそれは所詮子供の見る夢でしかなかったように思う。だって子供は都合のいい面しか見ず現実は見ない。だからこそ夢の中では思うままに異世界を楽しむことが出来るのだろう…………けれど、現実はそううまくいかないものだ。


 もっとも所詮は夢の話。実際に異世界に赴く事なんてありはしない。だからそれを現実と比較して考えるのも所詮妄想でしかないだろう。


 そう、妄想でしかなかったはずなのだ。


                ◇


 ふと気が付くと彼、佐井春人は見知らぬ場所に居た。そこは石造りの壁で作られた通路のような場所だ。幅はかなりあって広く4、5メートルほど。天井も高めで幅と同じくらいの高さのように見えた…………つまるところ正方形の空間でそれが見やれば前にも後ろにも続いている。

 そこには明かりも窓もないが通路の材質そのものが発光しているらしく、暗闇に閉ざされることなく通路の奥まではっきりと見ることが出来た。

 どうやらこの通路はかなり入り組んだ作りのようで、前も後ろも少し進んだところで曲がり角になっているようだ。まるで迷路だと彼は思う。


「…………」


 はて自分はなんでこんなところにいるのだろうと困惑しながら春人は思う。ほんの少し前まで自分は自宅にいて、ちょうど外へ出かける寸前だったはずだ。その証拠に着ている服もそのままだし靴も履いている。肩にかけていたリュックもそのままのようだ。


「んぅ」


 と、不意に春人は足元からうめき声のようなものを耳にした。そちらに視線を向けてみると自分と同じくらいの年齢の少女が倒れている。少女は白の割烹着かっぽうぎに身を包んでいて後ろにまとめた髪が頭と一緒に床へしなだれていた…………そして手には包丁。

 一瞬刃物に驚くが服装からすると料理関係なのだろう。もしかしたら直前まで調理中だったのかもしれない。


「あ」


 近場に視線を巡らせれば倒れているのは少女だけではなかった。やや幼く見える眼鏡の少女にスーツ姿の青年。それにTシャツ短パンだけというラフな格好をした腹の大きな中年。割烹着の少女も合わせて四人もの人間が春人の周りには倒れていた…………最初に気づけなかったのは彼も困惑で視野狭窄しやきょうさくおちいっていたせいだろう。


「…………ええと」


 一瞬、状況を把握したが故にどうすればいいのかと呆然とする。しかし少し呆けて冷静さが戻ればやれることなど他にないと気づく。すぐに春人は一番近い割烹着の少女へとしゃがみこんだ。近づいて見ればちゃんと息もしているし顔色も悪くないことが良くわかる…………少し揺するだけで恐らく目を覚ますだろう。


「えーっと、君。大丈夫?」


 出来る限り優しくその体を揺する。するとすでに意識は覚醒しかけていたのか彼女はすぐにその眼をぼんやりとあけた。


「うぅ…………誰?」


 春人がそうであったようにやはり状況がつかめていないのか、怪訝な表情で春人を見る。しかしすぐに何かに気づいてはっとしたように目を見開くとその右手を振り回す…………つまるところ包丁を振り回した。


「うわっ!?」


 驚いて春人は後ろへと飛びずさる。まさかいきなり刃物を振るってくるとは考えていないかった。


「あんた何、ここはどこ!? 誘拐!? 強姦!?」


 叫びながら少女は立ち上がり春人へと包丁を向けて構える。どうやら彼女は状況を理解できていないようで…………ただ危険を感じてまずその原因を春人と見たらしい。まあ、目覚めて最初に見知らぬ男の顔が間近にあったらそう勘違いするのもおかしくないかもしれない。


「落ち着いて、乱暴もしないし誘拐でもない」


 叫びたい気持ちはあったが努めて平静な声で春人は少女へと声をかけた。相手を落ち着かせるにはまず自分が落ち着いている必要があるものだ。


「包丁はそのままでいいからまずは周囲を見て欲しい」


 落ち着いた声色で春人が続けると少女はゆっくりと周囲を見回す。


「…………ここどこよ?」


 困惑はしているが少し落ち着いた口調で少女が呟く。


「それは僕にもわからない…………それとここにいるのは僕達だけじゃない」

「あ」


 どうやら少女も他に倒れている人に気づいたようだ。


「まず彼らを起こしてから状況を確認しようと思うんだけど?」

「…………わかったわ」


 頷く少女に春人はほっと息を吐いた。


                ◇


 割烹着の少女がそうであったようにほかの三人も体を揺すったり声をかけるだけですぐに目を覚ました。けれどやはりその三人も状況を把握していないようで、一様に周りを見渡してはわけがわからないという表情を浮かべる。


「おう、兄ちゃんこりゃあどうなってんだ?」


 中年の男が春人へと尋ねて来る。


「僕にもわかりません。だからまずは状況の確認を……」

「あー、わからんならいい。どうせ誰かの悪戯じゃ。適当に歩けば外に出れるだろ」

「あ、ちょ!?」


 春人が引き止める間もなく男は歩き出し。


「たくっ、午後からは仕事があるっていうのに…………」


 そしてその姿が下へと消えた。


「え」


 思わず呆気にとられる。いきなり床下に大きな穴が開いて、声を上げる間もなくその下へと男が消えてしまったのだ。何が起こったのか春人には理解できなかった。


「え、えっと」


 だから思わず駆け寄ろうとしてしまい、それを誰かが腕を掴んで引き止めた。


「え、あ……!?」

「君も落ちるぞ」


 その主を見やるとスーツを着た青年が硬い表情で春人を見ていた。その表情に少し落ち着いて視線を戻すと中年の男を飲み込んだ穴はまるで消えるように元の床へと戻っていた。しかしあのまま近づいていたらそれが戻る前に春人は落ちていたかもしれない…………いや、もしかしたら今も穴は開いたままで塞がっているように見えるだけなのかとも思う。


「落ち着いたか?」

「お、落ち着きました」


 頷くと青年が腕を離した。結構な力で掴まれていたらしく離された後もじんじんとした痛みが腕には残った…………よく見れば青年の手も僅かに震えている。咄嗟のことに思った以上の力が出てしまったのかもしれない。


「ね、ねえ今あの人…………落ちたわよね?」


 恐る恐るというように割烹着の少女が春人に尋ねてくる。その表情にあるのは怯え、彼の隣にいた眼鏡の少女も口には出さないものの覚えているようだった…………いや、違う。メガネの少女はこちらを見ていないと春人は気づく。

彼女は別のところを見てその表情に怯えを…………っ!


「っ!?」


 春人は思わず叫びそうになった口を手で抑えて塞ぐ。そして視線を固定したまま手探りでスーツの青年へと手を伸ばす。すぐに肩らしきものに当たったのでそれを掴んだ。思った以上に強く掴んでしまったが、それで中年の男が消えた床を注視していた青年が彼の方へと視線を向けた。そしてすぐに春人の様子に気が付いて視線を追い…………同じく絶句した。


「?」


 状況が掴めていないのは割烹着の少女だった。人間の目は前にしかついていないから後ろは見えない。こちらを見ている彼女には通路の反対側の光景は見えないのだ。


「何見て……………………何、あれ?」


 振り向いた少女の目に飛び込んできたのは通路を埋めるような炎の塊だった。しかしそれはただの炎の塊ではなくまるで巨大な人型の彫像のような形で、頭部らしき部分にはそこだけ実体のある角のようなものが見えた。そしてその炎で形作られた顔は間違いなく春人達四人へと向けられていた。


「ゆ、ゆっくり下がろう」


 できる限り静かな声で春人が皆に告げる。後方にはさっきの落とし穴があるかもしれないがすでにそんなことは頭から消えていた。視線をそれに固定しながら言葉通りゆっくりと後ろに下がる…………と、炎が大きく揺らめく。音はないがその巨体の足らしきものをこちらへと踏み出すのが見えた。


「っ、逃げろ!」


 叫びながら振り向いて眼鏡の少女の手を掴む。彼女は思考がフリーズしたようにその場で立ち尽くしていた。とにかくその手を離すまいと強く握ってそのまま走り出す…………それで正気に戻った少女が痛みに声を上げるが春人にそれを気にする余裕はなかった。


「ちょっと、何よあれ!?」

「知るかっ!」


 並走する割烹着の少女の戸惑った声に叫んで答える。春人が今できることはたった一つだけだった。

 その手に握った眼鏡の少女の手を絶対に離さず全力で走り続けることだけ。


 それ以外のことを気にする余裕は全くなかった。

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