07 酩酊の謀らい
◆◆◆◆
「
父親は顔を綻ばせる。多忙だから無理はさせるなと念を押されたが、連絡をするとタクシーでも乗るかのようにすぐに国を跨いで現れた。
「嬉しいな、お前が俺を飲みに誘ってくれるなんて初めてだ」
「別に……」
つくづく彼女が可哀相だ。この男の行動に時間も場所も関係ない。そこにいるのもいないのも自分の都合だけだ。昔から。
「ここの店主は日本の料亭出身で、中々いいものを出すんだ。適当にオススメを頼んでおいたから、お前も好きなものを頼め」
と、勝手知ったように注文する。グラスに注いだ日本酒を朗らかに渡された。
「お前はどれくらい飲める?」
「結構」
「そうか、嬉しいな。同僚と飲むと最後はいつも一人になってしまうんだが、お前となら長い夜になりそうだ」
「同僚……仕事の奴とよく飲みに行くのか」
「まあ、他にも仕事上の付き合いで飲みに行く機会は多いな。特に今の国なんかじゃ水の代わりにウォッカが出て来るくらいだ」
「あんた、元気そうだな」
「ん?」
「乾杯……」
「ああ、乾杯。今夜は飲み明かそう」
・
・
・
「だから……嘘だろ。母さんだけなんて」
もう何杯目か、言うだけあって互いに酔いは回らず夜だけが更けていく。父親と面と向かってこう雑談することも滅多にない。弾む話題もないうちにふらふらと会話は唯一の共通項に触れた。
「そう疑ってくれるな」
苦笑いする顔を胡散臭く見やる。
「母さんのどこがいいんだ」
「天使だろう」
「……阿呆なところ?」
「天使なのに夜はたまらないんだぜ」
思わず顔を顰めた。そういう話を息子の前でする神経が分からない。どこが紳士なのか、目が眩んでいるにも程がある。
「ところでお前、そんな話を振るって事は――誰かいい人でも見つけたのか?」
「……まあ」
「そうか! 嬉しいな。よし、もっと飲め」
「いや、いいからあんたが飲めよ……」
酒をなみなみ注ぐと嬉しそうにしてぐいと一息に飲む。
「どんな人だ? お前が見初めたんだから相当いい人なんだろう」
「いい人ではない」
「いい人じゃないのか。どこが好きなんだ?」
「強がるのに脆くて……放っておけない」
「成る程」
またとくとくと注いで差し出す。父親は唇を付けて微笑した。その自然な所作の艶やかさが嫌だった。彼女の見つめる姿が想像できる。
「そういう子が心を許してくれた時の本当の表情は、たまらなく愛おしいよな」
「まあ……俺に対してじゃないが」
「交際している訳じゃないのか?」
「未だ片思いだ」
「そうか。だがお前が真摯に想えば必ず伝わると思うぜ。俺が女ならお前のような誠実な男に惚れたいものだ」
「俺は、誠実じゃない」
「そうか? そういう風に自分を責めるところが誠実だと思うぜ」
「……」
「何でも聞く」
人の気知らず鷹陽げに微笑む父親に、はあ、とため息が漏れる。
「あんたがもっと酔ってくれたら話す……」
「そうか? じゃあもっと飲まないとな」
もう一升は空けているが、この呑気な薄情者を殺すつもりで飲ませても構わないだろう。素の姿を見て幻滅すればいい。
***
「酔わせた」
「酔わせ過ぎじゃない?」
彼女は少し睨み、ベッドに仰向けになる父親に駆け寄って衣類を緩めた。
「真次さん……」
ぽろぽろと泣き出す。どういう経緯か知れないが、碌な見送りもなかったのではないか。
「会いたかった……」
「う……」薄らと目が開けられた。
「君は……葉那君……そうか」
「真次さん、私……」
彼女が握る手が、包むように握り返される。
「息子を頼む……」
微笑して、目を閉じた。
「ふっ、うっ、う……」
一人眠る父親を残して部屋を出る。
彼女は泣き続けたままだ。
「泣くなって……」
頭を撫でる手が、ぱしりと叩き落とされた。
「酷いわ霧崎君……こんなの、あんまりよ……」
「お前の名前は出してない」
「言い訳しないで。貴方のせいでしょ……酷いわ……」
「終わったわ……貴方に持ちかけた私が馬鹿だった……」
う、ひっくと子供のように泣く。
いつも高飛車だった彼女の泣く姿なんて想像もできなかったが、これまでの分を溜めてきたかのようにとめどもなかった。
傷付くことは分かっていたが、今は全部、涙を出して仕舞えばいいと思った。
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