第9話 修道院

 馬車に揺られること半日、目的地であるフィラデルフィア女子修道院に着いた。


 私の馬車に付き従っていた魔道士たちは、修道院の敷地の前で停止した。中にはフェリクスもいただろう。彼にも、他の魔道士たちにもお礼を言うべきだけど、対峙して悲鳴を上げない自信がなかった。道中付き添ってくれたエラ先生か、ゲント先生宛の手紙を通じて、お礼を言ってもらうよりほかない。


「ようこそ聖女様。おいでを心より歓迎いたします。修道院の院長であるカミーラと申します」


 院長と名乗った女性は、40代くらいの、きりっとした印象の人だった。


「聖女様をお迎えできましたこと、フィラデルフィア女子修道院の誉にございます。修道院という場所である以上、ご不便をおかけいたしますが、つつがなくお過ごしいただけるよう、私どもも精一杯努めさせていただきます」

「こちらこそ、突然お邪魔してしまって、申し訳ありません」

「聖女様が謝罪なさることなど、何もございませんよ」


 そうして院長は微笑む。第一印象から厳しい人かと思ったが、その瞳には私のことを心配する色が浮かんでいた。


「何かご入用のものやご用事などありましたら、私かここにいるクロエにお命じください。クロエ、挨拶を」

「はい。聖女様、クロエと申します。ご滞在中、私が身の回りのお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」


 カミーラ院長から紹介されたのは、まだ年若い女性だった。院長と同じ、濃紺のワンピースに白い襟という修道服に身を包んでいる。修道女の被り物であるウィンプルの端から見えるボブカットの髪は、綺麗な銀色をしていた。伸ばせばさぞかし美しいだろうという色艶。伏せていた瞳が開いた瞬間の紫紺の色にも目を奪われた。マルグリットやエラ先生も純日本人の私からすれば十分美しいが、彼女はさらに群を抜いている。西洋のビスクドールがそのまま大きく麗しくなったような表情に、同性の私でもどきりとさせられた。


 一瞬返事を返すのが遅れた隙に、カミーラ院長が「お疲れでしょう、すぐにお部屋にご案内いたしますね」と労りの言葉をかけてくれ、私は移動を促された。








 女子修道院での生活は穏やかだった。


 魔塔から付き添ってくれていたエラ先生は、私の生活が落ち着いたことを確認した後、王都へと戻っていた。女性医師はまだまだ少なく、王宮と魔塔の専属医であるエラ先生は、貴族女性たちからの需要が高く、長く王都を空けられない事情があった。


「よろしいですか、聖女様。たっぷりの睡眠と滋養ある食事を心がけてください。聖女様は少し痩せ過ぎでいらっしゃいます」


 清貧を慣わしとする修道院でありながら、成長期(というにはもう18歳なので無理がある気もするけど)の私には特別仕様の食事が用意されるよう、エラ先生が手配してくれた。今後は月に一度往診してくれる予定だ。何かあればすぐに連絡をしてほしいと何度も繰り返しながら、エラ先生は王都へと帰っていった。一番信頼していた人がいなくなって、かなり寂しい気持ちになってしまったけれど、修道院の規則正しい生活に慣れることで、少しずつ現実を受け入れることができた。


 さすが修道院ということで朝は早く、5時には起床の鐘がなる。私は修道女ではないからゆっくりしてくれていいと言われてはいたのだけど、音がなればさすがに起きてしまう。私の安眠のために鐘を鳴らさないようにしようという案も出たらしいけど、私がそれを断った。早起きは苦手ではない。以前の私も4時半には起きていた。


 修道女たちは朝のお勤めをし、6時に朝食。午前中は係にわかれ、掃除や洗濯、畑や果樹園、家畜の世話などを行う。12時頃に昼食で、その後は敷地内にある教会でミサだ。ここは修行を主とする修道院のため、教会や建物全体への一般市民の入場はできない。ミサが終われば午後の仕事が待っている。麓の街のバザーに出すための刺繍や編み物、パンやジャムやワインの製造など、1日立ち働く。夕方にはまたミサがあり、午後6時に夕食。湯浴みを済ませた後、就寝の9時までが自由時間だ。自由とはいえ以前の世界のようにテレビやスマホなどの娯楽はなく、書物の持ち込みも制限されている。知人に手紙を書いたり、私物の繕い物をしたりといって過ごす人が多いそうだ。


 朝早いのは問題ない私だが、夜が早いのは辟易した。以前は深夜までバイトすることが多かったので、睡眠時間は1日3時間程度。足りない分は学校の休み時間に寝溜めしていた。だがここにきて急に規則正しい生活となり、かつ、お客様扱いの私はやることがない。


 1週間もする頃には飽きて、世話係のクロエに「何かやらせて」とねだるようになった。


「敷地内に図書館がありますが、行ってみられますか?」


 建物や庭も事前情報の通り美しく、堪能はしたものの飽きてしまった午後。いつものように皺ひとつない修道服に身を包んだクロエがそう提案してくれた。


「ただ、修道院ですので若い女性が好むような書物はほとんどなく、歴史書や神書、辞書などしかありません。聖女様は特別なお客様でいらっしゃいますので、外部から書物や娯楽品の取り寄せも可能です。よろしければ出入りの商人を呼ぶこともできますよ。もちろん女性の従業員ですわ」

「商人……。そちらも興味はあるけど、まずは図書館に行ってみたいな」


 魔塔では過去の聖女が残した日記などをマルグリットが手配してくれていたけれど、それ以外の本も見てみたい。この世界で生きていくと決めたなら、勉強しておいた方がいい知識もあるだろう。ここがカーマイン聖王国ということは知っているけれど、それ以外のことはほとんど知らない。


「かしこまりました。一応院長に報告してまいりますね。すぐに戻ります」

「うん、お願い。クロエ」


 一礼してクロエが出ていく。私より背が高く、170センチ以上はある彼女は、その後ろ姿や歩き姿も美しかった。ここにはたくさんの修道女が暮らしており、皆同じ修道服を着ているため、余計にその立ち居振る舞いの差が目立つのだ。


 だからこそクロエと、あとカミーラ院長の姿は突出して綺麗に見えた。同じ貴族でも身分差があると以前教えてもらったので、あの2人はいわゆる高位貴族というものかもしれない。


 クロエの美しさと気品に気後れして、敬語を使おうとした私だったけど、当然のごとく止められた。マルグリットやフェリクスは許してくれたけれど、彼女は頑なだった。それでも押し通そうとすれば、カミーラ院長にやんわりと押し留められた。


「クロエは聖女様の世話人。ここにいる間は聖女様がクロエの主人になります。主人に相応しい振る舞いをどうぞ心掛けてください」


 こちらは居候の身、そこまで言われれば否とは言えない。以来、クロエとは普通に接している。どうせなら友達のように打ち解けてほしいなと思ったけれど、無理なお願いのようだ。そもそも以前の世界でも、親しい友人と呼べる人があまりおらず、高校ではぼっちだった。バイト先の飲食店で気さくに話せる常連さんが何人かいたけれど、皆社会人で友達というには無理があった。


 家を出て進学できればきっと人生が変わると、親友と呼べる人だってきっとできると、信じていたあの頃。


「聖女様、院長の許可がおりました。まいりましょう」


 クロエの言葉に記憶を遮断する。私は、あそこから逃げ出せた。今は少しだけ休ませてもらおう。





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