第6話
南美は一部骨折と打撲で済んだが、右手は修復不可能なぐらいにぐちゃぐちゃにされていた。恐らく死に直結しないからとかなり本気で潰したのだろう。
「義手、ですか」
ある程度身体が回復した頃、田嶋が直接彼に伝えた。ベッドの上に投げ出された右手は包帯で包まれており、動く気配がない。
「ああ。それしか方法がない。ただ、」
深くは言わなかった。南美は自分の事だからよく理解している。左手を挙げて笑った。
「大丈夫ですよ。“田嶋さん”」
他人行儀な口調と表情、それに自身の腕をぎゅっと掴みつつ平常心を保った。
「詳しい話は、後でメカニックが」
「わかりました」
ずっと一歩退く。まだ何か言いたい、その気持ちが現れた足元に南美は視線を外した。
義体男は特別な地下牢獄に収容された。数少ない凶悪犯がここに連れられ、その犯人に合わせて簡単に改造出来るように造られている。勿論、四方八方から牢屋の中に古い電波を飛ばせるよう、既に改造済みだ。
南美の検証だけでは不十分な為、こちらから義体男の電脳にコンタクトをとった。その結果、通信エラーを吐くか何十分も読み込んで動かないかの二択になった。ノイズが発生しているのは明白だ。
「まさか、アイツが古い電波ぐらいで」
ぎゅっとシーツを握りしめる。田嶋は眼を伏せて続けた。
「これからノイズを調節しつつ脳内を洗う。証拠が見つかり次第、殺人と殺人未遂の両方で詰める予定だ」
ただサイバー専門の五月雨と連絡がつかない。特に早坂は音信不通のままだ。とはいえ彼らのホームは電脳の先、時々報せもなく音信不通になる事は何度かある。
早坂ならばもう事態は把握しているだろう、そう田嶋は考えヱマを見た。
「……身体の調子はどうだ」
「平気」
そっぽを向いたまま答える。短い返事に「そうか」とだけ残し立ち去った。
義体男が収容された事を知った南美は田嶋に陰山の事を伝えた。ノイズによってネットに接続できないならコソコソとする必要はない。
本人も含めて家族も保護し、金庫もそのまま回収する。大和と警察の両方で動くと田嶋は言った。
「そのぐらいのウイルスなら警察でも解除出来る。陰山長官の周りにも古い電波を飛ばしておけばウイルスの起爆は防げるだろう」
本当は公安の方がいいのだが、長官同士でないと合同では動けない。警察にとっては重荷だ。
「これで、無事に終わるんですかね」
「……恐らく」
タオウーなどの薬物なのかウイルスなのか、未だに正体不明な代物も義体男を洗えば根絶出来る可能性は高い。そうすれば未だに起きている各地の事件も沈静化するはずだ。
沖田も浮かばれるだろうし、ヱマも安心できる……南美は一息吐き、遅れてやってきたメカニックに顔をあげた。
右手は主に掌にある骨や筋肉が粉々に砕かれており、一つずつ修復するよりも義体化した方がいい程の重症だ。もし義体化するなら親指の付け根から上を切除し、その代わりに親指を除いた義手を接続する。
「ただ南美さん、義体拒絶症なので通常より時間はかかります」
義手となると半日以上はかかる、その説明に肩を落とす。
「また高熱も出そうですね、それだと」
義神経に変えた際も一日高熱で寝込んでいた事がある。拒絶症の典型的な症状の一つだ。他にも悪寒や吐き気、手術後の激しい痛みなど色々とある。南美の場合は少し重たく、痛みで一日眼が開けられないこともあった。
「義手の場合だとリハビリも必要なんで……」
通常でも慣れるのに一週間程かかる。拒絶症だと痛みもあるからそれ以上だろう。
だが義体男も無事に収容できた、焦る必要もない彼は嫌そうに肯いた。
使用する義手は性能重視で人工皮膚は貼らない選択にした。ヱマと同じタイプの、大和仕様のものになる。
その為反動を自動的に軽減、トリガーを引く速度も生身の肉体より速くなる。主に右手で銃を使う南美にとっては大きなメリットだ。
然しそれを得るには拒絶症の症状と格闘する必要がある……。
「彼のメンタル維持の為に定期的に会いにいってほしいんです」
アニマルセラピーや音楽によるメンタルケアが基本だが、南美の場合はそれらが通用しない。かといってタバコは限度がある。そうなるとヱマしか選択肢がない。
然し彼女もまだ完治しているわけではない。軽く会って話す程度でいいとメカニックが言った。
「……無言でもいいんスよね」
普段明るい分、余計に暗く憂鬱に見える。メカニックが肯くと「わかりました」と短く答えた。
手の切断と義手の接続は上手くいった。然し思った通り意識が戻ってから数分後、四十度近い熱が出始めた。
白い肌が赤くともり、眼の下に隈が現れる。
「南美さん、琉生さんが来てくれましたよ」
田嶋が自分で選んだ看護師が優しく言い、ベッドから離れた。大和から支給されたラフな格好で南美の傍に寄る。
「……」
ヱマは眉を顰め、歯を食いしばった。眉根を寄せてまで見上げてくる眼を見つめ、ややあって耐えきれなくなったのか背中を向けた。
「ヱマさん、」
酸素マスクでこもったしわがれた声。
「貴方と出会ってからは、だれとも」
だがそれにキッと反射的に振り向いた。
「そういう問題じゃねえんだよ! 馬鹿野郎が!」
爆発するように叫んだあと、足音煩く病室を出ていった。はあと大きく息を吐き出す。
昔の事だ。自分とは関係ない。南美がどんな女と何をしてきたかなんて自分には関係がないはずだ。
そう頭では分かっているはずなのに、胸の奥の方が締め付けられたように痛い。
「知りたくなかった」
田嶋が元恋人なのかどうか分からない。分かりたくもない。然し同時にどういう関係だったのか、何をしたのか、どの時期まで関係があったのか……理性と反したもう一人の自分が疼いていた。
鼻を啜り、自分の部屋に戻る。義体男が捕まり収容されたというのに、気持ちはどんよりと厚い雲に覆われている。
「……本当に、俺の事が好きなのかな」
ぼそりと呟きつつ、髪を触った。
南美が拒絶症とリハビリに苦しみ、ヱマが晴れない気持ちのまま黙って彼に寄り添い、義体男が収容されてから半月が経った頃。
陰山長官が岡山県某所にある山中で遺体となって見つかった。見つけたのは山の持ち主である老人で、なにかぷらぷらと揺れている影を見つけ近づいたところ、長官の身体がロープに宙吊りにされていた。
首吊り自殺、検死結果でもそれは確定された。保護されたのは残された妻と子と、そして金庫だけだ。
「陰山長官は死んだ」
強化硝子の先、全身をベルトと機械で拘束された義体男がいた。田嶋は狼の鋭い眼で睨みつけながら、もう一度「死んだ」と低く言った。お前のせいだと言いたげに。
項垂れたままだ。田嶋はチッと舌打ちをかました。
だがよく見ると肩が揺れていた。ややあって低い笑い声が聞こえてくる。
「あの男はすぐに壊れると思っていた。弱い」
僅かに顔を上げたその眼は不気味で、人間のそれではなかった。ぞわっと鳥肌が立つ。だがそれを悟られないよう毅然とした態度で答えた。
「彼は弱くない。家族を守った」
「自分が死ねば意味はないように思うがな。写真を見せてくれ」
義体男からの要求にため息を吐く。田嶋は軽く備え付けのパネルを操作し、硝子に遺体の写真を幾つか表示させた。むごい死に様だ。
「見事だ」
反転した画像に隠れて男の顔は見えなかった。いや、見なくて済んだと言うのが正しい。田嶋は胃のムカつきを抑えながら立ち上がった。
「人間じゃない」
吐き捨てるように言い、部屋を立ち去った。と同時に顔つきが変わる。電脳から警察へ連絡する。相手は東だ。
「もしもし東さん」
『ああ田嶋総裁、反応はどうでした?』
コツコツとヒールを鳴らしつつ答える。
「笑っていました。疑っている様子はなさそうです」
『笑ってた、か』
通話越しにため息が聞こえてくる。
『まあ予想通りの反応でしたが、五月雨は今どうなってるんです?』
「分かりません。既に第四のネットワークに潜っている可能性もあるので……」
とにかく早坂もその部下達も、五月雨は周知せずに勝手にどこかに行ってしまう。上が猫又だと下も影響を受けるのだろうか……田嶋は息を吐きつつ続けた。
「どちらにしても彼らと連絡はとれない。既に着手している可能性に賭けましょう」
東は唸りながらも田嶋総裁が言うならと肯き、軽く報告しあってから通話を切った。
陰山長官の死亡から一週間後、南美の義手が安定しヱマの傷もほぼほぼ完治した。黒を基調とした無骨な手だ。唯一残っているのは親指だけで、他は全て機械の指に置き変わっている。
事務所に帰っても大丈夫、そうお達しが出たあと、二人はタクシーを拾って歌舞伎町に戻った。だがずっと無言だ。
降りて早々にヱマはビルのなかに行き、南美は電子マネーで支払いつつちらりと見た。普段なら降りてもすぐそこで待っている。
あの日から、義体男を確保してからヱマとのあいだに距離がある。怒っているのは確かだが具体的に何に怒っているのかは分からない……。
下手な事を言って余計に怒らせるのも面倒だ。南美はある程度の距離を保ちつつ事務所に戻った。
『おかえりなさい!』
アンドロイドがにぱりと笑顔を見せて抱きついてくる。南美はそれを避けつつヱマに話しかけた。
「まだ右手を上手く使えないんで、飯は作れないと思います」
箸も何度か動かすのに失敗している、暫くはスプーンかフォークで食わねばならない。
「言われなくても分かってる」
つんっとした言葉。南美は少し内心イラッときたが、「そうですか」とだけ返してジャケットを脱いだ。
二人のあいだにトゲトゲとした雰囲気が流れているのをアンドロイドが感知、和らげようと元気な声で話題の映画を観ないかと提案した。だが両者に無視される形で拒否される。
『……』
表情が暗くなり、口を噤む。データと現実の相違にアンドロイドは計算しなおし、大人しく業務を行う事を選択した。そうしてちゃっちゃとロボット達のメンテナンスに行ったあと、ヱマが不意に溜息を漏らした。
重たく空気がぴりつくような溜息。南美は反射的に「なに」と答えた。
「別に何もねえよ」
ソファに座って脚を組む彼女を一瞥し、タバコを咥える。紙巻に火をつけた。
「ハッキリもの言うタイプやと思っとったけど、そうでもないんやな」
煙を吐く。彼女の後ろ姿と重なった。
「考えてんだよ。気持ちの整理とか、そういうの色々と。だから話そうにも話せねえよ」
それに少し笑った。
「別にお前と出会う前の話やねんから、考える必要なんかないやろ」
だが地雷原で踊るのと同じ言動だった。ヱマは「そういう事じゃねえよ!」と怒鳴りながら立ち上がり、南美を睨みつけた。
「俺と出会う前だろうがそうじゃなかろうが、好きな人が知り合いとつい最近までヤッてたってのが、こう、無理なんだよ」
長官として優秀だったヱマでも、複雑な自分の気持ちは言語化しづらい。無理という言葉が引っかかったのか、南美は鼻で笑った。
「感情的な話やったら一人で完結してくれへんか。俺は関係ない」
「だから一人で考えてんだろ。何も言ってねえだろ」
「言葉にせんかったらええと思ってるタイプですか? ずーっと不機嫌な顔してさっきもやったような溜息ばっか眼の前で吐かれて。右手上手く使えんのに取ってつったもんを適当に投げて寄越された時は正直」
軽く笑う南美にヱマは歯を食いしばり、ややあって怒りを混ぜて息を吐いた。
「お前の言う通り、俺一人の問題だ。お前を詰めたってなんにも解決しねえよ」
自分に言い聞かせるように肯いた。
「でもなんで田嶋はあんな、お前を求めてるような眼になるんだ。時々」
南美が過去、どんな人間だったか。ヱマは正確には知らない。
つい最近まで男女問わず売春をやっていた事も、脅せるからという理由で、都合のいいように動いてくれるからという理由で複数人肉体関係を持っていた事も、田嶋もその一人だという事も。ヱマはしっかりとは知らないし分かっていない。
だがそんな事を言えば、幾ら彼女でも受け止めきれないだろう。南美は平気で嘘を吐いた。
「お互いの立場上、色々と関係を保つんがムズかったからそのまま自然消滅したんや。俺はあんまり田嶋の事好きちゃうかったから冷めたけど、向こうはまだ好きらしい」
勿論そんな事実は一切ない。総裁という立場の彼女をいいように利用する為に、セフレという形で傍に置いていただけだ。関係が自然消滅したのと、田嶋がまだ南美を好きでいる事は事実だが。
「マジな話?」
疑うような眼差しに対して南美は肯いた。
「お前に嘘は言わん」
普段通り、落ち着いた様子だ。嘘を吐いている人間の仕草や雰囲気はない。ヱマは一つ息を吐いてからソファに座り直した。
「それでも変わらねえけどな。俺のこのモヤモヤした気持ちは……」
怒るのにも疲れたのか、項垂れる様子に南美は視線を外した。デスクにある灰皿に灰を落とす。
「南美が過去に色んな人とヤってんのはそりゃ分かってるけど、実際に眼にすると嫉妬するっつーかなんつーか」
頭を抱えて溜息を吐く。
「ごめん」
そう謝りつつヱマは立ち上がり、事務所を後にした。ブーツの音が遠ざかっていくのを聞きながら南美は煙を吐いた。
その日の夜。ソファに横になりながら外したかんざしを見た。母親の遺品、形見の品だ。
いい思い出は一つもない。愛情深く育てられた記憶もない。
「……育ちがちゃう」
ヱマの両親は優しく立派な人だった。だから彼女も真っ直ぐ育って若くして長官を務め、それを辞めた今でも澱みのない眼をしている。
自分とは生きている世界が全く違う。
彼女ならと考えた自分がアホらしい。
「似合わん。俺には」
真っ直ぐで明るいあの子に、歪んだヤクザの子は重すぎる。ずるずると足を引っ張って闇のなかに落とすだけだ。
上半身をあげ、息を吐き出した。
自分はなんとも思わなくても相手にとっては大きな地雷となる……三十三年生きてきてはじめてまともに恋愛をした彼にとって、その事実は水中のように息苦しかった。やはり自分のような人間に恋愛は向いていない。
セックスだけでいい。それ以上は要らない。だがそれをすればヱマは離れていく。失望した顔を向けられたくない、あの眼で見下されるのは嫌だ……。
「くそ」
吐き捨てるように言い、項垂れた。然し。
僅かな殺気。
南美は反射的に振り向きつつ、手に持っていたかんざしを投げた。瞬間外からのネオンを反射した刃が動き、かんざしが空中で分離した。
「二型……?」
立ち上がり眼を丸くする。視界には【大和製戦闘用アンドロイド二百五十五 牛頭馬頭モデル】と正式名称が表示されていた。
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