落ち葉を踏まないで

冬部 圭

落ち葉を踏まないで

「枯れた名前だから、嫌い」

 紅葉は奇麗な名前だと思うと言ったら、当の本人からそんな答えが返ってきた。

 一緒に食事をした後、飲み足そうと誘ったバーで絡まれてしまった。

「落ちる前、終わる前の瞬間が一番きれいな時だなんて、寂しくない?」

 紅葉が自分の名前のことを、そんな風に考えていたなんて、知らなかった。知らずに何気なく答えて失敗だった。

「私の名前のこと、どう思う?」

との、先ほどの質問は、正解のない、意地悪な質問だったのかもしれない。紅葉自身が気に入っていないなら、僕がどう答えても紅葉が気に入ることはなかったと思う。

 これまでの付き合いでは酒癖はそんなに悪くなかったので、何か嫌なことがあったのかもしれない。そんなことを考えながら、どうやって宥めようと思案する。

 まあ、黙っていてもしょうがないから、何か声を掛けてみることにする。

「でも、奇麗だよ。今度一緒に見に行かない?」

 紅葉は僕の方をキッと一度睨んだけれど、僕が目を逸らさなかったら、

「まあ、いいか。付き合ってあげる」

と答えてくれた。


 赤く色づいたモミジが美しいと評判の公園に一緒に行けることになったけれど、あまり心は晴れなかった。

 モミジ狩りなんて枯れた感じがするなんて言われるのだろうか? でもOKは貰ったわけだし、枯れた雰囲気だろうが奇麗なものは奇麗だと思う。それではいけないのだろうか?

 紅葉の葛藤はわからないから、また機嫌を損ねてしまうのかななんて思ったけれど、付き合ってくれるだけましかなんて考えたところで思考を止めた。


 当日、待ち合わせた駅で、既に紅葉は出来上がっていた。

「今日は、よろしく」

 そういう声が笑っていない。

 そんなに嫌なら断ってくれても良かったのに。でもそれは口に出さない。紅葉は来てくれたから。

「よろしく」

 そっと手を差し伸べると、不機嫌そうにしながらも紅葉は手を取ってくれる。

電車の中でも紅葉は無口なままで時折、ペットボトルの飲み物を口にしている。有名な炭酸水のラベルがついているけど、中身は何か足されているみたいだ。匂いで分かる。

 電車を降りて、公園まで歩く。

 紅葉が少しふらついたので、肩を抱き支える。

「ごめん」

 小さな声で謝られる。

「何も悪くないよ。気にしないで」

 何が紅葉を追い詰めているのだろうか? 僕か?

 公園に着くと、丁度見頃のようで、奇麗に色付いたモミジの赤が美しい。

 紅葉と並んでベンチに座る。

「ほら、奇麗だよ」

 指をさすと、紅葉は少しびっくりしたように肩をすくめた後、

「だけど」

と言って俯いてしまった。

 何か言いたいことがあるのだろうけど、無理に聞き出したくなかったので、紅葉の気持ちが落ち着くまで待つことにした。

 静かに時間が流れる。

「最後にようやく奇麗になって。なのに、すぐに散って、踏まれて砕けて。嫌だよそんなの」

 そんなところに感情移入してしまうのか? 泣き上戸ではなかったと思うのだけど。

「大丈夫。モミジはいつでも奇麗だよ。赤く色付いた時が美しいって思う人が多いだけで。みんなから奇麗って言われなくてもいいじゃないか」

 付け焼刃のモミジ知識でご機嫌取りを試みる。

「だいたい、葉が美しいって言われる植物は多くないでしょ。多くは花が美しいかどうかで勝負してるところで、葉っぱで勝負できるのだから、それは凄いことじゃないかな?」

 兎に角おだててみる。

「だって、花が地味だから。花じゃ他の草木と勝負できない」

 目の前にいるのはネガティブ思考のモミジの精か? 普段の勝気な女性の面影がない。

「目立ちにくいかもしれないけど、可憐な花だと思うよ。どんな花が好きかなんて人それぞれ。イロハモミジの花が好きだって人はきっといるから」

「そうかな?」

 疑わしそうに、僕の顔を覗き込む。

「僕は好きだよ」

 そう伝えると、紅葉は頬を染めて、目を逸らす。

「お世辞はいいよ」

 紅葉はそんなことを言いながら、満更でもないような仕草をしている。

「大体、スギやヒノキみたいに常緑の木もあるわけだし、花も目立たないというか嫌われ者だし。可憐な花をつけるんだから、勝ち組じゃないかな」

他を下げてとにかく上げる。姑息と言われようがなりふり構っていられない。

「スギとか、ヒノキでなくてよかった」

 紅葉はそう呟いて、また、ペットボトルの飲み物を飲もうとしたので、

「それを飲むのはもう終わり。何か買ってくるから。何がいい?」

と言って取り上げる。

「ミネラルウォーター」

 大分しおらしくなってきたな、なんて考えながら、自動販売機を探して水を買う。

 ベンチに戻って手渡すと、紅葉は一口だけ水に口を付ける。

「ありがと。少し落ち着いた」

 それは良かった。僕も助かる。

「今日は、ごめんね。誘ってくれたのに。悪気がないのはわかっているんだけど」

 あまり邪魔をしないように黙っている。

「わたし、自分の名前、そんなに好きじゃないから。昔から名前が似合わないってよく言われたし。でも、どうしたら良いかわからなくて。自分の名前に反発してた。」

 名前なんて記号だからなんて、なかなか割り切れないかもしれない。でも少し囚われすぎのような気もする。

「どんな名前でも君は君だから」

「世の中がみんなそう思ってくれればいいのに」

 そう答える声には重い実感がこもっている。

「みんな勝手に私のことを想像して、イメージと違うってがっかりして。あなたも結局、落ちる前の葉っぱの方が美しいと思ってるんでしょ」

 紅葉の性格のこととモミジのイメージのことが混ざり合って、本人も何を言っているかわかっていないんだと感じる。

 でも、そこまで言われると、言うか言うまいか迷っていた、とっておきを伝えることにする。

「新芽の時から赤いモミジがあるのを知ってる?」

 紅葉は子供がいやいやをするように首を小さく横に振る。仕草に反して、これは知ってるなと勝手に推測する。

「ある苗字の人と結婚したら、君は新芽の季節からずっと美しいってことにならない?」

 そう、僕の姓+紅葉で新芽の時から赤いモミジの名前になる。あまりに恥ずかしいから言わなかったけれど。

「それ以上はダメ」

 紅葉は俯いて小さな声で言う。

「どうして?」

 僕が尋ねると、

「素面の時でないと答えを間違えそうだから」

と照れ隠しの答えが返ってくる。

「いいよ、間違えて。OKが貰えるまで何度でも聞くから」

 少し意地悪を言うと、紅葉は拗ねたように、

「じゃあ、続けて」

と言ったので最後まで伝えた。また、泣かれた。

「答えは今度でいいから」

 僕はそう言って紅葉の肩を抱いた。紅葉とモミジ。そう違ってないよと思った。

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落ち葉を踏まないで 冬部 圭 @kay_fuyube

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