第13話

◆◆


 玉清館の生徒数は、毎年百名前後と決まっているらしい。

 それ以上入学者を増やしても、教える人材がいなくて、それ以上、入学者を減らすと、卒業の頃には、皆、脱落して、誰一人生徒がいなくなってしまう恐れがあるからだ。

 そんな学校に吝 蒼雪は、入るつもりはなかった。

 口下手で、根暗で、人嫌い。

 妖異なんて見たこともないし、術なんてものも、あるのは知っていても、自分なんかが使えるはずがないと分かっていた。

 術師も、役人も、自分には向いていない。


 ……ただ、算学だけが得意だった。


 数字は嘘がない。

 学べば学ぶほど、奥深くて、寝る間を惜しんで問題を解くのが好きだった。

 玉清館に入れば、この国で最も優れた算学の講義を受けることができる。

 それに……。

 玉清館を卒業したら、箔がつくのだ。

 権力が手に入る。

 両親に堂々と反抗することもできるだろう。

 だから、合格したこと自体は嬉しかった。

 結局、優柔不断でぎりぎりまで入学を躊躇ったけど……。

 無事に卒業したら、両親は蒼雪の願いをきいてくれると約束してくれた。

 だったら、願い事は決まっている。


 ――藍紗を、自由にしてあげよう……。 


 少し周りと違うという理由で、虐げられていた彼女が不憫だった。


『僕が藍紗を「自由」にしてあげるよ。自信はないけど、何とか玉清館を卒業できるように、頑張ってみるからさ』


 そんなことしなくて良いと、藍紗は言ったけれど、蒼雪が玉清館に通うこと自体は賛成していたので、それ以上、何も言わなかった。

 とりあえず、三年。

 適当にやり過ごして、卒業するだけで良い。


 ――けど。

 それは、甘い考えだった。


 そんな生温い態度で、罷り通る学校ではなかったのだ。

 玉清館に入学して、蒼雪はいかに自分が駄目な人間であるかを思い知らされた。

 普段、生活している分には、知らなかった自分の立場。


 上流階級からの蔑み。

 たかだか、商人の長男。

 術の一つも、満足に使えない。

 妖異も幽鬼も見えやしない。

 算学だって、自分よりも遥かに出来る人間が大勢いる。


 そんな時、蒼雪に優しく接してくれたのが金 芙蓉だったわけだが……。

 結局、彼女が一番陰湿で、蒼雪を利用するだけして、もう嫌だと突っぱねたら、取り巻きを使って嫌がらせをしてきた。 

 自分が虐げられる側になって、初めて、蒼雪は己の暗部に気が付いた。


(こんなに、僕が苦しんでいる時に、のうのうと笑いながら生きている奴らなんて、この世から消えてしまえば良い)


 気がつくと、すべての人間が、許せなくなっていた。


(藍紗だって、そうだ)


 何が楽しくて、にこにこ笑っているのだろう?


(莫迦にしやがって……。僕の方が上なのに)


 ――そうだ。

 幼い頃から、蒼雪が藍紗に優しくできたのは、優越感があったからだ。

 自分の方が、藍紗より何もかも優れているという確信があったから、蒼雪は安心して彼女を憐れむことができた。


(僕は藍紗のようにはならないと思っていた)


 本当は、ずっと蒼雪は誰よりも藍紗を蔑視していたのだ。


 ――いっそ、この世から、消えてしまえば良いと思うくらいに……。



「おや? 熱心ですね。講義終了後も居残って、勉強なんて。考試前のせっかくの半日の講義なのに……」


 しんとした講義室の中に、中性的で魅惑的な声音が響いた。

 姿を目にしなくとも、凛とした気配で分かる。

 龍 皓夜だ。 


「……あ」

「吝 蒼雪くんは、歴史の復習ですか。偉いですね」

「ぼ、僕が点数取れるものなんて、座学くらいしかないので……」

「そうですか」


 ――て、あっさり肯定してしまう。

 謙遜のつもりで言ったのに。


(嫌な感じだ)


 どうして、こいつがここにいるのか?

 蒼雪が逆立ちしても敵わない、皇家の血を引く煌びやかな男。

 玉清館指定の黒い道服を身につけているのは蒼雪と同じなのに、この男はまるで風格が違う。

 年上だから……。

 そんな理由ではない。

 何もかもが超越しているのだ。


(完璧すぎて、嫌いなんだよ。こいつ)


 すべて見透かされているようで、怖い。

 しかも、皓夜は金 芙蓉のお気に入りなのだ。

 少し皓夜の傍にいるだけで、蒼雪は彼女から普段の倍もいびられた。

 だから、蒼雪は離れたくて仕方ないのに、皓夜はいつも、馴れ馴れしく距離を縮めてくるのだ。

 今だって、皓夜は蒼雪が読んでいた教本を覗きこんでいたようだった。


(……大丈夫)


 蒼雪は疾しいことをしていたわけではない。

 今は本当に勉強をしていただけだ。


「しかし、蒼雪くん。座学で点数が良くても、ある程度、実地で点数が取れないと卒業は難しいでしょう。幽鬼が視えないんでしたら、道具を利用して弱点を強みに変えることもできます。先師に申し出てみると良いのでは? 丁寧に教えてくれますよ」

「別に、僕……術師になるつもりではないので」

「術師になる気もないのに、どうして君は彼女・・の言いなりになっていたのですか?」


 突然、繰り出してきた名前に、蒼雪は震え上がった。


(こいつ、どこまで知っているんだ?)


 早くここから、離れなければ……。

 しかし、身体が硬直して動かない。

 術を使われた形跡など、どこにもないのに。


 ……威圧感。


 皓夜が発している気が蒼雪を縛りつけているのだ。


「四百年前、天皚大帝は「叶」の建国にあたり、一人の武人に力を与えました。龍 朱全。彼は先の王朝、かいの王、余輝よきの忠臣でもありました」

「えっ、えっ?」


 蒼雪は慌てて教書の文面に目を落とす。

 それは、今まさしく蒼雪が読んでいた叶国の建国についての記述だった。

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