第2話
「さぁ、こっちだお嬢さん。手を貸そう」
「いや、必要ない」
「ふっ——強がらなくて良いんだぜ? 俺の前ぐらい弱い姿を見せたって罰は当たりはしないさ」
「本当に遠慮しておこう」
「やれやれ、そんなに照れなくて良いのに」
照れてねぇよ。何度目かも分からない呆れた言葉を胸の内で零す。
ジョクラトルと名乗った赤髪の少年と出会い、人がいる所まで案内をすると言うので頼んだのだが、その道中、やたらとこのジョクラトルは私と距離を詰めようとしてくる。
この少年、当然と言った様子で体に触れようとしてくるのだ。
正直言ってしまえば鬱陶しい。出産の経験はあるけど、私は未婚だし、男相手にときめいたこともない。
怪物から助けて惚れられていると考えているようならおめでたいとしか言いようがない。
お姫様に憧れる少女であれば、怪物に追い詰められた所を颯爽と助けられたら、キャー!カッコいいー!!となるかもしれないが、私はそんなに安い女じゃない。
何よりさっきは危険を感じることもなかったし、むしろ余計なお世話だった。
「さぁ、こっちだよ。もう少しだ。頑張って」
「…………」
子供だからと容赦してきたが、もう良いだろうか?いや、しかしここで道案内を失う訳にはいかないし、向かう先でトラブルなど起こしたくはない。
「一つ、聞きたいことがある」
「何だい? 足が疲れたのか。なら、俺の背中にでもしがみ付いたら良い。君が眠っている間に着くよ」
「違う。聞きたいのは、人里は本当にこっちで会っているのかということだ」
伸ばしてくる手を躱し、問いかける。
周囲には木々も増え、怪物の姿を見かけることも多くなっている。明らかに人が近くに住むような環境ではない。
隠れ里でもあるのか。そう思って問いかける。だが、帰って来たのは予想だにしていない言葉だった。
「里? 街のことか? そんなものはここにはないよ?」
「は——?」
思わず思考が停止する。
「————待て、待て待て待て。それじゃあ私たちは何処に向かっているんだ?」
「何処って……最初に言っただろう? 人がいる場所に案内すると。ふふっもう忘れてしまったのかい?」
髪を片手でかき上る様子にイラッと来るが、我慢する。
人がいる場所に案内する、か。そうだな。確かにそう言っていた。それを私が人里だと勝手に解釈してしまっただけだ。ジョクラトルは悪くない。
だが、人がいる場所とはどういうことか。
もしかしてジョクラトルは山賊の一味か。騙されやすい森人がいたから連れて来たつもりなのか。もう少し進めば山賊がわらわら出て来るのか?
「あ——どうやら迎えが来たようだ」
少し警戒して前を見る。
数十メートル前に見えるのは厚い毛皮の外套で身を包んだ髭を生やした男だ。筋骨隆々という言葉を現したような男だ。
羨ましい。僅かでも良いから私もあの男のように筋肉がついて欲しかった。
「おい、クソガキ」
「やぁ、おじさん。ここまでご苦労様。そこをどいてくれないか。雪を掻き分けて進んで来たから疲れているんだ」
「その前にそこにいる女について教えろ。何で森人族がここにいやがる」
男が柄に手を置いたまま私を見る。
明かに私を警戒した目だ。
言葉遣いは乱暴だが、髭などは整えられているし、変な臭いもしない。毛皮もかなり上質だ。それなりに身なりには気遣っているらしい。ということは、彼は山賊ではないと言って良いかもしれない。
「はぁ、やれやれ……あんな目に遭って大変だと思うが、誰も彼も疑うのは良くないぜ? 彼女は恐ろしい目に遭ったばかりなんだ。怪物に襲われ、言葉も満足に話せない程怖がっていたんだぞ。もう少し優しくしてやったらどうだ?」
「怖がっていた? またご都合主義な妄想か。おい、女。お前はここに何をしに来た」
「やめろ! 彼女が怖がるだろう!!」
「怖がる? ただ無表情なだけじゃねぇか。森人族は感情を表に出さねぇって聞くが、本当らしいな。その鉄面皮の下で何を考えてやがる。魔人族共からここを襲えとでも命令されたのか?」
「やれやれ、話の聞かない奴はこれだから困る。彼女は俺の連れだ。異種族だからって差別するんじゃない」
「警戒するのは当然なんだよ。今どういう状況なのか分かっているのか?」
私を無視して二人の会話が熱を帯びていく。
いい加減変な情報が増えても嫌なので介入する。
「私は森人族ヴィネディクティアの娘、リボルヴィア。グラキエスという街からヒュリア大陸へ向かう船が出ていると聞いてここまでやってきた」
私が口を開いたことで男の視線がこちらに向く。
「ほう、ようやく喋りやがったか。だんまり決め込んでたのは何故だ?」
「ただの状況把握だ。私としてはこの少年に街まで案内されるつもりだったが、明らかに街へと向かう様子が無かったからな。山賊でも待ち構えているのかと思った。だが、そうではないようだ」
「ふん」
少しでも賊と思われたことが不愉快なのか男の表情が歪む。
「大森林と呼ばれる場所から出ないと言われている森人が氷の大陸にね」
足から頭の上までジロジロと視線を向けられる。
かなり怪しんでいる。当然と言えば当然か。私もこんな氷の大地に用事が無ければ足を運びたくはない。
「もう良いだろう。こんな所で話し合っていても何も始まらない。彼女が何かしたなら俺の責任にでも何でもすると良い」
「何様のつもりだクソガキが」
「何とでも言うと良いさ。それともここでずっと話し合いをするつもりか? それこそ敵が来るかもしれないんだぞ」
「チッ部外者の前でべらべらと——」
私の身が危険だと勘違いしたのかジョクラトルが男と私の間に入り込んでくる。邪魔だなぁ。
それにしても敵、か——。
「仕方ねぇ。付いて来い。少しでも可笑しなことをしたら分かっているな? 武器も預かるぞ」
「訳も分からない奴等の所に行くのに武器を預けろと? そんなの了承する訳ないだろう」
「だったらお前はここで死体になるだけだぜ?」
「ふざけるな。そんなことさせるものか! 大丈夫だよ。君は僕が守る!!」
「どうする。ジョクラトルが騒いで敵とやらが来るかもしれないぞ。私はそれでも良いけどな」
「…………良いだろう。だが、俺が怪しいと判断した瞬間斬り伏せられると思っておけ」
「今はそれが限界か。なら、それで良いさ」
「俺の前を歩け。怪しい動きはするなよ」
「はいはい、分かっているよ」
「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。その時は僕が助けるさ」
色々と混沌としてきたな。等と会話をしながら思う。
こんなことならジョクラトルに案内など頼むのではなかった。
男の指示に従い、雪の中を掻き分け進んで行く。
暫く進むと谷が見え始める。
谷の向こう側には木材でできた簡易的な橋があった。男が合図を出すと橋が降りて来る。橋の先にあったのは人の集落だ。
「ここが今の俺たちの拠点さ。少しみすぼらしいけど、中に入ってみると印象が変わるよ。なんせ、ここで生活するためにかなり手間をかけたからね」
「お前が苦労したみたいな言い方すんじゃねぇよ。オラ、さっさと進め」
背中を押されて橋を渡り、集落に入る。
天幕があちこちにあり、中では人が大勢休んでいる。あちこちに男のような戦士がおり、周囲を警戒していた。
「聞きそびれていたが、あなたたちは何者なんだ?」
「そんなの俺たちが言うとでも思ったのか?」
「俺たちは雪国ニクスの騎士だよ。首都グラキエスを奪った魔人たちを追い払うためにここに集っているのさ」
二つの答えが同時に返って来る。
あ、男がジョクラトルを睨んだ。
「魔人族? そう言えば、私と出会った時も魔人族から命令を受けたんじゃないかと疑っていたな。まさか、奴等はここも侵略しているのか?」
「ここも、か。どうやらお前は外の情報を持っているようだな」
ジョクラトルが何故街に案内しなかったのかがようやく分かる。
もう街などなかったのだ。
ベリス大陸で聞いた魔人族と巨人族が戦争を仕掛けようとしている噂。ロンディウム大陸に侵攻しようとしているのは分かっていたが、氷結大陸まで手に入れようとしているとは思っていなかった。
何があったのか、詳しく知りたいな。
「お互い、話し合いが必要だと思う。情報交換をしようじゃないか」
「——ふん、良いだろう。こっちに来い」
男が軽く手招きして天幕へと案内する。
ようやく吹雪を遮ることができる。冷たい風から逃れるために私は男の背中を追って天幕の中へと入った。
さて、どうやらすんなりヒュリア大陸へと渡れそうにもないが、どうなるかな。
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