英雄伝承—森人の章—

大田シンヤ

第1話夢魔討伐編

 ブリュド大陸から氷結大陸への時間はそれほど長くはなかった。

 翼竜の翼ならば僅か三日で氷結大陸の隅へと辿り着く。

 必要な荷物を外し、翼竜へと目配せをする。それだけで翼竜は翼を広げて空へと舞い上がり、ブリュド大陸へと戻って行った。

 僅かな旅路の供と離れ、一人新たな大地へと向かい合う。


「話には聞いていたが、凄まじいな」


 空からでは分かり辛かったが、地面に立つと辺りを覆う白く、冷たいもの——話では雪と言うらしい——が辺り一面を覆いつくしている。

 しかも、私の腰まで積み重なっており、これを掻き分けて進むのは苦労することが容易に想像できた。


「もう少し中に入ってから降ろして貰うべきだったかな」


 自分で口にしておいて何だが、それは不可能だっただろうと予想する。明らかに翼竜がここから先へと進むのを嫌がっていた。

 竜も流石の自然環境には太刀打ちできないらしい。

 吹雪で冷たくなる体に鞭を入れ、気合を入れ直す。


「よし、進むか!」


 ここで立ち止まっていても何も始まらない。

 覚悟を決め、雪を掻き分け進んで行く。

 かなりの重労働だ。体力の消耗速度を考えて移動していかないと力尽きて凍死するかもしれない。気を付けよう。

 ここから海岸沿いに東方向へと進んで行けば雪国ニクスという国があるはずだ。まずはそこを目指そう。


 速くも足が凍えて来た。

 早く温まりたい。そう思って足を速める。

 この時私はまだこの環境のことを甘く見ていた。

 それを思い知るのは、数日後のことだった。


 極寒の吹雪が私の体から熱を奪っていく。

 手足はかじかみ、温めようと吐いた息は外に出た瞬間に凍り付く。

 あれから数日——東に向けて海岸沿いを歩いているが、未だに街の一つも見つけていない。

 時間が経てば少しはマシになると考えていたが、それは甘かった。

 吹雪の勢いは増すばかり。どうやらここに来たあの日が最も吹雪の勢いが弱い日だったようだ。


「うぅっさぶい。ウァレーンスの言った通りならもうそろそろ街は見えても良いはずなのに……」


 もしかしてウァレーンスの知識は古い?

 そんな考えが浮かぶ。あまり否定はできなかった。

 なんせ本人が外に出た闘人族から又聞きの上にその話を聞いたのは約百年前だったからだ。


 もし、そうであったらどうするか。思わず考えてしまう。先行きが不安になって来た。

 気温が冷たすぎるせいでビスケットもカチカチに凍っており、齧ることすらできなくなっている。

 このままでは自分がビスケットのように凍り付くのも時間の問題だ。

 せめて人の痕跡が見つかりますように!そう願って進むしかない。

 これまで以上に周囲に気を配りながら前へと進む。すると、吹雪に混じれて金属同士がぶつかる音が僅かに私の耳に届いた。


「見つけた!」


 明かに戦闘音。面倒ごとの匂いがプンプンするが、今の私は命の危機。この状況が打開されるのなら、この先で戦っているのが盗賊だろうが、お貴族様だろうが何でも来いだ。

 木々の間をすり抜け、岩を飛び越えて、音の聞こえる方へと全力で駆け抜ける。

 これでようやく街へと辿り着けるかも。そう楽観的に考えていた。だが——それは木端微塵に破壊された。

 音の発生源へと辿り着き、その光景を見て叫ぶ。


「怪物同士の縄張り争いかよ!?」


 巨大な角を持つ四足歩行の草食動物。

 音の原因。それは雪獣コルヌと呼ばれる怪物同士が角をぶつけあっているだけだった。思わず脱力する。そして、怒りが沸々と湧き上がって来た。


「よーし、私もその縄張り争いに参加してやる! 紛らわしいことしやがって。死に晒せぇええええ!!!!」


 剣を抜き、コルヌへと襲い掛かる。

 白い大地が赤く染まるのに、そう時間はかからなかった。





 コルヌに八つ当たりをした後、私は変わらず歩き続ける。

 背中にはコルヌの角がある。

 コルヌの角は持った限り、金属よりも軽く丈夫。角を振るえば生半可な盾ぐらい貫けそうだ。

 これまでの旅の経験で国ごとに使用する通貨は違った。大陸が違えば今まで使っていた通貨もゴミになる、ということもあるらしい。

 だからこそ、この先で何か必要なものがあれば買えるように、通貨を手に入れるための手段として角を取っておいたのだ。

 角に加えて毛皮も剥ぎ取った。

 その毛皮は現在私の防寒具となっている。生臭いが寒さがかなり防げるのでかなり便利だ。

 肉も持って行くか悩んだが、筋力の無い私では二頭分の大量の肉まで持ち運べない。何より、剥ぎ取っている最中に血の匂いに釣られて他の怪物まで姿を現し始めたから放置した。


「寒さはマシになったけど、早く人里に入りたい」


 相変わらず沿岸沿いを歩いているが、中々街は見つからない。

 コルヌの縄張り争いに乱入していこう、怪物は見かけるようになったが、それだけだ。襲ってくることもないので放置している。

 遠巻きにこちらの様子を窺っているのは確認出来ているが、監視し、いつ襲えるか隙を伺うっている感じではない。ただ、ジッと見て私が距離を取ると踵を返す。そんな感じだ。

 襲え、と言うつもりはないが、何だか怪物らしくないその様子に違和感を感じてしまう。


「——またか」


 周囲に気を配っているとまたもや耳に金属同士をぶつけさせる音が響く。しかも、前方に。

 このまま進めば自然とぶつかり合うことになるだろう。

 コルヌだったら、ひっそり横を通るだけにしよう。そう考えて前に進む。案の定、音の原因はコルヌが角同士をぶつけ合わせている所だった。


「はいはい、私は関わらないのでどうぞごゆっくり」


 もしかしたらとは思っていたが、一度経験したのでもう失望はしない。

 邪魔にならない距離を保ち、横切る。のだが、丁度私がコルヌの横を横切る時に決着はついた。

 別にそれだけならば、何も言うことはない。

 良かったね、で終わることなのだが、逃げたコルヌが何故か私がいる方向に向けて逃げて来たのである。

 しかも、お前のせいで負けた!とでも言うように明らかに敵意を見せて。

 それに釣られて新たな侵入者に気付いたコルヌも向かって来る。


「はぁ、これ以上角も毛皮もいらないぞ」


 だが、向かって来られたら対処しなければいけない。こんな極寒の場所で怪物に殺される何て真っ平御免だ。

 仕方なく、剣を抜こうとする。しかし、その前に私の前に出る人影があった。


「とう! もう大丈夫だお嬢さん!」


 私の前に飛び出したのは赤毛の少年だ。手には身長にはそぐわない剣を持っている。

 言語は共通語。聞き取れる言語に少し驚く。


「炎剣よ。俺に力を!!」


 少年が言葉を発するとそれに呼応するように炎が剣を取り巻く。

 炎柱が空に伸びる。熱で周囲の雪が蒸発し、一瞬で周囲の気温が暖かくなった。それを少年は迫るコルヌに振るう。

 炎の大剣がコルヌを包み、黒炭へと変えた。


「危なかったな。怖かっただろう? だけど、大丈夫。この俺が来たからな。安全な場所まで君を護衛してあげよう!」


「…………」

 

 別に対応できたのだが、それを口にするのは子供相手に野暮だろう。

 それに丁度道案内は欲しいと思っていた所だ。


「あぁ、礼を言う少年。私は森人族、ヴェネディクティアの娘、リボルヴィアだ」


「そうかリボルヴィア、良い名だ。俺の名はジョクラトル。ジョークと呼んでくれても良いぜ」


 歯を見せて笑顔を向けて来る少年。

 気さくに愛称まで教えてくるのは距離を詰めたがっているからだろうか。何故か、海人族を口説いている時のデレディオスと少年が重なった。

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