第5話
一番初めに何を作るか決めていたポンさんはもう実演に入っていて、ジュンさんの指導のもと机の向こう側でカクテルを作っていた。
ポンさんの作るカクテルはクリアなオレンジ色で、ファジーネーブルかしらと思ったところ、ルビー色のリキュールが注がれて、グラスの底にじんわりと広がった。そのカクテルは『テキーラ・サンライズ』というものらしく、ポンさんの個性的で派手な見た目とも合っていた。
「うま。今度ベースのオレンジジュースを、ポンジュースにして作ってみたいね」
ポンさんは一口、口にするとそうコメントした。
ポンさんのあとの順番はじゃんけんをして決めた。ユズカ、わたし、オサジ、アヤの順に作ることになった。
ユズカは普段からロングアイランドアイスティーをよく飲んでいるらしく、自分でも作ってみたいとのことだった。結構度数が高くて酔いやすいカクテルという印象があったからユズカのここまでの印象からは意外だった。
ジュンさんとのやりとりを聞く限り、どうやらユズカは一人で飲みに行き、バーに入ることがよくあって、ジュンさんとはそこで知り合ったらしかった。
「ユズカほんとお酒好きだよね」アヤが言う。
「うちの家系みんな酒豪だから酒好きは遺伝かなぁ」ユズカがそう答える。
ロングアイランドアイスティーは、ステアして作る手法で、円柱型のロンググラスの中に入ったクラッシュアイスを長いマドラーでカシャカシャとかき混ぜる音が爽快だった。夏の風鈴と花火大会を混ぜてノイズを適宜調整したような音がすると思った。
コーラを注いで、それが見た目をアイスティー色にして、最後にレモンのスライスを飾った見た目は、紅茶は入っていないはずなのに、名前の通り、アイスティーみたいで綺麗だった。ユズカは写真を数枚撮ってから席へ戻った。
わたしの番になる。バーテンダー席で、ジュンさんにブルー・トレインの材料の説明を受けていると、カウンターの向こう側ではユズカが作ったロングアイランドアイスティーをアヤへ一口勧めていた。
「飲んでみる?」
「ん、おいし」と、アヤは一口飲んでかわいく一言。
「オサジも飲む?」
ユズカはオサジにも勧める。
「え?いいの?」
オサジはユズカからグラスを受け取ると、誰も口をつけていない飲み口を慎重に探して一口飲む。
「めっちゃうま、ありがとう……!」
オサジは感激している様子だった。
正面から見ると台形二つの上辺同士をぴったりとくっつけたような、砂時計みたいな形の銀色のメジャーカップで、ジン30㎖、ホワイトキュラソー15㎖、レモンジュース15㎖をシェイカーへ入れ、ブルーキュラソーをティースプーン一杯分注ぐ。そして軽くステアして氷を入れ、蓋を閉め、シェイクする。ジュンさんが空のシェイカーでお手本を示してくれるみたいに全然上手くシェイクできなくて、ぎこちないシャカシャカ音が鳴り響く。
「おっ!スイ、バーテンっぽいやつやってんじゃん」
オサジが反応する。
ユズカもアヤもこちらに注目する。さっきまでスマホをいじりながらテキーラ・サンライズを味わっていたポンさんも、いつの間にかスマホをしまってこちらの様子を眺めていた。
ユズカがスマホを片手で持って、レンズを向ける。どうやらわたしを撮っているみたいだった。
「それ動画?」
「動画ぁ」
親しくもないのに勝手に動画を撮られるのは苦手だった。
でもカメラ目線で少しふざけた感じの、こういう風に勝手に動画を撮るような人が上機嫌になりすぎないくらいに、軽く表情をつくってシェイカーを振る。すると満足したみたいで、スマホを降ろした。
もう混ざったかなと、シェイカーをカウンターへ置こうとしたところ、
「スイちゃん、もうちょっとだけシェイクした方が美味しくなるかも、ちょっとだけ貸してくれる?」
ジュンさんにそう言われ、シェイカーを手渡す。
するとジュンさんは人が変わったかのようにものすごい勢いでシェイクし始めて、その光景に場が沸く。
「すっげえ」とオサジ。
「おぉ……」ポンさんは八重歯を見せてはにかんだように微笑む。
「すごい……」アヤはちょっとだけ引き気味でそう一言。
「やばぁい」
ユズカはテンション高くまたスマホを手に持つけれど、ジュンさんの動きの方が早すぎて、ユズカがカメラを起動する前にシェイクが終わる。
「はい」と、ジュンさんはシェイカーをわたしの前に置いてくれて、カクテルグラスに注ぐところも自分で体験させてくれた。
円錐形の、下を向いた頂点に線を接着した形のカクテルグラスに、シェイカーの中身を注ぐと、写真で見たものと変わらない綺麗な色味の淡い水色をしていた。自然の中では滅多に見られない色が現実に存在できる場所の一つがカクテルなのだとしたら、わたしはカクテルを好きかもしれないと思った。
一口飲むと、味はドライな口当たりに、レモンの酸味が感じられるさっぱりしたもので、そこにハーブのような植物っぽい香りやスパイス、柑橘の混じったような爽やかな香りが鼻に抜けた。
鼻の奥に未だこびりついていた春のにおいとそれに伴う記憶とを、一掃してくれるような一杯だった。
オサジのXYZ作りは終始楽しそうだった。ジュンさんがシェイカーを用意すると、
「やった!俺もこのタイプじゃん」とシェイカーを使えることを喜んでいた。ユズカの動画撮影にもノリノリで応じていて、ユズカも楽しそうだった。
ユズカはいつの間にか最初に作った一杯目を飲み切っていた。
「二杯目作っちゃっていいですか?」
わたしの実演が終わったあと手の空いたジュンさんにそう耳打ちして、自分で二杯目を作って飲んでいた。多分そのせいもあるのかさっきよりもテンションが高かった。
オサジは初めてシェイカーを扱ったらしいのに、結構上手にシェイクできていた。
「うまぁい」ユズカが言う。
ポンさんは空のシェイカーをジュンさんから借りて、自分の席でシェイクの自主練をしていた。
「スカーレットオハラって混ぜるのとシェイクするのどっちで作るやつですか?」
アヤは、シェイクの撮影が盛り上がりすぎて手の空いたジュンさんに確認する。
「シェイクだよ」
「できるかな……」不安そうに言った。
「混ざれば大丈夫だから」ジュンさんはそう言ってアヤを励ます。
わたしはもう一度ジュンさんの超絶技巧的シェイクを見たくて、アヤには申し訳ないけれど、あんまり上手くできない方が面白いなと思っていた。
XYZは、シェイカーから注がれると、不透明度40%くらいの白色をしていた。
シェイクの披露が盛り上がりを見せて、シェイク時間が長かったからか、中の氷が多く溶けていてシェイカーの中身をカクテルグラスへ全部注ぎきると表面張力で溢れるギリギリを保っているような状態だった。
「うっわ、ギリギリになっちゃった」
オサジが焦りながら言う。
「いや、逆にぴったりですごいよ」
ジュンさんがフォローする。
「これ移動させたらぜったいこぼれるやつっすよね」
オサジはそう言って、グラスに顔を近づけて音は出さないけれど啜るようにして飲み、分量を減らす。
「うんま……」オサジはしみじみと言った。
「ちょっと飲ませて」それを見ていたユズカが言う。
オサジは一瞬どぎまぎしている様子を見せたあと、平然を装って、
「あ、いいよー」と答え、分量が減って移動させられるようになったXYZをユズカへ手渡す。
「んん美味しすぎる……!こんな味だったんだ」
ユズカはしっとり言った。
「ね!美味しいよね!」
オサジがバランスを取るようにカラッと言う。
その頃アヤは不必要に緊張した様子で、カウンターの向こう側に立っていた。真面目な子なんだろうなと思った。
アヤはカーディガンの袖を肘までまくって、細くて白い華奢な腕が黒のベロア生地を背景に、より白く見えた。黒目がちな大きな瞳を真剣に見開き分量を測って、シェイカーへ注ぐ。伏し目になったときのまつ毛が長くて瞬きが蝶の羽ばたきみたいだった。
いよいよシェイカーの蓋を閉めてシェイクすると、それはだいぶぎこちないものだった。アヤは硬い表情をしていた。
ジュンさんがアドバイスをして、少し改善を見せてシェイカーの中の氷がカラン、と爽やかな音を立てたとき、溶けかけた氷が入ったロンググラスを目の前に、誰かとメッセージのやり取りをしているらしくスマホに夢中だったユズカも手をとめて、
「アヤすごい!」と言った。
ユズカはわたしとオサジにしたみたいにスマホをアヤへ向けると、アヤはその目力のある黒い瞳で真っ直ぐユズカを見る。
「動画?」
「うん」
「やめて」
左手でレンズと自分の顔の間を遮る。
「えぇ、いいじゃん記念に」
ユズカがアヤの手を、じゅわっと血色感のあるクリアピンク色のジェルネイルを施してある手で、退けようとする。
「ねぇ、もうほんとわたしのこと動画に撮るのやめてって何度も言ってるじゃん。ほんとうにやめて」
アヤは真顔で言う。
空気がピリつきだして、もう本当にやめておいた方がいいんじゃないかという雰囲気が漂う。
「いいじゃん、アヤかわいいんだからぁ」
ユズカはまともに受け取らない。
「だからもうやめてって!!!」
アヤの白い肌は赤みを帯びる。
ポンさんはビクッと驚いて、オサジはあたふたしていた。ジュンさんは無表情で何を考えているのか分からなかった。
「えっ、こわぁ」
ユズカは身体を大袈裟にのけぞらせて、同意を求めるように、周りをちらちらと見回した。わたしはユズカと目があって、曖昧に苦笑いをした。
「よかれと思ってなんだと思うんだけど、撮られるのが嫌な人を撮るのはやめよう」数秒の沈黙の後、ジュンさんが言った。
「ごめんなさい」
ユズカはジュンさんに向かって謝って、アヤの方には一切目線を向けなかった。
「大丈夫?」
ジュンさんがアヤにそう聞くと、アヤは涙目で、涙がこぼれ落ちてしまいそうなのを必死でこらえている様子で、浅く頷いた。
XYZがあんなにも大賑わいでカクテルグラスから溢れ出しそうだったのを思い出して、早くもそのときを懐かしく感じた。
「ちょっと貸してくれる?」
ジュンさんはそう言って、アヤの代わりにシェイクした。やっぱり超高速の動きだったけれど、もう全然笑えなかった。
カクテルグラスに注がれたスカーレットオハラは甘酸っぱそうな濃い赤色をしていた。
「美味しいです、」
アヤはその場でスカーレットオハラを一口飲んで、控えめに言う。
「すみません、ちょっとお手洗い行ってきます」
アヤはグラスを置き、部屋の外へ向かった。
「行ってらっしゃい、外出て右行って、つきあたりを右曲がったとこの奥にある」ジュンさんは心配そうに言った。
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