第4話
第四話
レンタルスペースを借りて開催すると聞いていたから、てっきり女子会や推し活にも使えるようなパーティールームの類を想像していたのだけれど、東西線の改札前で合流したオサジと二人、住所を頼りに着いた先はペールホワイトのタイル貼りの雑居ビルだった。
「え、ここ?」
オサジが地図アプリを確認し直す。
「ここであってるわ」
ビルのテナント欄を見ると四階に《レンタルスペース -shiro- 》とたしかに表記されていた。
「何人くらいいるんだろうね」「そうだね」なんてやり取りをしながらエレベーターへ乗り込んだ。
四階に着いて扉が開いた。エレベーターの外へ出ると、目の前は通路で、壁には左矢印とともに《カクテル同好会 試飲会はこちら》と書かれた貼り紙がされていた。
廊下の床は高校中退後のフリーター期間に一時期働いていた職場の床に似ていた。いわゆる普通のオフィスビルで見かけるようなスモークブルーのカーペット張りだった。
左に曲がって、また壁につきあたって、今度は右向きの矢印があって、右に曲がりその先をまっすぐ進んだところの右側に、見覚えのあるロゴの看板があった。
「あ、ここだ」
そうオサジと言い合っているのが聞こえたのか、
「ようこそ」と、ジュンさんが部屋のなかから出てきて、挨拶をしてくれた。
「友達のオサジくんです」
ジュンさんへオサジを紹介する。
「自分、オサダヨウジって名前でオサジって呼ばれてます」
オサジがそう付け足す。
「オサジくん……」ジュンさんは復唱した。
「オサジで大丈夫っすよ」オサジが言う。
「いや、オサジくんって呼んでもいいかな?」
ジュンさんはそう言って、その呼び方が気に入った様子で、オサジはジュンさんからオサジくんと呼ばれることになった。
部屋の中には誰もいなかった。レンタルスペースというか、普通の会議室という感じだった。
部屋の中央にはイコールの記号みたいに二台の長机が設置されて、それ以外の机は部屋の端に寄せられていた。二台とも黒のベロア生地のテーブルクロスで覆われていた。
二台のうち奥の一台は各種お酒のボトルがずらりと並べられていて、手前のもう一台はアイスコンテナとクーラーボックス二つ、シェイカーやグラスの類が置かれ、これがカウンター代わりとなるようだった。お酒のある側に一脚の椅子、そして入り口側に五脚の椅子が並べられていた。
「今日あと二人来る予定で……、あ、もうすでに一人来てて、今トイレに行ってるんですけど……あ、戻ってきた」
ジュンさんの目線の先には、派手な髪色に派手な服装をしている丸顔の小柄な男性が立っていた。髪色は綺麗なホワイトに、毛先だけを蛍光グリーンにカラーしていた。前髪は眉上でまっすぐに切り揃えられていて、昭和レトロ風の、眉間のところが二重になっているツーブリッジのデザインの銀縁フレームの眼鏡をかけ、首からはゴツい鎖のネックレスをしていた。強烈に個性的でお洒落な見た目の人だった。
「こちら、ポンくん」
ジュンさんはその人を紹介した。
「あ、ども」
その人は短く言って軽く会釈をした。
ジュンさんの説明によると二人は高校同期の友人らしく、その流れでオサジとわたしはジュンさんをさん付けするのと同様に、自然とポンさん、とさん付けで呼んだ。
「こう見えてもポンくんは理系なんだよ」ジュンさんが言った。
ジュンさんによると、ポンさんは、他大学の理系大学院生であるとのことだった。
どうもポンさん本人は人見知りの気があるらしく、無口で緊張している様子だった。
ジュンさんがわたしとオサジをポンさんに紹介する。
「スイちゃん……、オサジくん……」
ポンさんもジュンさんみたいに復唱して、はにかんだ。無口だけれど、決してこの場にいるのが嫌だというわけではなさそうだった。
「なんでポンさんっていうあだ名なんですか?」と聞いてみると、
「あ、えっと……」とポンさんは口ごもる。
「昔からポンジュースが好物なのよ」と、代わりにジュンさんが答えた。
わたしとオサジが思わずふふ、と笑うと、ポンさんからも笑みがこぼれた。上がった口角から八重歯が覗くかわいらしい笑顔だった。
「すみません迷っちゃって」
ポンさんと少し打ち解けたところで、申し訳なさそうにそう言って、背の高い、ピンクブラウンのロングヘアで、ふんわりとしたワンピースを着た女性と、黒髪のマッシュショートで、デニムにTシャツにカーディガンにスニーカーというカジュアルな格好をした小柄な女性の二人組が入ってきた。
「大丈夫よ」
ジュンさんはそう言って、彼女らを席まで案内する。
「こちらポンくん、スイちゃん、オサジくん」わたしたちを紹介する。
「こちら、ユズカちゃんとアヤちゃん」彼女らを紹介した。
背の高い方がユズカ、小柄な方がアヤ、二人とオサジとわたしは同じく一年生だと判明して、ここ四人はお互いを呼び捨てで呼び合う流れとなる。
ユズカは二浪、アヤは一浪らしく、別のサークルの新歓で知り合って、仲良くなったとのことだった。オサジは案の定また、浪人仲間が見つかったと言って喜んでいた。
「え!やった!すごい!!」
ユズカもテンション高く言う。
オサジとユズカの盛り上がり具合に、アヤは引いている様子なのが顔に出ていた。わたしはオサジらとアヤの中間くらいのテンションに合わせて適当に相槌を打った。
「じゃあそろそろ始めましょうか」
ジュンさんはそう言って部屋の電気を調整した。
薄暗くなった室内で、ジュンさんのその行動をBARの雰囲気を演出するためのものだとばかり皆がおそらく思っていたところ、当の本人は部屋前方の一席へ座り、シルバーのおそらく15インチのMacbookを操作しだして、スクリーンにスライドを映しはじめた。
《カクテルについて》
タイトルが、でかでかと映し出される。
「今日は最初に、カクテルについてその歴史とか代表的な材料、基本的な道具や作り方を簡単に説明させてもらいます。そのあと各自、今日この場で作れるものに限るんだけど、好きなカクテルを選んでもらって、ご自身で作ってもらって、えー、飲んでもらうって言う流れになります」
ジュンさんが薄暗いなか顔にMacの画面の光を浴びながらプレゼンを始める。
だからこの会場にして、今照明を暗くしたのか、と謎が解けたのと、自分が想像していたカクテル同好会の活動の雰囲気とは違って勉強会と言った方が正しいんじゃないかという具合で、わたしは笑いそうになるのをこらえて真顔でいるようにつとめると、ポンさんが鼻から笑いをもらしたかのようにフッと音を出して、でもその後それを誤魔化すかのように鼻を数回すすった。
簡単に説明、と言っていたもののスライドは十枚超えの力作で、プレゼンは30分ほどのものだった。でも、ジュンさんの説明もスライドもわかりやすく、わたし含め皆真面目に聞いている様子だった。
「ではご静聴ありがとうございました」
ジュンさんのその一言でプレゼンは締められ、みんな拍手を送った。
ジュンさんは電気を点けて、お手製の写真つきカクテルメニューをわたしたちに手渡す。
「今日この中に書いてあるやつはどれも作れるから、でもごめんね二冊しか作れてなくて……、あっ、あと途中でお腹空いたって人は、コンビニのサンドイッチがこっちの小さい方のクーラーボックスの中に入ってるので、ご自由にとって食べてください」と説明した。
オサジ、ポンさん、わたしで一冊、アヤとユズカで一冊を共有してカクテルを選んだ。
「決まった」
ポンさんが早い段階で、小さい声でぼそっと呟く。
「おー、ポンさん早い。もう決まったんすね」
オサジがやや大きめの声で言う。
どれを選んでいいかわからないといった様子のアヤに、ジュースだったら何が好きかとか、甘い系とさっぱり系だったらどっちがいいか、などをヒアリングして、いくつかおすすめを提案していたジュンさんの耳にそれが届く。
「ポンくん、ちょっと待っててね」ジュンさんが言う。
わたしは、せっかくだし今まで飲んだことのないカクテルにしようと、メニューを眺めた。
ポンさんがどのカクテルにするか決めたあと、オサジと二人で全ページをめくり終わる。
「ちょっと一瞬よく見せてもらっていい?」
わたしはメニューを独占して気になるページをじっくり眺める。
前から飲んでみたかったけれど「青いカクテルは睡眠薬を混ぜられていてもわからないから女の子が飲むのは危険」と、ちょうどこのオフィスの床と似た色の床のオフィスで働いていたころの社員の人に言われたのがずっと頭にあって、気になるけど頼まないようにしていた青いカクテルのどれかにしようと思った。
ジュンさんお手製メニューに載っていた青いカクテルは『チャイナブルー』『ブルー・トレイン』の二つだった。
チャイナブルーは空や海の写真を、画像加工アプリの調整ツールで《彩度》と《明るさ》の項目の調整バーを目盛り100まで目一杯上げて《暖かみ》を−100まで目一杯下げたときに出現するような鮮やかな水色、ブルー・トレインはチャイナブルーよりも《彩度》がやや控えめで、目盛り60くらい、《明るさ》と《暖かみ》はチャイナブルーと同様に100と−100。そこに《ハイライト》を目盛り70くらいまで足したときに現れるような、ほんのり白みがかった薄水色だった。わたしはブルー・トレインを飲んでみたいと思った。
「わたし決まったかも」
メニューをオサジに手渡す。
「何?」
「ブルー・トレイン」
「いいじゃん。カッコイイ。俺は二つで悩んでるんだよなぁ」
オサジはそう言って、メニューを広げ吟味する。
「どれとどれ?」
「えっとね、『アラウンド・ザ・ワールド』と『XYZ』。厨二病って言わないでね」
オサジは先回りして牽制するように言う。
結局、オサジは『XYZ』、アヤは『スカーレットオハラ』、ユズカは『ロングアイランドアイスティー』に決めたらしかった。
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