第2話 見るでもなく、聞くでもなく

 応接間は薄暗い。足元は「柔らかい草製のラグ」こと畳。東と南の壁には、「薄い白紙が貼られ、半端な長さの縦横の棒で飾られた木製の丸窓まるまど」があり、西側にはリビングに至る襖があるだけだ。


 一度目のチェックでは、この内格子で装飾された丸障子の円窓えんそうの構造が解らなかったためスルーしたが、今度こそはと丹念に調べることにした。


 壁に埋め込まれた外枠に丸障子がきっちりと嵌め込まれていて、境界部分を指の腹で撫でても、一体化しているとしか思えない。プルーデンスは頭痛を感じ始めた。


「どうなってるんだ? ネジ穴があるわけでもないし……」


 丸障子の枠を軽く回すと、元の位置に戻ろうとするわずかな抵抗を指先に感じたプルーデンスは、磁石で固定されていると当たりを付けて引っ張ってみた。


「おお! 明るくなった」


 丸障子の下から現れたのは、繊細なそれとは異なり、厚手のガラスが頑丈なフレームに無骨な取っ手でガッチリ固定された、和室にそぐわない円窓だった。プルーデンスは、取っ手を捻って奥へと押し込み、空いた隙間から外を見て即座に理解した。


「ニンジャだな!」


 東側の窓からは、左に門とそれに平行する道が見下ろせた。顔を突き出せば、真下のビルトインガレージも視界に入る。南側の窓からは、右に庭を囲う壁が見えた。


 つまりは、応接間自体が外壁で、丸窓は銃眼エムブレイジャってことだ!


 そう断定したプルーデンスは、先程のについての考えを改めた。


「なら私は、ここに陣取るべきだ!」


 私の部屋が二階だった場合、一階の侵入者に対してかなりの時間的猶予を与えてしまうが、ここを押さえれば、迎撃、追撃、挟撃、何でもありだ。先制攻撃だってできる。南の窓に、腹這いになれる台を置けば、狙撃だってできるからな。


 このウズウズというかムズムズする感じは、はやる気持ちから来るものばかりではないな、と気を引き締めたプルーデンスは、この空気感には覚えがあるぞと意識をさかのぼらせる。狭い座席と、不味そうな機内食の香り漂うビジョンに辿り着いた。


 頭痛がするのも当然だな。この、寒くはないが、冷たいに刺されるというかさらされている感じと、微かな耳鳴り。これは、飛行機だ。だが何故、この部屋で、そんな感じがするんだろう?


 もう一度、神経を研ぎ澄まし、類似点を探そうとした。


「……ん?」


 そう言えば、隣のリビングにいる男どもの声が聞こえないな。優男が怪談に花を咲かせてキャッキャしてそうなものだが……。


 応接間とリビングを仕切るものもに見えるからには、音は通すはずだ。プルーデンスは首を傾げながら近付く。隙間もなければ、光すら漏れていないことに、今更ながら気付いた。


「ほう、見せ掛けのために紙を貼ってるのか……」


 襖らしきものに顔を寄せると、くぐもった会話が僅かに聞こえてきた。刑事が地主と思われる相手に電話をしている声だ。


 触れるとひんやりする質感から金属製と分かったが、他の襖に見られる「開けるときに指を引っ掛ける丸い溝」が見当たらない。


「リビング側からも開けられなかったんだったな」


 一度目のチェックのことだ。「開かない場所は安全」の原則に従い、時間を掛けずに通り過ぎたが、自分の部屋となれば話は別だ。プルーデンスは構造の把握に努めることにした。


 ドアの上の壁に取り付けられているフレームに沿って左に開くわけか。それなら、右側に仕掛けがあるはずだ。


 顔を近づけ、指の腹で探る。今度は二人の会話が薄っすらと聞こえてきた。


「……この辺りで、四つん這いになれ」

「ええー……。この床、硬いぜー!」

「それじゃ、こう、抱えるか?」

「そ、そりゃ無理だ! 分かったよ……」

「よし! この辺か?」

「痛っ! そこじゃない! もっと下っ!」

「お、おう、こっちか?」


 ……やれやれ、向こうは、何をおっ始めてるんだか……。


 呆れ顔で頭を振るプルーデンスが、指先に力を入れて探り続けると、軽く沈んで反発する箇所があることに気付いた。


「ここか!」


 カチッと押し込む音と同時に、「あっ!」と優男の声が重なったが、プルーデンスはそれを聞かなかったことにして、押し込んだ後の溝に指を引っ掛けスライドさせる。空気圧のような重さはあるが、スムーズに開いた。


 明るい白壁のリビング。中央の男二人に、否が応にも目が行った。


 四つん這った優男の背中の上に、話を聞かない男が立って、高く掲げたスマホで、床全体を撮影していたのだ。


 こいつら、エリート校の出なんだろう? お利口さんってのは、皆こんな感じなのか……?


 再び頭を振るプルーデンスは、南面する窓辺に進みがてら、肩越しに親指を差して、話を聞かない男に教えてやった。


「脚立ならパントリーにあったぜ」


 即座に優男が紅潮した顔を上げ、残念そうな、それでいて非難するような上目遣いで見上げる。プルーデンスはそれを無視して通り過ぎ、窓辺の壁に背中を預けた。


 中庭のチェックは、後でいいか……。


 プルーデンスは観察していた。図面云々言った後に、間取りを調べ始めたアーサーの行動に興味を持ったからだ。スマホで撮影した室内映像の、壁や床の境界をなぞって距離を測り、室内空間を立体的に描き起こす。アーサーはそんなアプリを操作していた。


 歳はそう変わらんのに、隔世の何とかってやつだな……。


 私だって全く使わないわけじゃない。支給品の小型サーモカメラをスマホと連動させて、スナイプ時の背後を監視するくらいはしている。


 が、それ以外の用途では、あまり使う気がしない。前回のこともあるからな……。


 偵察時に通信が途切れて、全員のスマホに違う指示が来て、その確認ができなくて、「ターゲット発見」って誰かが騒いで、撃ったら誤射で……。結局、あれは何だったんだろうな……。


 黙々とスマホを操作するアーサーを眺めるうちに、ぼんやりと考えごとに落ちていたプルーデンスの意識を呼び戻したのは、刑事の怪談の続きだった。


「……それが、ちょうど家政婦さんの上にあって……」


 は? 何が上にあるって?


 背中に力を入れて壁から離れ、自分のいた位置の上を見上げても、何かあるようには見えない。せいぜい天井に空いた四つのネジ穴くらいだ。


 ……ああ、そうだ。優男は監視カメラの話をしてたんだったな。


 同じ場所に戻るのもはばかられる気がしたプルーデンスは、そのまま窓の前に腕を組んで立ち、見るでもなく庭を眺め、聞くでもなく刑事の話に耳を傾けた。


「最初に、不審な行動が見られたのは、事件の二週間前で……」


 暇つぶし程度にパート従業員をしていた妻が、帰宅後にダイニングテーブルの椅子二つを庭に向けて動かし、そのうちの一つに座り続けたというのだ。


 どこが不審なんだ? ただの中年の危機ミドルエイジ・クライシスじゃないのか?


 いぶかるプルーデンスを他所に、深刻顔の優男は続ける。


「それも、子供が帰宅するまでの二時間くらい、身じろぎ一つせず、庭を見てるんだぜ……」


 子供の帰宅後、妻はキッチンで家事をしているらしいが、その様子は映っていない。代わりに、空いた椅子二つに、子供二人が座り続けたそうだ。


 親の不安は、子にうつるからな……。気の毒に。


 子供の不幸に反応したプルーデンスは、優男の続きに聞き入った。


「それから二時間くらいして、夫が帰宅するんだが……」


 身じろぎ一つせずに座り続けた子供も、家族三人が揃うと動き出し、普通の家庭のように食事をして、会話をするなりして過ごすのだとか。


 ん? 子供一人はどこ行った?


 私は指摘する立場じゃないなと思いながらも、プルーデンスは背後の気配を伺ってアーサーの反応を待ったが、ツッコミどころか相づちを打つ様子もない。「さすが話を聞かない男」と内心で称えているうちに、優男の裏返った声が室内に響いた。


「これが、ほぼ二週間、毎日繰り返されるんだぜ! 気味悪いって! それに『子供は誰だ?』って聞き込みしても、何の情報も得られない! こんなことってあるか?」


 子供の謎は全くわからんが、同じ行動を繰り返すのは、強迫性障害の可能性がありそうだな。軍の関係者から良く聞く話だ。夫婦関係のこじれが原因ってのは聞いたことないが……。


「その挙句がアレだぜ……」


 映像が残っている最後の日は様子が違ったという。妻は帰宅後に椅子を動かさず、監視カメラの対角に移動すると、壁に向かって立ち続けた。


 ああ、キッチンカウンターの横の壁か……。反対側にオーブンが置いてあったな。


 少しだけ振り返ってキッチンの方向を肩越しに見たプルーデンスは、何の変哲もないただの壁だと小さく鼻を鳴らした。優男は真剣な声で語り続ける。


 その後、子供が帰宅しても妻は動かなかった。

 子供二人も妻に並んで、壁に向かって立ち続けた。

 夫が火鉢を抱えて帰宅しても、妻子は動かなかった。

 夫はダイニングテーブルの上に火鉢を置き、練炭に着火すると、窓に足を向け、仰向けになった。

 しばらくして妻子が動くと、夫に並んで仰向けになった。

 子供一人は、壁に向かって立ち続けた。


 その数時間後、地主が部屋に入った所で映像は終わるが、それまでの間、親子三人は、監視カメラに目を向けたまま、真っ直ぐに横たわっていたという。


 救急搬送された親子三人だが、現在も低酸素脳症で意識不明だそうだ。子供一人の行方は分かっていない。


 子供一人は地主がらみだろうな……。私の指摘することじゃないが……。


 それに、この家族の行動も確かに異常ではあるが、ゴーストに結び付けてしまうあたり、やはり日本は平和なんだな……。


 プルーデンスは脈打つこめかみを押さえながら小さく肩をすくめた。

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