守銭奴
むっしゅたそ
カネは命より重い……⁉
吉田拓郎は、世の中はカネがすべてだと考えていた。それはこう言い換えることもできる、生産性や労働力がすべてであると。「カネで買えないものもある」という言葉があるが、正確には値札がついていないものが買えないだけだ。しかも値札のついていないものとて、「所有者」が居る限り言い値で購入することができる。購入できないもの? イリオモテヤマネコ? オオサンショウウオ? そんなものは自分にはまるで必要ない。
人間は時間的生物であり、人間の人生は時間である。例えば寿命が八十歳の人間は、一年の八十個分の価値だ。そんな人間が、睡眠を省いて実労働時間二十年だったとすると、その人間の四分の一の存在をそっくりそのまま雇用主に売ったということだ。つまり、カネは命とトレードされる性質を持つ。しかも、世の中の人間はこぞって自分の命、時間をカネと交換したがる。要するにカネは命と等価だと言うのはまだ優しい言い方で、実際は命よりも上位に存在する。命がただあっただけでは、難病や飢えによって簡単に死んでしまう。しかしカネがあれば難病でも治療ができる、もちろんカネがあればあるほどより腕が良く高価な医療を受けることができる。あまつさえ他人の命さえも救うことすらできる。しかしカネがなければ盲腸程度の症状が腹膜炎などに進行して呆気なく死んでしまう。あのゴキブリですら、家賃三十万円も出してくれたら共存したがる奴は多数派だろう。
治安を維持し、我々の命を守ってくれている警察ですら、他国の軍事力から守ってくれる自衛隊ですら、我らの血税で雇われている。そして戦争もカネがある国家の勝率が当然高い。
要するにカネの正体は、人の時間、労働力、つまり「命の結晶」。
時間は常に流れ去り、二度と戻ってくることはないが(人生が繰り返せないように)、他人の人生、時間、労働力を有することができるのがカネだ。例えば庭を綺麗にしたいと思って、逐一園芸について学んでいたら、人生がいくつあっても足りないことは、誰しも想像に容易いことだ。それなのに、カネを払うだけで、専門の庭師に庭木の選定をさせることができる。難易度は、大変イージーだ。
吉田は常々疑問に思っていた――自分の考えていることはそれほど特殊なのだろうかということを。
……学校の先生は教えてくれなかった。親も教えてくれなかった。カネより大切なモノを自分に提示してくれなかった。そして大人になった今では、吉田はカネよりも大事なものがあると豪語する奴らを、飲みの席でも、インターネットの掲示板でも、息子との討論でも、仕事の例、難病治療の例、国家権力の例などを使って説き伏せ続けてきた。
だが、若き頃の吉田は実のところ、絶望していた。「大人」には、「カネが最も偉大である」などという子供の理屈は簡単に論破して欲しかったのだ。だからかつての吉田はしぶしぶながら、守銭奴としての人生を、だが順調に歩み始めたのだった。最初は抵抗があったがすぐに慣れ、その俗物さ加減も板につき、気がつくとカネよりも大切なものなんて存在しないことを、疑うことすらしなくなった。
……しかし、吉田が見ていたのは、――走馬灯!
馬乗りになった息子に顔面を殴られ続けていたのだ。このままでは死んでしまうと焦り、隙を突いて起き上がろうとした。同時に、右拳でぶん殴られて、後頭部を床に強く打ち付けた。それが致命傷、一歩手前の一撃となって、吉田は自らの人生観を総復習していたのだ。
襲い来る息子の圧倒的暴力の理不尽な威力の前に、ブルジョアだが全くの無力な自分を根限り思い知った。よってまさに死ぬ間際、吉田はカネよりも大切なモノを、皮肉にも確かに認める羽目に陥った。
最悪だ、人生が潰える間際の、それも交通事故さながらの暴力によって、自分の生命だけでなく、長年連れ添ってきた人生哲学すら、木っ端微塵に消し飛ばされるのは……。吉田は絶望的な気持ちになったが、その思考すら、続けざまに打ち込まれる拳によって、朦朧として薄れて、暗黒の世界へ誘われて行ったのだった。
吉田が動かなくなったのを確認して、息子はぜえぜえと息を整えた。そして、言った。
「……ねえ、父さんは金がすべてだって言って、人に恨まれることも厭わないのに、満足に自分の身すら守れないじゃないか」
――息子の言葉はもう、息絶えた父には届いていなかった。
守銭奴 むっしゅたそ @mussyutaso
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