第3話
その日の夜、風呂を終え、脱衣室から出ると晴斗がこちらへ向かって歩いて来た。
晴斗は今、学校から帰って来たらしく、まだ制服姿。
切れ長の二重瞼の瞳とバッチリと目があってしまった。
その瞬間、自分の心臓がドクンと嫌な音をたてた。
「お、お帰り…」
頑張って平然を装うが、表情筋が不自然に引きつる。
晴斗と目が合うと、いつもこうなってしまう。
「ただいま」と、晴斗はそんな美咲とは対象的に、形のいい唇の口角を上げた。
けれど、その顔には少し、疲れの色が広がって見えた。
美咲と晴斗は兄妹だが、美咲が晴斗と一緒に暮らしていたのは美咲が4歳の時まで。
父親はその後、晴斗だけを引き連れ、海外出張へ出た。
そして半年前、晴斗だけが12年ぶりに日本に帰ってきた。
しばらく独り暮らしをしていた晴斗を、母親がこの家に再び呼び寄せ、昨日から3人での生活が始まったのだ。
「…今日の部活、見に来てた?」
晴斗に会話を繋がれて、再びドキリとした。
「え、う、うん…」
私がフェンス越しに見てたの、ばれてたんだ…
警察官に職務質問される時ってこんな感じなのかな?
何も悪い事なんてしてないのに、身体が勝手に固くなってしまう。
「サッカー部に、誰か気になる人でもいるの?」
「え?」
「結構、女の子見に来るから。うち」
それは皆、主将でエースのあなたを見に来ているのでは?と、美咲は思った。
まさか、本人は無自覚?
「い、いないよ、そんな人。友達に呼ばれて、ちょっと立ち寄っただけ」
「そっか…」と、なぜか、安堵するようなため息が聞こえた。
そして、そのままあっさり会話が途切れた。
も、もうこのまま、自分の部屋に行ってしまってもいいよね…?
ビクビクしていると、晴斗がジッとこちらを見ている事に気がつく。
「まだ、俺の事怖い?」と、晴斗が尋ねてくる。
怖い。
怖いよ。
生まれてからこの人には、恐怖の念しか抱いた事がないもん。
美咲は正直に、首だけをコクンと縦にふった。
晴斗の存在は美咲にとって、トラウマ以外の何者でもない。
今は、優しい優しいと学校で人気の兄。
何がどうなると、人はこうも変わるのかというくらい、子供の頃は全くの別人だった。
当時、家の中で絶対的権力者だった5歳の晴斗は、美咲の一番のお気に入りだったウサギの人形も、おままごとセットも、バービー人形も、何もかもを取り上げてはグチャグチャに壊した。
美咲自身に対しても、親の見ていないところで皮膚をつねったり、髪を引っ張られたり、陰湿で横暴な態度で接されて、泣かされた記憶しかなく、その記憶を残したまま、晴斗は父親と海外へ行った。
そして12年。
更に大きく成長した晴斗と、また一緒に生活する事になった。
当然、当時の恐怖心も肥大するに決まっている。
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