火は神の知恵で焼けられる!
夢月亜蓮
プロローグ
壱
「
それは海が荒れてた日のことである。渚のちょっと前に腰をかけていた二人はその暴走的な波々をぼーっと眺めていた。
「そんなものねえよ。何よ、そんな恥ずかしいこと聞いてらしくないよ」
「へへ、だって智弘は今、海を見ながらすごい寂しそうな顔してたもん!朝ドラみたい!」
「何言ってんだよ
結衣と呼ばれた少女は智弘の強気に構うそぶりも見せず、純粋な微笑みを構えた。潮風に揺れる彼女の白い髪の毛を百合の花と例えるなら、未熟で繊細な体と肉感のある雲のような頬と強い蒼い瞳は春に咲く花畑そのものだ。
明るい。智弘はそれが好きだった。自分は今まで、特別なものは何もなかった。成績は標準、見た目もごくすごい普通、身体能力に自信があるといって学校の平均をわずか上回るかもしれいない程度。強いて言うのならば、特別なところはどこにもない。
したがって、智弘は凡夫凡人のような人生を送ってきた。青春を迎える今頃でさえ、特別になりたいという苦い感情は肺腑にどこかで燻っている。無力感。そんなものに苛まれるのはなぜだろう。
世界のヒーローになりたいとか。貧富の差をなくしたいとか。そんな高貴な目的があるわけでもないのに、普通の人生には不満を抱いてならなかった。
「私はね、大人になったら看護師になりたいなー」
「へー、看護師か」
「もー、何よその反応!もっとこう、すごーーーーい、みたいな反応すればいいのに」
「するわけねえよ!その女子高生みたいな反応よ」
手を大きく示すような動作の結衣に智弘はただ視線をそらす。太陽みたいな笑顔は曇天をまるで青空のように感じさせる。
そうだ。結衣との思い出はいつも晴れていた気がする。それは雨の日に近所の公園に雨宿りしても、梅雨の学校帰りでも、思い出になるといつも晴れだった気がする。
「違うよ!私は智弘の笑顔が好きだからそう言ってるのだっ―」
「なっ?!」
途中で自分が発した言葉の意味を理解したかのように結衣の優しい声が途切れる。二人は同時にちょっと赤くなっていた顔をそらす。
智弘は動悸を落ち着かせるように胸に手をあてるが、それは裏目に出たか、心臓はどくんどくんと言い続けた。
「ぷふっふふ」
結衣は堪えきれなかったように手で封じ込められた口から笑いが漏れ出す。
「だから、恥ずかしいこと言わないでよ!」
「だって今の智弘めっちゃ面白かった!ふふ」
「あああもう!帰るわ!」
真っ赤になった智弘は砂に手を付け、体を起こさせる。そのまま歩き出そうとした瞬間、目の前に突然、カニが現れた。不意をつかれた智弘はバランスを崩し、まさに尻もちをついて砂に落ちる。
後ろから聞こえる笑い声にまた顔が一面赤く染まり、ふと振り返った途端、胸の奥が何かに掴まれたかのような感覚が全身を走った。
綺麗。それしか思い浮かばなかった。脳の処理能力そのものが低下したかのように、その結衣はとても綺麗でした。潮風に揺れる白い髪の毛、桜のような小さい唇。未熟で繊細な体。そして、ほのかな幼さが残るいたずらっぽい花畑のような笑顔。
絵画にできそうな美しさに智弘はしばらく動けなかった。それを脳裏に焼き付けるような感覚に嘴がやっと綻びるように笑みをこぼした。
そうだ。この平凡的な自分にでも、この何も無い、無力な自分にでも、彼女だけは手を差し伸べた。彼女だけは唯一、そばにいてくれた。理由は分からなかった。最初は訝しげに思ったが、それはこの瞬間にだけ、全てが無に帰すように、その笑顔は海や春より美しかった。
・・・・
その日の夜は意外と寒かった。街に行き来する人々はコートを着ていないものの、桜の花が綻び木を揺らす風が寒かったようで、皆は長袖を着ていた。
その人並みの中で智弘はぶらぶら歩いていた。駅からおよそ10分のところ、繁華街と住宅街の裂け目になっている小さな交差点に黒猫が現れた。もふもふとして毛に結晶のような小さい赤い目。その目の先に智弘が立っていた。
「なんか縁起わるいな・・・・何その目?」
顔を歪んでながら黒猫を不思議な視線で見つめる。ほどなくその猫はぷいっと後ろへ振り返り、早足で去っていった。街頭の光から闇へ消えた。
「まーいいか。早く家につかないと」
右手にしたビニール袋をしばらく見つめてから微笑みを見せる。その中身はかわいい狸のぬいぐるみだった。
「結衣は喜ぶかな」
智弘はポケットからスマホを取り出し、真剣そうな眼差しで結晶画面の内容をじっくり確認をする。手元に『女子が喜ぶ誕生日プレゼント10選』と書かれたウエブページが開いていた。
「包装だけはどーしよか」
スマホをポケットに閉めて、しばらく歩いた時、突然、智弘の世界を覆すできごとが発生したのである。鼓膜を両断できそうな爆音が街の通りに響いていた。
「なにこれ・・・・・?」
目の前。住宅街が赤に染まり、空高く聳える炎で燃え盛っていた。瞬間、顔に強い熱風が襲い掛かり右手で握っていたビニール袋が床に落ちた。
「えっ?・・・お父さん!」
智弘は床を蹴り出し、炎の方へ走っていった。足に力が入れられないまで、腹が痛くて仕方ない、それでも走り続けた。住宅街の狭い道が瓦礫で塞がれても、止まらなかった。瓦礫のせいで幾度の遠回りをせざるをえなかった後、やっと自分の家についた。
「お父さん!」
「智弘!こっち来るな!」
「えっ?!」
お父さんを見つけ出した智弘はやっと気づいた。この火事、燃え盛る赤い炎。 それは悲劇であることは間違いない。それは危険な状況で、人が灰になるまで燃えるのはごく自然なことである。一般人にとってね。そうだ。智弘は魔法使いの末裔、つまりそのお父さんもまた魔法使いなのである。
「この炎は私の
「えっ?!でもお父さんは水の神の使い手、そのはずが・・・」
と、智弘は言葉を止めた。神の力では消せない炎はつまり、この火事は事故でできたものではない。この火事は神の力そのものから生み出された火。むしろそのほうが納得行くのだ。何にせよ、この炎の海は住宅街全体に広がっていた。原因は一つしかない。
「あああ、これは放火だ。しかしこのレベルの精度で高められた炎は初めてみた。これは一般人が触れれば即死でしょう」
「でも一体なぜ、なぜそこまでするんだ!ここはただの住宅街だろうか!」
「そりゃまだ分からない。発火点は古本屋の前にある家らしい」
「古本屋の・・っ!」
「おい!智弘どこ行くんだ」
疲れた足にまた力を入れる。熱い。額、背、腕からぽちぽちと落ちる汗。智弘はその炎の海を切ってその古本屋の近くについた瞬間、右手を天高く捧げ、叫び声で呪文を告げた。
「我神の従事者、我の嘆願に答えを、
瞬間、無から金色をした光の粒が現れ、丁寧に宙を踊り、剣の形になる。そして光は具体化されたかのように、金色の柄に銀色で輝く鋭利な刃ができたのだ。それは神具である。
「結衣!結衣聞こえているのか!」
古本屋の前にある家。この小さな住宅街には、古本屋は一つしかない。その古本屋の前に住んでいたのは・・そう、結衣だった。
呼び声に答えがない。それは最善か最悪の状況しかない。神の籠のままならばこの火でも死ぬことはないはず。
「結衣!!!」
喉が痛いぐらいに叫ぶ。そして、なんの逡巡もないように智弘は灼ける家に飛び込んだのである。
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