【短編版】快刀ディクショナリー

ノエルアリ

第1話 依頼内容

 赤い星が輝く夜、火球が西の山の中腹に落ちていった――。 


 ◇◇◇

 世界は〈言葉〉と〈意味〉で成り立っていて、この辞書界ではすべての〈語句〉が人格を持ち、その〈意味〉を守りながら生きている。辞書にある〈言葉〉が築き上げる世界では、人型として形成された【四字熟語】の活動が、この世界を動かす原動力となっている。ここにも一語句、人格を与えられた【四字熟語】がいた――。


「はあ。マジで超ヒマ。な~んか事件でも起きねえかな~?」


 そう退屈そうにデスクで頬杖を着く男、その〈語句〉を【快刀乱麻かいとうらんま】と言う。


■快刀乱麻(かいとうらんま)

こじれた物事を手際よく解決すること。

「快刀」は切れ味鋭い刀。

「乱麻」はもつれた麻。


 見た目は20代前半の赤髪の青年で、瞳の色は金。丈の長い白コートを羽織り、首元には赤色のマフラーを巻いている。


「探偵事務所の所長が、そんな不謹慎なことを言ったらダメですよ、ランマさん」


 そういさめるのは、ランマの助手であり、「快刀乱麻探偵事務所」の公認探偵の一語句、【四面楚歌しめんそか】。ランマより若く、青髪で瞳の色は銀。スーツベストにチェックのズボンを履き、きっちり紺色のネクタイを結んでいる。


■四面楚歌(しめんそか)

四方を敵や反対者に囲まれて、味方がいない様。孤立無援の状態。


「まあアレか。暇なら自分たちで事件でも起こせってことか。よしソカ、ちょっとお前、散歩にでも行って来いよ」


「それはアレですか? 僕が【四面楚歌】だから、散歩するだけで周りを暴漢に囲まれるという、不運から来る騒動を期待しています?」


「にしし。分かってんなら行って来いよ、相棒?」


「イヤですよ! いくら僕が不運だからって、自ら騒動を起こす厄介者になんかなりたく――」


 ソカが声を張って反論したその時、地鳴りと共に地震が襲った。


「おおっと!」

「こりゃデカいな」


 立っていられない程の大きな揺れ――。ランマは足元がふらつくソカを机の下に押し入れると、自らも揺れが収まるのをじっと待った。


 数分後、ようやく揺れが収まった。ランマは机の下から出ると、部屋中に散らばる書類や本の多さに、その被害の大きさを知った。


「近頃、地震が頻発していますよね。しかも段々、大きくなってきているような……」


 机の下から顔を出したソカが、床に散らばる書類を集めるランマに言う。


 探偵事務所の所長らしく、ランマの横顔は幾重にも考えを巡らせているようにも見える。ソカもまた、探偵の端くれとしてこの事態を憂慮するも、ハッとして給湯室へと急いだ。


「――ぎゃああ! やっぱりティーカップが割れてるっ……! 僕のお気に入りがあああ!」


 がっくりと肩を落として戻ってきたソカに、ランマが「こりゃ、色々と対策しねえといけねえな」と溜息混じりに呟いた。そこに、来客を知らせるチャイム音が鳴った。


 落胆の表情を隠せないソカがドアを開けると、チャイムを鳴らした白装束の男が、ぎょっとする。


「おいソカ、そんな辛気臭え顔で依頼人を出迎えるな。……って、アンタもきな臭えな」


 依頼人相手に、ランマも容赦なく悪態をついた。「ははは。いやはや」と困ったように笑う依頼人の様子に、ようやくソカは我に返った。


「依頼人の方に失礼なことを言わないでください! って、うちの【快刀乱麻】がスミマセン。仕事の依頼ですよね。中へどうぞ」


 ソカに促され、依頼人の男は事務所のソファ席へと通された。


 ◇◇◇

「――それでは、ご依頼の内容をお聞かせください」


 依頼人の前に紅茶の入ったティーカップを置き、ソカが改めて白装束の男に訊ねる。


「なんだ、生き残ったティーカップがあったんだな」

「ええ。それでもまた買い足さなければなりませんが……」


 先程の地震被害など知らない男が、ゴホンと咳払いした。


「ああ、スミマセン。どうぞ」と、ソカがノートを開き促す。


「実は、とある〈語句〉を探してほしいのです」


「〈語句〉探し、ですか」


「はい。それも普通の〈語句〉ではないのです」


 男が前のめりになり、二語句の前で声を潜めて、言った。


「天女を探してほしいのです」


「天女おおお?」


 眉をひそめるソカが大声で叫ぶのを、「しぃー」と男が止める。ハッと口を抑えたソカに、「これは公にはできない案件なのです」と男が忠告する。


「公にできない、ねえ。その天女とやらは、アンタのようなきな臭い団体と、どういった関係なんだ?」


 男の白装束を訝しがるランマが、真っ直ぐに訊ねた。


 男は全身真っ白で、山伏の修行僧のような格好をしている。鼻から下は布で隠し、唯一識別できる瞳の色は黒。頭には頭巾ときんを巻き、足には草わらじを履いている。この辞書の世界では、さまざまな団体が活動しているが、見るからに怪しい白装束は、何かしらの宗教団体のものと思えた。


 ふっと男が笑う。

「さすがに素性を明かさずして〈語句〉探しはできないか。……分かりました。我々についてお話いたしましょう」


 そうして男の口から語られたのは、『天地てんち教』という宗教団体と、その『天地教』が崇める天女という存在についてだった。


「この世界の安穏を祈る我らが『天地教』の天女様が、ある日突然、家出をされてしまったのです」


「家出?」

 メモを取るソカの手が止まった。


「家出ねえ。なら、おたくの天女サマとやらは、自分で行方をくらませたってコトだろ? 普段から天女サマだなんだと崇められてたんなら、そんな日常に嫌気が差してもおかしくはねえだろうし、なんなら放っときゃ、そのウチ帰って来る気がするけどな」


 急にシラケたように、ランマがソファの背もたれに身を傾ける。依頼人の前で足を組み、「わざわざ探偵に依頼するようなコトでもないような気がするがな」と、気乗りしない様子で片肘をついた。


「いやいや、何を言っているんですか、ランマさん! 家出した〈語句〉を探すのも、僕達探偵の仕事ですよ? 面倒臭がらないでくださいよ!」


「つってもなぁ、そんなに大事な天女サマなら、俺ら探偵じゃなく、統監とうかん本部に失踪届でも出せばいいだろ? 宗教団体が崇拝する天女がいなくなったとなりゃ、この世界の秩序を守る統監語句だって、無下にはしねえだろうし」


 ランマが投げやりに悪態をつく。


「ちょっとランマさん、いいかげんに――」


 ソカの怒りが向けられたと同時に、再び地震が襲った。今度は先程の揺れよりも大きいものだったが、その時間は刹那であった――。


 ぐっとソファの上で身を縮めていた三人が、ゆっくりと顔を上げた。


「また地震か。本当、どうなっているんだ……」


 ソカがテーブルに溢れた紅茶を布巾で拭く。その様子をじっと見つめながら、男が口を開いた。


「近頃の地震は、天女様が原因で起こっていることなのです」


「はい? どういうことです?」


 ソカがテーブルを拭く手を止めて、男を見上げた。


「我らが天女様の正体、それこそが『天地教』の開祖――【天変てんぺん地異ちい】様なのです」


■天変地異(てんぺんちい)

天地間の自然界に起こる異変や災害。

「天変」は日食や流れ星などの天体異変や雷、暴風などの気象異変のこと。

「地異」は洪水や地震などの地上で起こる異変のこと。


「それじゃあ何か? 近頃頻発して起こっている地震やら火球の目撃は、すべておたくの天女サマ――【天変地異】が家出したせいだっていうのかよ?」


 ランマの問いに、白装束の男が「ええ」と頷く。


「我々としても、教団の教祖が家出したことを、世間に知られる訳にはいかないのです。今までこの世界に壊滅的な大災害が起こらなかったのは、すべて我ら『天地教』が【天変地異】様をお守りしていたからに他なりません。それが今、この世界の安穏を崩しかねない事案が起きている。尚更公にはできない」


「成程。だから統監本部ではなく、僕達探偵に依頼するという訳ですね。由々しき事態ですし、ここは是非とも天女探しの依頼を受けましょう、ランマさん!」


「そうねえ……」


 渋るランマの表情を察し、男が頭を下げる。


「この世界の安穏を守るため、どうか、私と一緒に天女様を探すのを手伝っていただきたい」


 懇願する男に、ランマの鼻息が漏れる。ソカはじっと考え込む相棒の返答を待った。


「……わーったよ。その依頼、受けてやるよ」


「ランマさんっ……!」


「ただし、報酬はしっかりといただくぜ?」


「ええ、勿論。ですが今回は、この世界の命運がかかっていると言っても過言ではありません。是非、成功報酬にしていただきたい」


「成功報酬……」


 通常、正式に依頼を受けた際に、依頼人との間で報酬についての契約を取り交わす。大抵金銭か、依頼人の持つ〈意味〉の一つを貰い受けるのだが、成功報酬とすることは稀だった。


「まあ、こういう事態だしな。世界が終われば、金や〈意味〉なんて、何にもならないしな。いいぜ、アンタが言う成功報酬にしてやるよ。ただし、無事に天女を見つけたら、俺らの言い値で報酬を払ってもらうぜ?」


「ええ、分かりました」


 そう言って頷いた男の口元が、布に隠れて小さく笑った。それには気づかず、立ち上がったソカが、「この世界に安穏を取り戻すため、天女様を探し出しましょう!」と息巻く。


「はいはい。落ち着こうな」とランマがソカを座らせる中、改めて訊ねた。


「んで、アンタの名前は?」


「……名前」


「アンタだって人型をしているんだ。アンタも何かしらの【四字熟語】だろ?」


「ああ……。ならば私のことは、ソンとお呼びいただければ」


「ソン、さん? 本名は教えて頂けないんですか?」


「おや? ここは探偵事務所ですよね。依頼人が秘匿性を重視している場合も、本名を訊ねるのですか?」


「それは……」と言葉に詰まるソカ。


「いや、俺らは依頼人の望みを叶えるのが仕事だ。仕事の完遂に必要でなければ、ニックネームでも構わねえよ」


 何でもないかのようにランマが言った。安堵の表情を見せる依頼人――ソンか、暴風吹き荒れる窓の外に目を向けた。


 


 








 

















 

























 





 










 









  














 








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