第2話 父、アジムートへの挑戦

 ミュラーは寡黙であった。


 相も変わらず父の無茶な戦に従軍していたが、愚痴の一つも言わず、黙々と戦いに明け暮れていた。


 自軍の十倍の兵が立てこもる城を前にした時、下の兄は兵法学の常識として退却を進言した。

 しかしアジムートは兄の頭蓋の頂点を鞘で叩いた。

 そして檄を飛ばす。

「燃やしてしまえ! 城門から沸いてきたら一人残らず叩き斬れ!」

 どんな破天荒な指揮でもアジムートはことごとく勝利を収めた。

 遠征先で敵城を落城させた後、伏兵に食料を焼かれた時、周囲が絶望する中、アジムートは叫ぶ。

「人間、二週間飯を食わなくとも生きていける! 我が軍は勝った! 祖国に帰陣するぞ! ここで現地解散だ! 略奪行為を行った者は死罪ぞ!」

 ミュラーは寒さと飢えに苦しんでも寡黙にその指示に従った。


 彼は運命を呪った。


 そんな戦の日々が続いた時、ある領主の主催する宴に彼と彼の家族が招待された時があった。

 この日のアジムートは、ちょうど勝ち戦で上機嫌に美酒をあおっていた。

 そして酌をしながらある領主が提案した。

「アジムート殿、我が家の倅に、貴殿の御息女を娶っていただけまいか? 家臣団の結束を固めるためにもなるし、傍流とはいえこれでルクルクト家も王家の一門衆になれる、婚儀が決まれば我が家も軍事の際、経済的に支援も約束致そう」

 アジムートは難しい顔をしながら、間を置いて尋ねた。

「それは我が家の娘を政略によって結婚させるということか?」

 領主はしたり顔で、

「然り、聞けば御息女は典礼に精通しており、倅の正室に迎えても、もったいなき話とはおもいますが……」

 刹那、アジムートは手にしていた酒瓶を握り潰した。

「この儂に政略結婚なぞ、姑息な真似をさせようと唆すか! 儂は大事な妻子を自分の出世のために質に差し出す矮小な男ではない! 子供たちには自由に自分の生き方をさせる! 婚姻相手は本人が決める! いや生き方、将来も本人が決める! 己が道は自ら切り開くべき!」

 またアジムートの偏屈なところが出てしまった。

 あまりの怒気と立ち振る舞いに領主は委縮してしまった。

 そしてアジムートは自分の子供たちの方へ顔を向ける。

「で、お前たちは将来、何になりたいのだ?」

 ミュラーを含め兄妹たちは、こいつは今さら何を聞いているんだ? と困惑する。

 しかし聡い下の兄がこう答える。

「私はこの軍才を父上の下で発揮させたいです。」

 上の兄もこれに続けと言わんばかりに、

「俺も自分の武勇を研鑽し、父上のような武人になりとうございます」。

  模範解答にアジムートは満足気に頷く。

 そしてミュラーに酌をしながら尋ねた。

「お主はどうするのだ?」

 これは踏み絵のようなものだ。

 結局アジムートの機嫌を損ねない答えを選ばなければならない。


 何が生き方は本人が決めるのだ、結局人材不足の自軍に息子たちが直臣として支えなければならない状況で、自由裁量権はない。


 ミュラーは心の中で毒ついた。

 しかしこれは千載一遇の機会かもしれないと思った。


 血なまぐさい戦場から抜け出せる一生に一度のチャンスかもしれない。


 ミュラーは人生の中で最大の勇気を奮おうとした。

 そして、ごくりと唾を飲み込み、背中に冷や汗をかきながら震える声を絞り上げた。

「……冒険者になりたいです……」

 アジムートは杯を握り潰した。

 兄たちはこいつ正気か、という顔をしている。

「貴様ぁ! 出奔して、ならず者になるとぬかすか!!」

 アジムートが剣を抜き、その刃をミュラーの喉元に突き付けた。

 ミュラーは平静を装いながら答える。

「いえ、剣の腕を磨くべく武者修行の旅にでようと愚考しております」

 予想外の答えに戸惑い、アジムートは剣を鞘に納めた。

 そしてまた難しい顔しながら考え込む。

 長い沈黙、少なくともミュラーにはとてつもなく長く感じた。

 そしてアジムートは何か閃いたかのような顔でミュラーに尋ねる。

「つまり騎士になるが、己が研鑽のために各地を回るということか?」

「……左様でございます」

 アジムートは言い当てた答えが見つかり、納得した。

 そんな顔していた。

 そしてミュラーの肩に手を叩き、

「流石儂の息子じゃ、己が道を切り開くか! よし明朝にでも旅立て! 朝一に儂が腕試しの稽古をしてやる!」

 あの偏屈な父から解放される承諾を得たことに、ミュラーは思わず飛び上がりたいほどの感動を覚えた。

 堪らず笑みが浮かんでくる。


 兄たちは、お前だけずるいぞと言わんばかりに顔をしかめていた。




 夜明け前の静寂の中、ミュラーは朝の試合に備え、稽古場を下見していた。

 木刀の列を眺め、ふとそこにまるで棍棒のように太く大きい、ひと際目立った木刀が列の中央に置かれていた。

 それを見てミュラーは思う。


 父上の愛用か。あれをまともに受けたら命は無いな。

 一撃が命とりになる。

 大丈夫だ、そのための準備はしてある、

 俺はそのために努力も準備もしてきた。

 あの父親に勝つために。


 そして床に座し、瞑想する。

 ただ時を待つ、宿願の相手が来るまで。


 陽が昇ると同時に稽古場から大柄な男が威勢よく扉を開け現れる。

 アジムートだ。

 ミュラーに比べ、二回りも高い巨躯に、丸太のような太い腕、その手でミュラーの予想通り、巨大な木刀を手に持ち、息子の対面に座した。

 続いて二人の兄たちが場内に入る、この立ち合いのために。

 座っていたミュラーの眼光には殺意が込められていた。


 殺すつもりで戦わねば、命はない。


 激しい激情を胸に秘め、魂を燃やした。激しく、激しく。

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