第13話 追い上げる後続列車の夜
一方のこちらは、追い上げる特急「出雲4号」の寝台車内である。
京都には日付の変わった0時9分に到着。7分停車の間に機関車を交換する。こちらは先行列車よりも新しい機関車。幾分速く走れる。
京都でさらにいくらかの客が乗車した模様。とっくに現行された暗い車内に、ネオンと蛍光灯に慣れ親しんでやってきた客は、適度に照明を落とされた列車の中のそれぞれの寝床へといざなわれる。
列車は定刻で京都駅を出発。あとはひたすら、朝の東京に向けて走り続ける。
4人の男性はそれぞれの区画の下段寝台に横になって眠りについている。それまでの酒の勢いもあってか、暗くて揺れる車内であってもお構いなし。それは彼らが転勤族や実質自営業という職業柄、出張が多く旅慣れているからというのもある。
車内には時折、鉄道公安官と乗客専務車掌が巡回する。
このところ列車ミステリーということで社内で殺人事件が起きる小説やドラマがあるにはあるが、そんなことがのべつ起こるような場所ではないが、今から20年も前ならばスリや置引きの犯罪も多く発生していたことは確かである。
今でもそのような物騒な事件が夜行列車でないわけではない。特にカーテン1枚という、ある評論家に言わせれば「無防備性抜群」の車内でそのような不埒な行為に走る者は少なからずいるのだ。
もっともこの列車、A寝台車は個室である。外から鍵もかけられる。就寝中のスリは言うまでもなく置引きさえも難しい構造になっている。いくらA寝台車並の設備を持つ客車二段式のB寝台車とはいえ、客層はA寝台車ほどでもない。スリにしてみれば狙える客層が下がって商売あがったりまではいかないにしても「売上」はどうしても低くなろうものではある。
誰もが寝台で横になって寝入るか目が覚めていても横になっている中、列車は京都府から滋賀県を通り抜けて春爛漫の関ヶ原を超え、岐阜県、そして愛知県と東に進んでいる。夜中の2時あたりには、名古屋駅で一時停止。要は、機関士交代のための運転停車を行うのである。ここで警乗する鉄道公安官も交代する。そのため、車掌室のある客車のドアを一つだけ開け、その交代に同行する。特に、犯罪はもとより急病人などの異状はないことが報告されたようである。
機関士らの交代を経て、山陰からの名士列車はさらに東へと向かう。こちらの機関車が新鋭というだけあって、戦後すぐに製造されて東海道本線電化前から活躍してきた名機関車のけん引する先行列車を猛烈な勢いで追いかける。
真夜中未明の浜名湖を渡り、さらに途中の浜松で運転停車をする。ここでまた、機関士が交代。車内はすっかり寝静まっている。
明かりがあるのは、食堂車だけ。とはいえこちらも、減光している。
食堂車のスタッフたちは、通路をふさがないように工夫しつつ客席などをうまく使用して仮眠をむさぼっている。かつて東映が20系化されたころの「さくら」号を舞台にした「大いなる驀進」という映画が作られたころと違い、今どきのブルートレインは全車寝台車である。こんな時間にこの食堂車をわざわざ深夜に通り抜ける客はほとんどといっていいほどいない。
かの食堂車のスタッフらは福知山に到着するころには営業をやめて綾部を出るころまでにはすべての客扱を終え、打合せもかねて食堂車で賄い飯を食べている。
この列車に乗務する車掌らもまた、この列車が京都府内の山陰本線を京都に向って走っているころには、ここで賄い飯を食べている。カレーのような軽食を食べるスタッフもいれば、どんぶり飯の上にキャベツと目玉焼きを乗せた、通称「ハチクマライス」と呼ばれるものをみそ汁とともに食べているスタッフもいる。いくら家族がいて弁当を作ってくれる人がいたとしても、この寝台列車に乗務したら数日自宅には戻れないため、弁当の1食や2食程度では間に合わない。食堂車があるならばテキメンここで食事をとるということにもなるわけだ。
日付が変わって京都駅に到着するころには内輪の食事も終え、彼らは明日朝のほんの1時間程度の営業のための準備を終え、仮眠の時間へと入っている。
それにしても、毛布か何かがあってとはいえ床に横になって一夜の仮眠をとって朝早くから仕込みに営業と走り回らされる食堂車のクルーの仕事は、まさにしばらく後の言葉でいうところの「3K」そのもの、いや、そんな言葉さえ甘いと言いたくなるほどの過酷な労働であった。
社会が豊かになるにつれ、このような仕事が敬遠されるのも当然であろう。新幹線が延伸するにつれ夜行列車の食堂車が軒並み営業休止もしくは府連結にされ、その分新幹線に移っていったのも、無理はない話ではある。それなら、夜中を通して列車に乗って勤務する必要もないからだ。
働く側にしてみれば、実にありがたい話である。
しかも、夜行列車は夜がある分、営業時間は短くなる。営業時間が短くなれば、てきめん売上も下がらざるを得ない。この「出雲4号」にしても、東京駅朝7時着では朝の営業は実質1時間もない。ただし、車内販売があるので、そこで珈琲や駅弁、さらには仕込んでおいたサンドイッチなどは、飛ぶように売れる。そこが救いといえば言えなくもないが、朝の湘南の海を見ながらとはいえあわただしく食事をせざるを得ないのも、なんだかなという気がしないでもない。
この列車は、定刻の5時10分に沼津に到着した。そろそろ夜明けである。
食堂車のほうは、それより数十分前に一斉に仕込みに入っている。朝の車内販売、そして、1時間歩かないかの間の良くて3回転の朝食の準備がある。もっとも、車内で賄いを食べる必要はない。東京駅到着後、点呼を終えて完全に仕事を終え、職場の食堂か近くの店でゆくり食べたほうがいいというもの。
沼津では、機関士が交代した。ここで、警乗してきた公安官も下車する。ここから乗車する客などいない。無論乗車できなくはないが、特急券はもとより寝台券も必要であるから、わざわざ2時間弱のためにこの列車に乗る必然性もない。
沼津から東京までを担当する機関士が、汽笛を鳴らした。列車は彼の腕によって東へと向かう。東京まで、あと2時間弱。
外はまだ暗いが、夜明けの兆候はすでに出つつある。
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